『幸せの連鎖』(掌編集~今月のイラスト~)
「あ、今、もしかして見えちゃった?」
「いやいや」
「ホント?」
「ああ、一瞬だったんで良く見えなかった」
「あ~! ちょっとは見えちゃったんだ、でも、ま、いいか、親子だもんね」
家族旅行の最中、海辺で写真を撮っている時、風がちょっとした悪戯を仕掛けてきた。
友香子は風にはためくスカートを押さえながら、そう言って笑った。
(申し分のない娘に育ってくれたな……)
紀生はそう思いながらシャッターを切った。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
友香子は紀生と幸子夫妻の養子だ。
養子には特別養子と普通養子があり、特別養子は六歳未満に限られる、友香子が紀生夫妻の養子になったのは九歳の時だったから、当然普通養子になる。
特別養子の場合、産みの親と完全に縁を切って最初から養父母の子供であったかのように扱われる、実際には六歳なら親の記憶はあるだろうから大抵の場合はもっと幼い内に養子に迎え、実の子として育てる、戸籍を見ても嫡出子と記載されているから、養父母が真実を明かさない限り子供の側からは養子とは知らずに大人になることも少なくない。
それに対して普通養子は年齢に制限はない、戸籍上も養父母と養子と記載され、その事実を双方が納得の上で養子縁組するのだ、産みの親の名前も記載され、完全に縁を切るわけではない。
かつて、紀生と妻の幸子の間には一人娘の愛美がいた。
結婚して十年目、不妊治療の末にようやく授かった子供だったのだが、七歳の時に公園の遊具から転落すると言う不慮の事故で亡くなってしまったのだ。
交通事故なら加害者を恨むことで、病気なら出来る限りの手を尽くすことで、幾分かは気持ちも和らぐ。
しかし、自分で足を滑らせて転落したのでは誰も恨めない。
その日の内に亡くなってしまったのでは手を尽くしたと言う実感も持てない。
責めるとすればその事故を防げなかった幸子自身しかないのだ。
だが、普通七歳の子供であれば近所の公園になら一人で出かけて行く、いちいち付いて行く親などいない。
『その日』も、愛美はいつものように息せきって学校から戻ると、『ミルク頂戴』とキッチンに駆け込んで来て、一気飲み干すと『公園で○○ちゃんと遊んでくる』と玄関に駆け出して行った。
その背中に『車に気をつけるのよ』と声をかけたが、まさか公園で、などとは夢にも思わなかった。
愛美が新しいスニーカーを履いているのは見た、ディズニーアニメのキャラクターが描かれているもので、成長の早い子供のこと、ワンサイズ大きめのものを買い与えた、少しブカブカなのは気付いていたが、それが重大な事故に結びつくなどとは夢にも思わなかった。
だが、報せを受けて公園に駆けつけた時、今まさに救急車に乗せられようとしている愛美の足には片一方しかスニーカーがなかった。
事故を目撃した、小さな子供たちの母親の証言によれば、愛美は脱げかけたスニーカーを履き直そうとして屈み、バランスを失って頭から落下したのだと言う。
成長期の子供にワンサイズ上のスニーカーを与えるのはごく普通のことだ、幸子が自分を責める理由などない筈なのだが、熱望し、苦労してようやく授かって大事に育てて来た娘だ。
(もしあたしがピッタリのスニーカーを買ってやっていれば……)
そう思うといたたまれない、そんな気持が幸子を自責の闇へと押しやって行った。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「養子?」
「そう、考えてみないか?」
愛美が亡くなってから一年が経とうとしているのにまだ闇の中から這い上がることが出ずに塞ぎこんでいる幸子を見かねて、紀生はそう切り出した。
「だめ……愛美の代わりなんてどこにもいないわ」
「代わりと言うわけじゃない、愛美がいてくれたおかげで俺たちは子供の成長を楽しみに見守ると言う幸せを得られただろう? もちろん苦労も多かったが他の何にも代え難い喜びだった……違うかい?」
「ううん、確かにそうだったわ」
「俺は突然途絶えてしまったその喜びを復活させてくれる存在が欲しい、そういう気持なんだ、その意味では代役と言えないこともないかもしれないけど、決して愛美の代わりを求めてるわけじゃないんだ」
「……やっぱり無理、もし申し分のない子が見つかったとしても、きっと愛美みたいには愛せないわ」
「愛美と同じように愛する必要はないさ、その子をその子として愛せば良い」
「……愛美の事を忘れちゃったら、あの子が可哀想……」
「忘れる必要はないさ、俺だって忘れられっこない、でもこれは男女間の愛情とは違うよ、俺たちには子供は一人しか出来なかったけど、愛美にきょうだいがいたらきっと愛美と同じように愛したんじゃないかな」
「……それは……確かにそうかもしれないわね……」
「まだどこかに相談したわけでもないんだ、もし、そんな風に愛せそうな子がいたらってことだけどね……幸子が良ければ役所にでも相談してみるけど」
「……あなたに任せるわ……」
まだ少し投げやりな様子ではあるものの、幸子は嵐の中で小さな灯りを見つけた小船くらいの希望は見出せたようだった。
「お気持は伺いました、ありがたいことです、で、そういうことでしたらご希望に沿えそうな児童に心当たりはあります」
「本当ですか?」
「ええ、この子なんですが……」
児童相談書の職員が一枚の書類を紀生に差し出した。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
友香子もやはり一年前、八歳の時に両親を交通事故で一度に亡くしていた。
両親は共に施設育ち、同じような境遇である事を知って惹かれ合い、愛し合い、結婚して友香子を授かった。
地道に、そして幸せに暮らしていた親子だったが、知人の葬儀に二人で赴いた際に大きな事故に巻き込まれて亡くなってしまったのだ。
二人とも施設育ちだったと言うことは、頼るべき祖父母や親戚はないと言うこと、友香子もまた両親と同じように施設で暮して行く他はなかった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
二度目の児童相談所、今度は幸子も一緒だ。
「この子ですか……ご両親をいっぺんに亡くすなんて可哀想……さぞ淋しいでしょうね」
「俺たちがこの子の支えになってやれたら……この子が俺たちの支えになってくれたら、どちらも幸せになれると思わないか?」
「ええ……あの、この子に会うことはできますか?」
「もちろんです、ご主人からお話は伺いましたし、失礼ながら調査もさせていただきました、あなた方は里親候補として申し分ないですからね」
幸子は話を聞いて写真を見ただけでかなり心を動かされた様子だった。
友香子が愛美に似ていたなどというわけではない、紀夫夫妻と友香子の間の共通点は同じ時期に大事な家族を失ったということだけ、少しだが年齢だって違う。
だが、友香子の写真を見たとたん、幸子には感じるものがあった。
この子には守り、慈しんでくれる存在が必要なのだと。
そして、自分がその存在になりうるならば、それは自分にとっても幸せなことに違いないと……。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「いやいや」
「ホント?」
「ああ、一瞬だったんで良く見えなかった」
「あ~! ちょっとは見えちゃったんだ、でも、ま、いいか、親子だもんね」
家族旅行の最中、海辺で写真を撮っている時、風がちょっとした悪戯を仕掛けてきた。
友香子は風にはためくスカートを押さえながら、そう言って笑った。
(申し分のない娘に育ってくれたな……)
紀生はそう思いながらシャッターを切った。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
友香子は紀生と幸子夫妻の養子だ。
養子には特別養子と普通養子があり、特別養子は六歳未満に限られる、友香子が紀生夫妻の養子になったのは九歳の時だったから、当然普通養子になる。
特別養子の場合、産みの親と完全に縁を切って最初から養父母の子供であったかのように扱われる、実際には六歳なら親の記憶はあるだろうから大抵の場合はもっと幼い内に養子に迎え、実の子として育てる、戸籍を見ても嫡出子と記載されているから、養父母が真実を明かさない限り子供の側からは養子とは知らずに大人になることも少なくない。
それに対して普通養子は年齢に制限はない、戸籍上も養父母と養子と記載され、その事実を双方が納得の上で養子縁組するのだ、産みの親の名前も記載され、完全に縁を切るわけではない。
かつて、紀生と妻の幸子の間には一人娘の愛美がいた。
結婚して十年目、不妊治療の末にようやく授かった子供だったのだが、七歳の時に公園の遊具から転落すると言う不慮の事故で亡くなってしまったのだ。
交通事故なら加害者を恨むことで、病気なら出来る限りの手を尽くすことで、幾分かは気持ちも和らぐ。
しかし、自分で足を滑らせて転落したのでは誰も恨めない。
その日の内に亡くなってしまったのでは手を尽くしたと言う実感も持てない。
責めるとすればその事故を防げなかった幸子自身しかないのだ。
だが、普通七歳の子供であれば近所の公園になら一人で出かけて行く、いちいち付いて行く親などいない。
『その日』も、愛美はいつものように息せきって学校から戻ると、『ミルク頂戴』とキッチンに駆け込んで来て、一気飲み干すと『公園で○○ちゃんと遊んでくる』と玄関に駆け出して行った。
その背中に『車に気をつけるのよ』と声をかけたが、まさか公園で、などとは夢にも思わなかった。
愛美が新しいスニーカーを履いているのは見た、ディズニーアニメのキャラクターが描かれているもので、成長の早い子供のこと、ワンサイズ大きめのものを買い与えた、少しブカブカなのは気付いていたが、それが重大な事故に結びつくなどとは夢にも思わなかった。
だが、報せを受けて公園に駆けつけた時、今まさに救急車に乗せられようとしている愛美の足には片一方しかスニーカーがなかった。
事故を目撃した、小さな子供たちの母親の証言によれば、愛美は脱げかけたスニーカーを履き直そうとして屈み、バランスを失って頭から落下したのだと言う。
成長期の子供にワンサイズ上のスニーカーを与えるのはごく普通のことだ、幸子が自分を責める理由などない筈なのだが、熱望し、苦労してようやく授かって大事に育てて来た娘だ。
(もしあたしがピッタリのスニーカーを買ってやっていれば……)
そう思うといたたまれない、そんな気持が幸子を自責の闇へと押しやって行った。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「養子?」
「そう、考えてみないか?」
愛美が亡くなってから一年が経とうとしているのにまだ闇の中から這い上がることが出ずに塞ぎこんでいる幸子を見かねて、紀生はそう切り出した。
「だめ……愛美の代わりなんてどこにもいないわ」
「代わりと言うわけじゃない、愛美がいてくれたおかげで俺たちは子供の成長を楽しみに見守ると言う幸せを得られただろう? もちろん苦労も多かったが他の何にも代え難い喜びだった……違うかい?」
「ううん、確かにそうだったわ」
「俺は突然途絶えてしまったその喜びを復活させてくれる存在が欲しい、そういう気持なんだ、その意味では代役と言えないこともないかもしれないけど、決して愛美の代わりを求めてるわけじゃないんだ」
「……やっぱり無理、もし申し分のない子が見つかったとしても、きっと愛美みたいには愛せないわ」
「愛美と同じように愛する必要はないさ、その子をその子として愛せば良い」
「……愛美の事を忘れちゃったら、あの子が可哀想……」
「忘れる必要はないさ、俺だって忘れられっこない、でもこれは男女間の愛情とは違うよ、俺たちには子供は一人しか出来なかったけど、愛美にきょうだいがいたらきっと愛美と同じように愛したんじゃないかな」
「……それは……確かにそうかもしれないわね……」
「まだどこかに相談したわけでもないんだ、もし、そんな風に愛せそうな子がいたらってことだけどね……幸子が良ければ役所にでも相談してみるけど」
「……あなたに任せるわ……」
まだ少し投げやりな様子ではあるものの、幸子は嵐の中で小さな灯りを見つけた小船くらいの希望は見出せたようだった。
「お気持は伺いました、ありがたいことです、で、そういうことでしたらご希望に沿えそうな児童に心当たりはあります」
「本当ですか?」
「ええ、この子なんですが……」
児童相談書の職員が一枚の書類を紀生に差し出した。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
友香子もやはり一年前、八歳の時に両親を交通事故で一度に亡くしていた。
両親は共に施設育ち、同じような境遇である事を知って惹かれ合い、愛し合い、結婚して友香子を授かった。
地道に、そして幸せに暮らしていた親子だったが、知人の葬儀に二人で赴いた際に大きな事故に巻き込まれて亡くなってしまったのだ。
二人とも施設育ちだったと言うことは、頼るべき祖父母や親戚はないと言うこと、友香子もまた両親と同じように施設で暮して行く他はなかった。
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二度目の児童相談所、今度は幸子も一緒だ。
「この子ですか……ご両親をいっぺんに亡くすなんて可哀想……さぞ淋しいでしょうね」
「俺たちがこの子の支えになってやれたら……この子が俺たちの支えになってくれたら、どちらも幸せになれると思わないか?」
「ええ……あの、この子に会うことはできますか?」
「もちろんです、ご主人からお話は伺いましたし、失礼ながら調査もさせていただきました、あなた方は里親候補として申し分ないですからね」
幸子は話を聞いて写真を見ただけでかなり心を動かされた様子だった。
友香子が愛美に似ていたなどというわけではない、紀夫夫妻と友香子の間の共通点は同じ時期に大事な家族を失ったということだけ、少しだが年齢だって違う。
だが、友香子の写真を見たとたん、幸子には感じるものがあった。
この子には守り、慈しんでくれる存在が必要なのだと。
そして、自分がその存在になりうるならば、それは自分にとっても幸せなことに違いないと……。
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作品名:『幸せの連鎖』(掌編集~今月のイラスト~) 作家名:ST