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短編集22(過去作品)

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白いスーツ



                 白いスーツ


「キンコーン」
 乾いた音がフロアーにこだまする。赤い絨毯に敷き詰められたフロアーの前にあるエレベーターの扉が音もなく静かに開くと、そこには一人の男が立っていた。
 男の身長はスラリと高く、それこそ入り口の扉に頭を打つのではと錯覚するほどであった。しかしそれはもちろん錯覚で、細身の体型がそう思わせるのかも知れない。
 男はパリッとしたスーツを身に纏い、紺のスーツはまさしくホテルのロビーに相応しいいでたちであった。
 細身に見えるのは、身体にピッタリとフィットしたスーツのせいかも知れない。それでもエレベーターを出てから歩き出した姿を見ると、足の長さはかなりなもので、かなりもてるタイプであることは間違いないだろう。
 背筋をキチンと伸ばした歩き方、唇を真一文字に結び微動だにしないその表情は、クールで几帳面な性格を表わしている気がして仕方がない。
 性格は歩き方に出るともいう。まさしくこの男の歩き方には品があり、大人の男の雰囲気を醸し出している。
 絨毯を敷き詰めているため、せっかくの革靴の音も足元に吸収されてしまう。歩き方がキチンと足を上げた歩き方をしているため、絨毯をこすることもなく、いかにも足音一つ響かせず、通路を歩いていた。
 男の年齢は三十代後半くらいであろうか、少し黒ふちのかかったメガネをしていて、髪型は中途半端に真ん中から分けられている。紳士という言葉すべてを男に当てはめるとして、唯一そうでないことに安心するとするならば、その中途半端な分け方をしている髪型くらいであろう。何となく安心している気がするのは気のせいだろうか?
 しかし、おかげでその男が誰だか分かったのだ。
 その男が誰だか分かると、実際に今私が見ている状況が何であるか、一目瞭然である。それを漠然と感じているのも、状況から考えれば当然のことであった。
――これは夢なのだ――
 目の前を規則正しく歩いている男、それは私自身である。しかも今までにしたこともないような正装、確かに仕事でネクタイを締めることはあっても、仕事柄、あまりスーツを着ることもないので、ピンと来なかった。それでも、鏡でも見ない限り自分の姿を見ることなどないのに、よく自分だと分かったものだと、感心もしていた。
 次第に視線は男のものに変わっていた。客観的な視線から主観的な視線に変わっていたのだ。
 しかし、交互にやってくる気もした。男の目線に変わったかと思えば、男を見る視線に変わっていることもあるのだ。その変化に規則性はない。ないがゆえに、夢だと思うのだろう。
 果てしなく奥まで続くように感じられる廊下、明らかに歩きながら部屋番号は確認している。きっと目指す部屋があってそこを探しているのだろうが、それにしても奥まで続く廊下の果てしなさだけが感じられた。
「一○○七」
 この部屋番号の前で立ち止まった。ひときわ大きく見えるその部屋番号に私は手に持っているルームキーを確認した。
「一○○七」
 まさしく同じ番号である。
 自分を見つめるもう一人の私に視線が変わった。何とも釈然としないその表情に憤りのようなものを感じているようで実におかしな表情をしている。
 それでも私はキーを鍵穴に勢いよく指し込み、力を込めて右に回した。
 当然のことながら、勢いよくまわされたキーによって部屋の扉が開いた。またしてもその時の私の表情はおかしなもので、まるで苦虫を噛み潰したような、「歯がゆい」感じの表情になっていた。
 ゆっくりと扉を開こうとする。今まで真空状態に近いと思っていた通路に風が吹いたような気がして、「ブーン」という機械音のようなものが、耳の奥に響いたかと思うと、それが次第に耳鳴りのようになり、そのうち高原病のように耳が詰まったかのような感じすらしてきた。
 冷たく重い扉を一気に開けることなど私には不可能だった。中から漏れてくるであろう暗闇からの冷たい空気を感じることがなかなかできないことが、私に不安を与えた。まさしくそこは私の考えていた暗闇ではない。むしろ点いているルームライトの明かりのためか、中からは暖かい空気を足元から次第に感じることができるのである。
 もちろん予感がなかったわけではない。しかし、誰もいないはずの部屋からの明かりには、さすがに驚きがないといえば嘘になるのだ。
 しかし本当に誰もいないと思っていたのだろうか?
 もし、扉が開いて人がいるとすれば、それは私にとって待ち人であるということを予感していたのかも知れない。足元から流れてくる暖かい空気に、私はその予感が当たっていることを感じているのだ。
 胸の高鳴りを感じる。中にいると感じているのは女性である。その証拠に入り口に置かれている黒いハイヒールが光っているのが、目を落とした瞬間に最初に飛び込んできたからである。
 視線を落としたのは無意識にだった。扉を開けた瞬間に入ってきた暖かい風は足元からだったからに違いないが、そこにハイヒールが置かれている光景に違和感を感じていなかったからでもある。
――以前に一度見たことのある光景――
 それが違和感を感じさせない最大の理由だった。
 ハイヒールの形自体にも見覚えがある。私と会う時には必ずその靴を履いてくるような気がする。私と一緒にいる時に買った靴だからだ。
 私も靴を脱ぐと、自分の革靴をハイヒールの横に並べた。いかにも靴の大きさの違いを思い知ることができる。私の靴がふたまわりくらい大きく見え、そのため、私の靴がさらに大きく、女性の靴がさらに小さく感じる。入り口の中途半端な明るさが、そう思わせるのかも知れない。
 恐る恐る室内へと入っていく。中から暖かい空気が入ってくればくるほど、空気の流れに違和感がある。奇妙な感覚だった。
 バスルームに明かりが灯っている。しかし、そこにシルエットはなく、中から音も聞こえない。部屋の中に進めば進むほど、明かりが暗く感じるのだ。
 バスルームの明かりだけで、中まで進んできた。ベッドルームのヘッドスタンドが薄暗くついていた。目が慣れているせいか、ベッドの緩やかな隆起を見ることができる。
 そこにはとても人がいる気配などなかった。バスルームに電気がついていることも、本来なら不自然なはずである。だが、薄暗さを演出するためについている明かりが私に違和感を与えない。
 誰もいないことでの脱力感がある。それはかなりなものであることは想像できる。しかし、そこにはホッとした気持ちがないわけではなく、脱力感を感じると余計にホッとした気持ちが強くなった。不思議なものである。
 ゆっくりと中に進んでみる。
 普通に歩いているつもりでも何となく平衡感覚をとることができないのは、通路の狭さに原因があるのかも知れない。狭いところが苦手な私は、薄暗い明かりに白壁が薄っすらと浮かび上がっている光景を、どこが角なのか、ハッキリと認識することができないでいた。
「おっとっと」
 出してはいけない声が漏れてくるのを抑えるのは、なかなか難しいことだった。声を出していないつもりでも、微妙に出ていたかも知れない。
作品名:短編集22(過去作品) 作家名:森本晃次