夢魔
出張先の地方都市。私は偶々立ち寄ったホテルのバーで思いがけない人物に出逢った。
作家の郷田三津彦先生である。
多作で質の高いホラー小説の旗手としてここ十数年、書店の平積みの山で名前を見ない日は無いと思える活躍ぶりであった。
散ばらで見事なまでの白髪と白い口髭にトレードマークの上品なアスコットタイ。私は店に入った瞬間から先生が奥のカウンターに居る事に気がついていた。
薄暗いバーの中で、そこだけぼんやりと光を帯びているような、それでいて引き込まれそうに暗い闇を湛えているような、そんな風に見えたのである。
直ぐに話し掛けるのも失礼と思い、私は頼んだ水割りをチビチビと舐めながら機会を窺った。幸い郷田先生は帰る様子も無く、バーテンにおかわりを頼んで手持無沙汰そうにタバコに火をつけたところであった。
私は意を決して先生に近づいた。
「失礼ですが、作家の郷田三津彦先生じゃありませんか?」郷田先生は前を向いたまま煙をふぅっと吹き出してから私の方を振り向いた。
「はい、いかにも私は郷田ですが、何かご用ですかな?」これがあの恐ろしいホラー小説を書く人物かと思えるようなおっとりとした口調であった。
「いえ、私は先生の小説の大ファンでして。米山と申します。偶然にもお見かけしたものですから宜しければお話などを聞ければと」その時の私は傍から見れば滑稽なほどに緊張していたに違いない。
「米山さん――ですか。どうぞお掛けなさい。私も丁度、話し相手が欲しかったところなのですよ」
先生は私の不躾な申し出に嫌がるどころか歓迎さえしてくれた様であった。自分の飲んでいる高級な酒を、空になった私のグラスと替える様に注文さえしてくれたのだ。
「私の作品をお読みなのですね? 是非感想などをお聞かせ願いたいですね」フレームの無い眼鏡の奥で先生は微笑んだ。
「ええ、こちらには出張で来ているのですが郷田先生の最新刊も一冊持って来ています。本当はあまりホラーは好きではないのですが、先生の作品だけは読まずにおれないというか……」
作家の郷田三津彦先生である。
多作で質の高いホラー小説の旗手としてここ十数年、書店の平積みの山で名前を見ない日は無いと思える活躍ぶりであった。
散ばらで見事なまでの白髪と白い口髭にトレードマークの上品なアスコットタイ。私は店に入った瞬間から先生が奥のカウンターに居る事に気がついていた。
薄暗いバーの中で、そこだけぼんやりと光を帯びているような、それでいて引き込まれそうに暗い闇を湛えているような、そんな風に見えたのである。
直ぐに話し掛けるのも失礼と思い、私は頼んだ水割りをチビチビと舐めながら機会を窺った。幸い郷田先生は帰る様子も無く、バーテンにおかわりを頼んで手持無沙汰そうにタバコに火をつけたところであった。
私は意を決して先生に近づいた。
「失礼ですが、作家の郷田三津彦先生じゃありませんか?」郷田先生は前を向いたまま煙をふぅっと吹き出してから私の方を振り向いた。
「はい、いかにも私は郷田ですが、何かご用ですかな?」これがあの恐ろしいホラー小説を書く人物かと思えるようなおっとりとした口調であった。
「いえ、私は先生の小説の大ファンでして。米山と申します。偶然にもお見かけしたものですから宜しければお話などを聞ければと」その時の私は傍から見れば滑稽なほどに緊張していたに違いない。
「米山さん――ですか。どうぞお掛けなさい。私も丁度、話し相手が欲しかったところなのですよ」
先生は私の不躾な申し出に嫌がるどころか歓迎さえしてくれた様であった。自分の飲んでいる高級な酒を、空になった私のグラスと替える様に注文さえしてくれたのだ。
「私の作品をお読みなのですね? 是非感想などをお聞かせ願いたいですね」フレームの無い眼鏡の奥で先生は微笑んだ。
「ええ、こちらには出張で来ているのですが郷田先生の最新刊も一冊持って来ています。本当はあまりホラーは好きではないのですが、先生の作品だけは読まずにおれないというか……」