knuckleheads
カローラGTの運転席に座り、エンジンをかけてしばらく宙を見ていると、助手席に乗り込んだ筒元が言った。
「メシどないすんの」
おれは車載時計を眺めた。午前四時。売り上げのノルマは最初の二時間で達成した。椅子の相手で時間を食った分腹は減っている気もするが、それ以前に眠い。
「食わん」
おれが言うと、筒元は呆れたように眉をひょいと持ち上げて、マスクを外した。
「ドライブスルー寄ってくれへん?」
「なんの?」
「いや、店は問わんけどドライブスルーんとこあるやん。何なん、眠たいん?」
「まあ、眠たいわな」
おれがそう言ったとき、携帯電話が鳴った。画面には大きなサンボの文字。最近はそうでもないが、三コール以内に取らないと拳骨が飛ぶときもある。
「もしもし」
「すまんな夜中に。どこでさぼっとったんじゃお前。何時までかかっとんねん」
断りを入れながら同時に恫喝する。その間の時間はコンマ五秒もない。
「すみません。ちょっと客の入りが悪かったんで。今終わったとこです」
「ほんまかい。どないすんねん? 帰んの?」
「メシだけ済ませて帰ろか思ってます」
サンボは『メシ』事情に弱い。腹を埋めるのは最優先で、『腹が減っている』と言えば、大抵のことは見逃してもらえるというか、問題は先送りになる。
「そらお前、こんな時間まで食わんかったらな。レシート持って来いよ」
さすがホワイト企業だ。晩飯はサンボ持ち。レシートといちいち照らし合わせるのがケチくさいが、最初は一律一人千円だったから、これでも大きな進歩だ。
「あざす、明日もよろしくお願いします」
「筒元は?」
おれは筒元に携帯電話を差し出して、シフトノブを一速に押し込むと、カローラGTをゆっくり発進させた。十七万キロ走って、さすがにガタが来ている。元はシルバーだった車体も艶がなくなってきて、もはやグレー。それでも愛車は愛車だ。筒元が愛想笑いを返して、たまにびびって、たまに勢いを取り戻してを繰り返している間、大きなバイパスに合流しながら思う。
おれ達はサンボからしたら、野良犬みたいな存在だろう。
元々は、親の知り合いだった。おれの両親は中古車屋を経営していた。車種は問わない、流行りそうなやつならなんでも扱う。おれが生まれた辺りは、ミニバンが流行り出したころだった。正直、家族で揃って過ごした記憶はあまりない。親父がメカ担当で母さんが接客をしているような店だったから、ほとんどは店にいて、おれも店で育ったようなものだった。事務所に来る客に遊んでもらったのはよく覚えている。そんな中、数年に渡って顔をよく見かける常連客がいて、それがサンボだった。親父の兄貴もよく来ていた。工場勤めのゴルフ好きで、おれは『アイアンのおっちゃん』と呼んでいた。写真で見返すと、兄弟とは思えないぐらいに体格が違う。伯父さんはプロレスラーみたいで、親父はひょろひょろ。後からサンボに聞いた話だと、仲はあまりよくなかったらしい。
中古車屋は石内オートという名前で、おれが六歳のときに廃業した。その日は夜になっても店を開けていて、親父は車の下にもぐっていた。おれの記憶は限られている。でも、何となく親父の作業場を覗いたときに、部品を抜いた後の紙箱が風で揺れていたのを、今でも思い出す。いつも通りの、いつもの夜。親父がおれに気づいて話しかけようとしたとき、母さんに手を引かれてタイヤ倉庫に連れて行かれた。すごい力だったし、その時の母さんの顔は怖くて思い出したくない。それが最後の記憶であっても。その直後、石内オートは強盗に遭った。親父は車の下に潜ったまま死に、母さんも売り場で刺されて死んだ。犯人は捕まらず、未解決。もし自分の手で犯人を見つけたら、殺す前に言いたいことは山ほどある。
『絶対に、見たらあかんよ』
おれの手を握り締めて言ったそれが、母さんの最後の言葉。親父は言葉の代わりに、インパクトが回る音。そうやって中古車屋は廃業し、おれは『アイアンのおっちゃん』に引き取られた。それから、呼び名は『伯父さん』に変わった。昔かたぎで、毎日、真っ黒な手ぬぐいを首に巻いてふらふらで帰ってくる、不器用な男。高校まで出してもらえたのは、ある意味奇跡だ。むしろ、その役目だけを残りの人生で引き受けたみたいに、伯父さんはおれが高校を出る直前に病気で亡くなった。胃がんだった。亡くなる数時間前におれを呼ぼうとしたけど、授業中で間に合わなかった。何を言いたかったのかは、分からずじまい。高校生活の最後の一年はおれのバイトで家計を回していたから、卒業と同時にサンボの下でメシにありつけたのは、ある意味渡りに船でラッキーだった。そのままずっと続ける羽目になるとは思っていなかったが。
バイパスのずっと先に明々と灯っている、町の光。めぐみの通う学校や、筒元のアパート。そして、サンボの事務所もそこにある。おれの人生は、真っ暗なところと明るいところの往復。そして、その間は真っ直ぐな道路。
ドライブスルーでハンバーガーを買い込んだ筒元が紙袋をがさがさやっているのを見ながら、おれは言った。
「めぐみは中学出たらどうするん?」
「出たら? 分からん。何も決めてない」
筒元はハンバーガーを袋の底から探し当てて、包みを破りながらかぶりついた。
「ぼちぼち高校の話とか出るんちゃうの?」
「まだ二年やからな。来年ちゃう?」
筒元はスプライトをストローでひと口飲んで、クリップを吸い込んだ掃除機みたいな音を立てた。
「まだまだ稼いでもらわなな。でも、こないだサンボともゆうててんけど、家内工業も限界あるわ」
「どういう意味?」
おれは信号待ちでハンドルから手を離した。もうすぐ夜が明ける。筒元はもぬけの殻になった包みを袋に押し戻すと、言った。
「外注つか、そういうことが得意な女はなんぼでもいてるからや。めぐみにやらしとったら、いつか捕まるわ」
筒元は満腹になったようで、座席を少し後ろに倒した。
「お前、マジで何も食わんのかいな?」
「ええわ」
正直な話、今のやり取りで若干食欲が失せた。めぐみに美人局をやらせて一年半が経つ。その一年半の経験は、あの子の一体何になるというのか。
「そもそも、あの頭でいける高校あるか?」
筒元はポケットに手を突っ込んで煙草を探しながら言った。おれは青信号になったことに気づいて、再び車を走らせた。
「さっきの長電話、サンボと何の話しとってん?」
おれが言うと、筒元は肩をすくめた。
「なんか、新しいことをやるゆうてたわ」
「おっさん元気やな」
おれのそっけなさが気に入らなかったのか、筒元は座席から少しだけ体を起こした。
「サンボは、スジもんの家を叩くつもりや。須美ちゃんと和泉くんにも声かけとるらしい」
「なんやそれ、叩くて」
おれが言うと、筒元は笑った。
「さわりしか言いよらんかったけどな、また集めて話すんやって」
「お前も入ってんの?」
「入ってるよ。じゃまくさいけど、でかい仕事になるで」
おれは、自分に声がかかるまでは一切関わるつもりはなかった。サンボは頭が切れる。それは認めるし、その機転でトラブルから足を抜くところも見てきた。
作品名:knuckleheads 作家名:オオサカタロウ