⑤全能神ゼウスの神
戸惑う私に、イヴは嬉しそうに頷く。
「奴隷以来だもん。人間だった時、昇格していけばいくほど友は離れ、俺の地位と権力にたかるハエばかりが増えていったから。サタンとして神界に来てからも、それは変わらなかったし。どいつもこいつも、俺に跪き愛想笑いを浮かべて意見なんかしてこない。だから。」
イヴは私の頭を優しく撫でた。
「だから、めいが何の計算も遠慮もなく俺に話しかけてくるのが…めっちゃ嬉しかった。」
(…そうなんだ…。)
金色の光が広がると、イヴは眩しそうに目を細める。
「たぶん、リカさんも同じじゃないかな。あの人こそ、母親の身分は低くても王子だし、後継者争いに巻き込まれてたんなら、死ぬときまで周りは敵だらけだっただろ。…きっと、あの『姉上』が母親以外で唯一心を許せる人間だったんだろな。」
(…。)
二人が肩を寄せあってお互いを必要としていた姿を想像すると、胸が苦しくなった。
「神界ではゼウスだし…しかも、その唯一の存在を今は消さないといけないなんて…ほんとリカさんの人生って何なんだろな。」
イヴが苦しげに呟いた時、光が虹色に変化する。
その時、イヴがハッとした顔で撫でる手を止めた。
「…めい…。」
イヴが親指で、私の頬を撫でる。
その指は虹色に輝いていた。
「虹色の涙…。」
言いながら、イヴはその親指を口に含んだ。
すると、一瞬キラッと体が虹色に光って、疲労で青ざめていた頬に血の気が戻る。
「…ここでも、体液からはオーラを得ることができるんだ…。」
言うなり、その赤い瞳が怪しく光った。
突然艶を帯びたその瞳にとらえられ、私は固まる。
「イヴ…。」
詰まった喉から必死に声を絞り出すと、イヴが苦しげに瞳を逸らした。
「…なーんだ。」
口角を上げ軽い口調で紡がれた言葉は、全然軽くなく、低く掠れている。
「結局、キスひとつできねーってことかよ。」
再びこちらを向いた笑顔は、張り付けたように無機質だった。
「…イヴ…?」
私が首を傾げると、イヴはふいっと目を逸らし、ポケットからスマホを取り出す。
「えー…っと、リカさんの直近の記憶は~…。」
必死にいつも通りを装ってるように見えるけれど、なぜそう苦しそうなのかわからない私には掛ける言葉が思い付かない。
「あ、あったあった。」
イヴが私に向けたスマホには、魔導師たちが大勢映っていた。
『…なぜ早く消さないのかって訊いてるんです。』
『今のあなたの態度は、背任行為に当たる。』
『あの魔物を消すどころか、この館に招き入れるなど…何を考えているんですか!?』
声を荒げる魔導師たちを、リカはひとりひとり真っ直ぐに見つめているようだ。
「ギル…。」
リカの視線の先には、あの小柄な髭面の魔導師が写る。
『あなたの実姉とはいえ、あれはもう完全な魔物。気持ちはわかりますが、魔導師長としての役目を果たすべきだ。』
朗らかなギルから想像がつかないほど厳しい声色に、事態の深刻さを感じた。
『それができないなら、あなたを罷免するしかない。』
そうギルが告げた瞬間、画面が少し細くなる。
リカが目を細めたのかもしれない。
『…そ。すれば?』
少しくぐもった、無機質な声が響く。
「リカ…!」
思わず、名を呼んでしまった。
そんな私に、一瞬イヴが視線を向ける。
『罷免でもなんでもすりゃいい。…他に、魔導師長になれるヤツがいるんならね。』
冷ややかな言葉に、一斉に怒声が沸き起こった。
「イヴ!私を今すぐ魔導師の館に連れて行って!!」
思わずイヴの襟を掴むと、イヴが苦々しげに顔を歪める。
「…できんなら、してやるけどさ。」
そこまでの力がないイヴは、悔しそうにスマホの画面を消した。
「せいぜい俺にできるのは、リカさんにコンタクトとることくらい。」
「…リカ…!」
私はイヴの服から手を離すと、床に手をつく。
「フェアリーって…なんなの!?」
何もできない。
傍にいなければ、何の役にも立たない。
「ただオーラが強いだけの…役立たずじゃない!」
歯を食いしばって、床を拳骨で叩く。
そして声を上げて、思いきり泣いた。
「めい…。」
嗚咽する私を、イヴがぎゅっと抱きしめる。
優しく背中を撫でられ、とんとんとあやされた。
金色のやわらかな光に目を瞑り、その温かさと揺れる心地よさに身を委ねるうちに、いつの間にか意識がぼんやりとしてくる。
「俺がいるから。」
耳元で、低く甘い声がした。
「俺は、いつでも傍にいるから。」
繰り返される静かな声色は心地好く、いつしか深い眠りに落ちていった。
「ごめん…いったん帰るね。すぐ戻るから。」
意識の遠くで、そんな声が聞こえた気がする。
けれど深くまで沈んだ意識では、それが夢なのか現なのかわからなかった。
暗い闇の中をゆらゆらとさ迷いながら、リカを探す。
(リカ…ひとりで頑張らないで…。)
(私にも、荷物を背負わせて…。)
(ひとりで泣かないで…。)
(リカ…。)
リカを呼び続けていたその時。
唇に、やわらかな感触を感じる。
啄むように、何度も何度も重ねられるそのやわらかな感触に、私も眠ったまま応えた。
顔を傾け、角度を変えながら重なるそれを受け止める。
その感触を受け入れるたび、私の心は温かなものに満たされていった。
「…めい…。」
呼ばれた声に、意識がゆっくりと覚醒する。
その声は、心の中を幸せに満たしてくれるものだった。
(つづく)