小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

蘭陵王…仮面の美少年は、涙する。

INDEX|7ページ/17ページ|

次のページ前のページ
 

Hồ は私に手を振り、笑いかけて、私も笑いかけた笑顔を、そして私だけ無理やり元に戻した。今、私が笑っていいのかどうか、私は知らない。彼らは笑いたければ笑った。死体の目の前だったとしても。とはいえ、外国人が仮に彼らと同じようにした場合、彼らの目にそれがどう映るのかをはわたしは知らない。 Hồ は美しい少年、あるいは青年だった。少年と言う言葉も青年と言う言葉も、いずれも適切さを失効する十代半ばの彼は、確かに私自身もかつては確実にそうだったのだが、表現されきらないあいまいなあの年齢の気配をあからさまに体中で濫費していた。彼は、彼がいつもそうであるように、泣き乍ら笑っているような表情で遠くから私に手を振り、光に当たった白ずんだ庭の真ん中近くで、無造作に灼けた肌とサイドだけ刈り上げられた髪の毛の前髪の額にたれかかるのを木漏れ日はしずかに照らし出した。地の顔立ちが表情豊かなであるために、逆に、何を考えているのか察しづらい。こぼれるような笑顔はすぐに、そして Hồ はココナッツの木の上を逆光の中、狩人の眼差しで見上げた。ここには Thô の家族の3世帯が住んでいる。Hồ は Thô の短命で亡くなった孫の一人っ子だった。一人しか作ら、あるいは、れなかったというよりは、もう一人生まれる前に、彼らのほうが死んでしまった。Hô がまだ三歳か四歳か、十年以上前に彼らは交通事故で未生の一人もろとも二人とも死んだ。親が死んだとしても、そして誰かが引き取ったというわけでもなくここにいさえすれば誰かしらが Hồ を育て、いずれにしても Hồ は育つことができる。小学校ぐらいは出たのだろうか、今は何もしていない。いつもどこかにいて、誰かが彼に何かを与える。美しい Hồ はいつも多くの友人たちに囲まれ、取り巻きに囲まれた彼を町で見つけることはよくあったが、Hồ が自分で金を払っているのを見たことがない。友人とは従者であって、従者は彼のために自らの多くををささげなければならない。どんなときであっても。一度、川沿いの道路に止めた数台の彼らのバイクの前で、Hồ が一人をひざまづかせ、その額を足蹴りにしているのを見たことがあった。Hồ より年上の、二十歳を少し超えているらしい彼は、にもかかわらず、世界が終わったような顔をし乍ら、Hồ に早口に何かを乞うのをやめない。Hồ は何も言わずに見下ろすだけで、取り巻きたちは彼を、許しえない禁忌に触れた穢れたものを見る目つきで捕らえて、隷属した眼差しのうちに Hồ に同意し続けた。無言で、あるいは意図的に怒りを含まされた言葉の群れとともに、それは、カルトのリンチを見るような、凄惨な印象すら与えた。この、集団の中で一番小柄な少年、正確に言えば、少年と言う言葉と青年と言う言葉の危うくすれ違い得たあいまいな距離感の中に生息した存在は、相変わらず泣きながら微笑んだような顔を少しも変えることなく、ひざまづいた従者の言葉を聞いてやったが、安らかな、とは言い難い顔を晒して、Thô の遺体は横たわっていた。何かに驚いた瞬間に、唐突に何かを思い出したような、そんな表情を硬直させたまま、口を「う」と「い」の形のあいの子のようにわずかにひらいて、彼はまだ目を開けたままだった。解けないままの死後硬直のために誰も閉じてやれないに違いない。触れる気にはならなかった。死者の目は何を見るわけでもなく、ただ、開き、あの画家に会いに行ったとき、それは Nam と二人で彼の家まで行ったのだったが、あれは、一年前の夏の手前、日本なら桜の花も散りきって緑色の頑強な大木になっているころには違いなかった。偶然、画家の住所を知った私は大した興味があるわけでもないままに、Nam のバイクの後ろに乗ったのだが、ダナン市のはずれ、夏やいだ日差しの照る車道を切って、それほど遠くないところに画家は、彼の甥に当たるらしい家族たちの家に住んでいた。ほんの数十年前まで、単なる海沿いの地方都市のひとつに過ぎなかったここは、政府の方針によって、観光地として急速に整備され、再開発されていた。ラオスから流れ込み町を分断する泥色の濁流をしずかに湛えた川は、かつて一本の華奢な橋しか掛けられていなかったものの、今、それぞれにライトアップされた六本の橋を持つ。いまだに終わりなき再開発の途上であって、中心部からほんの少し離れれば、突然に買収されたままの広大な更地が雑草をけなげに茂らせて広がり、新しく美しい瀟洒な観光地をあらあらしく分断する。建築中の大規模施設とその周囲の未整備な廃墟のような空き地は交わることなく共存しあう。もはや、かつてのダナン市はどこにも存在しない。と同時に、夏草の照り返しの中に、そこはいまだ開発中なのだから、ダナン市の現在などいまだ存在し得てはいないのだ。ならば、私が住んでいるダナン市は、どこに、それは何なのか?この、画家の住んでいる家は、いくつかの、これらの唐突な廃墟の先にあった。住所のメモ書きを時々、胸ポケットから出して確認し、そして道に迷い乍ら、Nam は私を彼の住居に連れて行く。昼下がりの深い時刻で、日差しはやや落ち着きつつあり、すべての街路樹の根元には白いペンキがぬられている。間口の狭く、奥に細長い真新しい住居の前のプラスティックの赤い椅子に身を投げて、画家は、時々右手だけを上下させていた。この男が画家だということはすぐにわかる。He ? とNamは私に言い、Dạ... わたしは答える。彼か?そうです。私は知っている。彼の顔を。現実に目にする彼の顔は、デジタル画像の、どこか凄惨な印象はなく、人間の顔の単なるファニーな出来損ないのように見える。駐めたバイクから降りながら、Chào chú ơi と Nam は彼に挨拶するが、彼は何も答えない。何も見てはいない。何も聞いてはいない。Nam の握手に差し出された手は空中に静止するだけで、にもかかわらず何度か声はかけられ、Nam は泣きそうなほどに大袈裟に顔をゆがめてわたしを振り向き見る、だめだよ、彼は生きているだけだ、と。私は知っている。Nam はそう言った。画家は老け込んだ四十代にも見え、若々しいというわけではないが、人間が何の悩みも感情も無く適切に生命管理をされながら六十年生長したらこうなるのかも知れない、実年齢を推測しにくいつるんとした顔立ちをしている。ただ、樹木の肌のように自由にゆがんでいるだけだ。髪の毛はほとんど剥げ落ちているが、加齢のためのそれなのか、身体の障害あるいは治療の副産物なのか、もともとそうだったのか、私にはわからなかった。彼の顔を容赦なく覗き込んだ後、Nam は言った、Broken…



何が?

何が壊れている?