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ー8ー　してはいけない

　俺には困った癖がある。癖というより病気に近いかもしれない。それは、やってはいけないと思うと無性にやりたくなり、自分を抑えられなくなってしまうことだ。
　
　小学一年の頃、好きな女の子がいた。ある時、俺はその子のスカートをめくってしまった。すると、驚いたその子は大声で泣き出し、駆けつけた先生に、俺はこっぴどく叱られた。
　五年の時は、校長室で掃除をしていた時だった。目の前に座っていた校長の髪の毛が不自然に揺れているのがどうにも気になった俺は、あろうことか、その校長の髪を引っ張ってしまった。すると、かつらはスルッと滑り落ち、校長のツルツル頭が現れた。俺は一時間、校長室の前に立たされることになった。
　このように、子どもの頃ならいたずらで済まされるが、大人になるとそうはいかない。女性の嫌がることをしたり、他人に手を出せば罪に問われることになる。
　俺は心して、そういう場面を避け、理性の鎧をまとい、ここまで何とか無事に過ごしてきた。
　
　ところがある日の夕方のこと、人通りの少ない裏通りで、俺は前からひとりの若い女性が歩いてくるのに出くわした。まずいことに、その女性は俺の好みのタイプでドストライクだった。若い俺はその女性に激しく反応した。これはまずい状況であると俺の中で警報音が鳴った。直ちに退避行動に移るべく、俺は踵を返し、もと来た道を引き返した。すると、後ろから女性のヒールの足音が小走りで近づいてくるのが聞こえた。
「あの――」
　その声に足を止めて振り返ると、十メートルほど先であの女性が立っていた。
「財布、落としましたよ」
　急いで追いかけて来たせいだろう、息を切らす、その様子がまた何とも言えない色気を感じさせる。俺の中で、警報音は特別警報に変わり、一層けたたましく鳴りひびく。彼女が差出している財布はたしかに俺ので、尻のポケットを触ると、さっきまであったはずの財布はなかった。
　彼女が手渡そうと一歩近づくと、俺は一歩後ずさりした。
「急ぐので、そこに置いといてください。すぐに取りに来ます」
　俺はそう言うと、急ぎ足でその場を離れた。変な奴だと思われただろうが、痴漢で捕まるよりははるかにましだ。
　路地を一周して戻ってくると、先ほど女性が立っていたあたりの塀の上に財布が乗っていた。俺がそれを手にすると、わきの道から先ほどの女性が姿を現した。
　そうか、他の誰かに持って行かれないように見張っていてくれたんだ……
「ありがとうございました」
　礼を言って立ち去ろうとする俺に、彼女は尋ねた。
「いいえ、でも、あの――どうして、直接受けとらないのですか？　私に近づくのがそんなにイヤなのでしょうか？　何かご不快なことでもあるのでしたら教えてください」
　そうか、それが気になってここにいたのか……
「いいえ、不快だなんてとんでもない。気を悪くされたのでしたらすみません。でも、正直に話すと、本当に気を悪くされると思いますので……」
「そこまで言われたら余計に気になります。何でも言って下さい」
　
　俺は困ったが、自分に何か問題があるのではないかというとんでもない誤解を解いてあげるべきだと、腹をくくって話し始めた。
「あなたが素敵だったので、近づいたら触れてしまうのではないかと恐れたからです。変な奴だと思われるかもしれませんが、俺、子どもの頃から自分を抑えきれなくなる時があって、だから自分で気をつけないと……」
　女性は、クスッと笑ってこう言った。
「私はその反対。子どもの頃から思ったことと逆の行動をとってしまいます。
　小学生の時、男の子にスカートをめくられて大泣きしてしまったんですけど、私、本当はその子のこと大好きだったんです。だから、かまってもらってとてもうれしかったのに。私が大泣きしたばかりにその子、先生からすごく怒られて……」
　俺はあっ！　と思った。
「ねえ、もしかして君、山岡さん？」
「はい、山岡光子です。でもどうして私の名前を？」
「俺だよ俺、たかし、川谷たかし！」
「あ！」
　二十年ぶりの突然の再会だった。
　ふたりは懐かしい思い出話に花を咲かせながら、夕暮れの町を並んで歩いた。夕陽を浴びて舗道に伸びたふたりの影は、ピッタリと寄り添っていた。