赤秋の恋(千代)
千代との出会い
昼時のラーメン店に、汚れたジーパンに、擦り切れたシャツを着た男が、順番を待つ長椅子に腰を下ろした。那須ラーメンの人気店前田屋敷である。近くに座っていた若いカップルは席を立った。座れずに立っていた男がすぐにその席に座ったが、男は煙草をくわえた。何やらつぶやいている感じもするが、言葉としては聞こえてこない。男は席を立った。
男の順番が来た訳ではなかった。
ホームレス風の男の名は、佐藤俊介である。年は65歳になっていた。彼は画家である。桜の絵を描かせたら右に出る者はいないとまで言われたのが、40歳代の時であった。東京では有名な光画廊と10年契約をしたのが、結果的に佐藤の画家生命を奪ってしまった。同じような桜の絵を、光画廊から注文を依頼され、其れを描き続けた。5年もすると、彼の絵は市場に出すぎた。評価もがた落ちであった。
その後、佐藤の名は画壇から消えた。佐藤は絵を諦めた。実家の自動車部品工場を継ぐことにした。50人ほどの零細企業であったが、20年掛けて、200人ほどまでに成長させた。
「お待たせしました。1名様でお待ちの佐藤様」
佐藤は立ち上がった。
「お客様。申し訳ありませんが、他のお客様にご迷惑になりますから、当店ではお断りします」
「腹が減っているし、今まで待っていたんだよ」
「店主に聞いてまいります」
店主らしき男が、佐藤の前に来た。
「申し訳ありませんでした。お待ちいただいた時間を当店の時給でご勘弁願います」
男は茶封筒を佐藤に手渡そうとした。
「あなたそれはこの方に失礼でしょう」
42,3歳の女性であった。
「当店としては・・・」
「その気持ちも分かるわ。人を容姿や服装で判断するのはどうかしら、出前して頂戴。私の車まで」
「かしこまりました」
「おじさまそれでいいですか」
「ありがとう」
梅雨に入った6月の寒い日であった。白のワンボックスカーに女性はテーブルをセットしてくれた。
「こんな僕に親切にしてくれてうれしいです」
「あたりまえでしょう。お腹が空いたって辛いでしょう」
セミロングの髪は後ろに束ねられていた。佐藤は親切な彼女に見とれていた。栗毛色の髪はもう少し長くなれば、ポニーテールが似合いそうな女性であった。
間も無く先ほどの女店員が、ラーメンを運んできた。佐藤の注文したネギラーメンであった。
「すみませんね。僕だけが食べて」
「私の番はまだですから」
「でも、気を利かせてくれて、あなたのも持ってきてもいいですよね」
「でも、あの店主は、いやいやながらッて感じだわ」
「ぼくはお金は少しですが持ってます。食い逃げする気はないですが・・」
「本当は、おじさまの洋服でしょう。今どき珍しいほどのぼろ服ですわ」
「でも、これは公園の水道で洗ったばかりです」
「そうね、臭いはそれほどではないな」
「すみません食べます」
「おじさま帰る家はあるの」
「どこでも寝られますから」
「私の家は広いから、少しなら泊まっていけば、元気になれるでしょう」
「甘えていいのですか」
「おじさまは良い人だとわかるから、主人も同意してくれるから」