ショートショート集 『一粒のショコラ』
ー30ー 貯金
私にはたくさんの貯金があった。初めてそれに気づいたのは、三年前のことだ。
その年、私は五十にして不慮の事故に合い、身体に障がいが残ってしまった。ある日突然、自分が普通の体ではなくなるなんて誰も思いはしないし、誰もがすぐには受け入れられないものだろう。
私も、もうこれで終わりだと気力のすべてを失った。
亡き母がよく言っていた、自分のことを自分でできなくなったら生きていたくない、と。その母は、父や親族の世話をするだけして自らは誰の世話にもならず、元気なまま倒れ、あっという間にこの世を去った。私は悲しみの中で、母らしい最期に敬服した。
それに引き替え、私はどうだろう? これから周りに世話をかけて、残りの生涯を生きていかなければならない。
そんな悲嘆にくれる私に、まず手を差し伸べてくれたのは夫だった。それまでは、家のことは一切私まかせの仕事人間だった夫が、有休をとるようになった。仕事柄、かなり無理をしていることが私にはよくわかる。そして、慣れない手つきで家事をやり、嫌な顔一つせず私の面倒を見てくれた。そんな夫に「ありがとう」という言葉だけではとても言い表せない感謝の気持ちが心にあふれた。
温かく励ましてくれる夫との会話は増え、それまで気づかなかった深い絆を感じ、元気な頃より私たち夫婦の仲はよくなっていった。
次に、私を驚かせたのは息子夫婦だった。
近くに住んでいるふたりは結婚当初から共稼ぎで、嫁は妊娠しても当たり前のように仕事を続けた。そして、出産前後はわが家に身を寄せ、私は妊婦と新生児の世話に追われる日々を送った。
やがて二人が自宅に戻り、嫁が仕事復帰してからも、孫の保育園の送り迎え、熱を出した時は預かったりと、私は出来る限りのサポートを続けた。私がこの体になったのはその孫が小学校に上がってからだったので、それまでちゃんと世話をできたことが、不幸中の幸いだったと私はしみじみ思った。
ところが、ようやく仕事に力を入れられるようになった嫁は、あっさりと仕事を辞めると決めて私たちとの同居を希望してきた。そして、これからは私を支える仕事に就くことにしたからと笑顔で言った。私に懐いている孫も、みんなでいっしょに暮らせることをとても喜び、ほどなく息子一家は我が家の住人となった。
そして、私を気遣ってくれたのは家族だけではなかった。いつしか疎遠になっていた学生時代の友人たちとも、交流が再開したのだ。彼女らに私の状況が伝わると、何かにつけて集まる機会を作り、私を外へと連れ出してくれるようになった。その上なんと、手のかかる私を連れて、一泊旅行まで計画してくれた。夜、みんなで床につくと、気持ちはすっかりあの頃に戻っていた。夢や希望にあふれ、怖いものなど何もなかったあの頃に……
私は今になって気がついた。絶望の淵に立った私に、これまで知らぬ間に積み立ててきた貯金が、役に立っているのだということに。
長年当たり前のように、夫や子どもに尽くしてきたこと、また、若き日を共に過ごした思い出を共有する友人たちに出会えたこと、それらが今の私を支えてくれているのだ。
今は、この貯金を使わせてもらっているが、それを使い果たすことのないようにするにはどうすればいいだろう? と私は考えた。もう誰の役に立つこともできないし、対等に楽しみを共有することもできない。
そんな私にできること……
それは、感謝の気持ちを持って周囲に明るさを振りまくことだということに思い至った。
誰にだって辛いことはある、みんなそれぞれの苦労を抱えて生きている、たとえ体が健康であってもきっと同じだ。そんな時に明るい笑顔はきっと大きな力になるに違いない。
寄り添い、いたわり、励ます……
この私でもできることはたくさんあるはずだ。いつもみんなのことを思いやり、これからも人生の貯金を増やしていこう。
そう決めた私の心は軽やかになり、気持ちは豊かになっていた。
作品名:ショートショート集 『一粒のショコラ』 作家名:鏡湖