⑤全能神ゼウスの神
避難
押し黙ったまま、建物の外に出る。
そこは、見覚えのある森。
(…魔界に戻った?)
(まさか本当にサタン様に…。)
不安になる私を無視してリカは少し歩いたところで立ち止まり、魔法を詠唱しながら杖で大きく円を描いた。
すると大きな魔方陣が出現し、小さな可愛らしい建物がポンッと現れた。
リカは私を連れて、その中へ入る。
「リカ…様、ここは?」
「黙れって。」
聞き取るのがやっとな小さい声で、鋭く遮られる。
(!?ここは…。)
中に入ると、そこは魔導師の館でのリカの部屋だった。
(あれ?外に出たよね??)
(魔法で出した建物に入ったよね??)
リカはカウチに近づくと、シャボン玉を割る。
そして、戸惑う私に手を伸ばし、無言で服を捲り上げた。
「…やっ!」
抵抗しようとするとカウチに押し倒され、簡単に腕を頭の上に縫い止められる。
「っリ!!」
金色の光が広がる中、涙声になりながらリカの顔を見た。
すると彼は思いがけず悲痛な表情で私の腹部を見つめていて、体から恐怖と力が抜ける。
チラリと見えたお腹には、ヘラ様に突かれたところに大きなアザができていた。
「…ごめん…。」
リカが、なぜか泣きそうな表情で謝る。
「?どうしてリカ…様が?」
抵抗しなくなった私の拘束を解くと、リカはそっと私の腹部に手のひらをかざした。
すると、その部分がほんのり温かくなり、痛みとアザが一瞬で消える。
「あ…。」
リカはアザが消えた場所に、唇を寄せた。
やわらかな唇が押し当てられ、胸がきゅっと甘く締めつけられる。
私の腰を抱き寄せ、リカは愛撫するように唇這わせ始めた。
私たちを包み込む光が虹色に変わる。
すると、突然そこを強く吸われ、チリっと痛みが走った。
「…ん。」
思わず甘い声が漏れた時、扉が開く音がする。
リカはすぐさま立ち上がり、私を背に庇った。
そして瞬時に凄まじい殺気を放ったリカの前に、黒い影が現れる。
「サタン様!」
(ほんとに、サタン様が現れた!)
(ていうことは、ほんとに私はサタン様に…。)
不安と悲しみで胸が押し潰されそうになりながら身を起こした私の前で、リカが小さく息を吐いて緊張を解いた。
そして、なにやら魔法を唱える。
「ロック。」
リカの言葉と同時に、鍵が掛かる音がした。
ふう、と息を吐いたリカは、私をふり返る。
「時空間を閉じたから、もう喋っていいよ。」
(!…追跡されないように、喋るなって言ってたんだ…。)
(じゃあ、ここはリカの部屋と同じ内装だけど、時空間の違う部屋ってこと…?)
私の心の呟きにリカは小さく頷きながら、サタン様に向き直った。
サタン様は肩で息をしながら私を一瞬見て、すぐにリカに鋭い視線を向ける。
「どういうことですか、リカさん。」
リカはそんなサタン様に答えず、再び斜めに私をふり返った。
「リカ…。」
思わずリカのシャツを掴むと、リカの唇がきゅっと引き結ばれ、への字に歪む。
リカは今にも泣き出しそうな表情で、私をジッと見下ろした。
そして苦しげに、振り切るように私に背を向けると、サタン様に向き直る。
「…頼んだよ。」
サタン様の肩をポンッと叩き、その一言だけで部屋を出て行こうとした。
握りしめていたシャツが手から離れてしまいそうになり、私は咄嗟にその腰にしがみつく。
「待って、リカ!」
パッと金色の光が輝き、サタン様の目が見開かれた。
「説明して!じゃないと、絶対離れない!!」
置いていかれる寂しさと悲しさと二度と会えないかもしれない不安に、私の体が小刻みにふるえる。
「…めい…。」
掠れた声で、名を呼ばれた。
リカはふりほどこうと思えば簡単にふりほどけるだろうに、そのままジッとしている。
すると、金色の光が虹色になり始めた。
「…せっかく決心したのに…。」
ふるえる低い声に、サタン様と私は同時にリカを見る。
すると、リカは身を翻してふり向き、そのまま掻き抱くように私を抱きしめてきた。
「!」
息をのんだ瞬間、乱暴に唇が重なる。
唇を割るように無理やりリカの熱が侵入し、全てを奪うように荒々しく、より深く、角度を何度も変えながら口づけられた。
激しく掻き立てられた快感に身体中から力が抜けてくると、眩しい虹色の光の中でリカに更に力強く抱きしめられる。
「ん…ふ…。」
「…はぁっ…。」
互いに息継ぎの為、同時に唇が離れた。
「…ここは、まだ未開発の時空の間(はざま)…。」
リカの乱れた吐息が、甘い香りを纏いながら私の唇を撫でる。
「サタンだけに、ロック解除の魔法を教えてる。」
リカは唇をかすめながら、囁くように言葉を紡いできた。
「ゼウスも…何者も、この時空間には入れない。だから…事が済むまで、ここに居な。」
(事が済むまで…?)
リカは私の頬を撫でながら、ちゅっと音を立ててもう一度、口づけを落とす。
「今度こそ、守るから。」
(守る…って…)
(まさかリカ)
そう思った時には、リカは私から離れていた。
一瞬にしてかき消えた、温もりと虹色の光。
「待って、リカ!ひとりで抱え込むつもり!?」
叫んだけれど、リカはふり向かない。
「守ってくれなくていい、って言ったでしょ!!」
涙が溢れた。
すると、リカが奥歯を噛みしめる。
けれど、やはり何も言わずにそのまま部屋を出て行こうとした。
「ダメ!リカをもう、ひとりになんかしないから…。」
再び必死にリカにしがみついていると、扉とリカの間に黒い影が立ち塞がるのが見える。
「俺も、めいちゃんと同じ気持ち。」
顔を上げると、サタン様の赤い瞳がリカを鋭くとらえているのが見えた。
「突然、城に意識を飛ばしてきて『めいを守ってくれ』の一言だけ言ってさ。魔王様を呼びつけたからには、それなりの理由を聞かせてもらわなくちゃ、頼みは聞けませんね。」
魔性の色気を纏った笑顔を浮かべるサタン様に、リカは無機質な視線を向ける。
今だって、突破しようと思えば簡単に私たちを振り払うことができるはず。
だって、あのゼウスの陽でさえ手も足も出なかったんだから…。
それなのにただジッとしているのは、きっと迷いがあるから。
「リカ。」
私はリカの小指に、自分の小指を絡ませる。
やわらかな金色の光が、そこに灯った。
本心を言葉にするよう指を小さく揺すって促すと、リカがふぅっとため息を吐く。
そして諦めたようにドサッと音を立ててカウチへ腰を下ろし、身を沈めながらくしゃりと黒い前髪を握りしめた。
私とサタン様は視線を交わし頷き合うと、真向かいのカウチに並んで座る。
「…さっき時空の間(はざま)で見つけたヘラは…魔物だ。」
リカは天井を仰いだまま、目を瞑った。
「魔物?」
サタン様が驚くと、リカが小さく頷く。
「ヘラは私がゼウスから堕ちた時、負のオーラに侵されていた。あの力の爆発の時に、そのまま消滅するはずだった。けど…その負のオーラのせいで魔物を呼び寄せ、たぶん一瞬の隙に魔物に喰われたんだろ。」
サタン様はスマホを取り出すと、自らの記憶を巻き戻した。