旧説帝都エデン
ピンク猿の動きは軽やかで、やわらかい床などものともせずに、奇声をあげながら飛び跳ねてくる。
時雨は逃げることも考えたが、足が床に掬われるのがオチだろうと思い、逃げずに床の上をゴロゴロしながらピンク猿が来るのを見守った。
ピンク猿たちは時雨の周りに群がり、奇声を合図に時雨の身体を持ち上げた。
まるで荷物扱いの時雨は何どもその場で胴上げされ、まるでそれは勢いを付けるためにやっているようだった。
時雨がもしやと思った時にはすでに、彼の身体は天井高く投げ飛ばされ、天井にあった扉にぶち破って別の部屋に移動していた。
大きな大きな部屋の中に時雨がぽかんと立っている。大きいと言っても広さだけのことを言っているのではない。家具も柱も電灯も、全てが巨人サイズなのだ。
大木のようなテーブルの足にもたれかかった時雨はため息を吐き出した。
「ボクが小さくなったか、それとも部屋がデカイのかなぁ」
どちらにしても時雨がこの部屋に比べて小さいということは変わりなく、遠くに見えるドアノブには手が届きそうもない。
時雨が重い足取りで部屋を散策していると、壁に時雨がちょうど通れるくらいの穴を見つけた。穴はアーチ型の門の形をしている。しかし、なぜ、こんなところに穴が?
穴の奥で何かが光った――それも2つ。
「ネズミかっ!」
穴から飛び出して来たネズミが鋭い前歯で時雨に襲い掛かる。
ロングコートの裾を大きく振り上げ時雨が華麗に飛ぶ。その手には光り輝く妖刀村雨が握られている。
魔鳥のごとく時雨は獲物に向かって降下する。
迸る紅。
悲鳴をあげるネズミ。
妖刀をネズミから抜き、一息ついた時雨の耳に鳴き声が聞こえた。チュウチュウという鳴き声は、まさにネズミだった。それも1匹や2匹といった鳴き声には聴こえない。
壁に空いた穴からネズミが滝のように流れ出てくる。蒼ざめた顔をした時雨は逃げた。
止まることなく出てくるネズミから、時雨は全速力で逃げた。これほどまでに必死に逃げたのはどこかの女魔導師に追いかけられた寒い冬の日以来だ。
走る時雨の背中では、灰色の波が今にも時雨を呑み込もうとしている。
部屋は広いといえど、全てが大きいために隠れる場所もなく、少しずつ部屋が灰色に侵食されていく。
時雨はテーブルの足をよじ登り、テーブルの上から下を見回した。床はすでに灰色で埋め尽くされ、波打ち蠢いている。
「ここまでは来れないみたい」
ネズミが上がって来るようすはない。どうやら一難を逃れたようだ。しかし、一難去ってまた一難。チェス盤の上にあった駒が動き出したではないか!?
チェスの駒はヒト型をしており、動いた駒の数は全部で五体。
騎士[ナイト]が地面を跳躍し、レイピアによる一撃を時雨に仕掛ける。時雨は素早くそれを躱すが、背後からの打撃を受けて地面に転がった。
床に転がった時雨に兵士[ポーン]が拳を振り上げ襲い掛かる。妖刀が光を吐き出し兵士の身体を貫いた。
砕け散る兵士の欠片の先から騎士が襲い掛かって来る。時雨は床を転がりながら一撃を避けると、すぐさま騎士に妖刀を振り下ろした。だが、その前に壁が立ち塞がる。妖刀が弾かれた。
時雨の前に現れたのは城兵[ルーク]であった。
雷光が横に走る。僧正[ビショップ]から放たれた雷光をし、時雨は辛うじてそれを避けると妖刀を横に振った。それは城兵に塞がれてしまい、その先には妖艶に笑う女王[クイーン]がいた。
相手の数が多い。時雨にとってこの戦いは明らかに不利だった。
騎士の疾風のような攻撃を避け、僧正の呪文を避け、不可思議にいつの間にか真後ろに立っている女王に攻撃をしようとすると城兵にブロックされる。
跳躍する騎士。時雨は賭けに出た。
騎士の握るレイピアが時雨に突き刺さる瞬間、時雨は紙一重で避けて騎士の腕を掴むと、そのまま後ろに投げ飛ばした。騎士がテーブルから落ちて灰色の海へと飛び込んだ。もう騎士がどうなったかはわからない。
時雨は戦略を立てる。今戦っている駒は白だ。だとすると……。
辺りを見回した時雨は目当てのモノを見つけ出した。物陰に隠れている王[キング]。あれを討ち取ればチェクメイトだ。
地面を蹴り上げ時雨が宙を舞う。
妖刀を振り下ろそうとした時雨の前に城兵が立ち塞がる。辺りに硬い音が鳴り響き、時雨の身体が後方に吹き飛ばされる。
「やっぱり無理か……」
舌打ちをした時雨は狙いを替えて僧正に刃を向けた。
雷光を紙一重で避けつつ、時雨は僧正に一刀を喰らわす。しかし、また城兵によって塞がれると思いきや、時雨は妖刀を王に向かって槍のように投げつけた。地面を高速で飛ぶ槍が駒を貫く。だが、貫かれたのは王の前に突如として現れた女王だった。
女王の身体が砕け散り妖刀が地面に落ちる。
時雨は全速力で走った。後ろからは僧正による雷光が襲い掛かって来るが、時雨は見事なまでにそれを躱し、地面に落ちている妖刀を拾い上げると王に向かって振り下ろした。
砕け散る王。それとともに滅びる僧正と城兵。
王が砕け散ったその場には、赤いキノコが落ちていた。
時雨はキノコを手に持ってまじまじと見つめる。
「この部屋を出るためのアイテムかもしれないけど……」
あまりの毒々しさに食欲はわかなかった。だが、食べる以外のキノコの使い道とはなんだろうか?
大分長い時間考えた挙句、結局時雨はキノコを食べることにした。
恐る恐るパクリとかぶり付くと、以外なことにほっぺたが落ちてしまいそうなくらい美味しいではないか。時雨はすぐに全てをたえらげてしまった。
キノコを食べても何も起こらない。しばらく待ったが何も起こらない。
「そんな莫迦なぁ」
食べる以外にどんな使い道があったというのか?
「もしかして、ネズミに食べさせるとか……」
その選択肢もあったかもしれない。しかし、時雨の選択は間違っていなかった。
徐々に時雨の身体が膨れ上がっていく。2倍、3倍、4倍……。そして、身体のサイズは部屋ぴったりになった。これでようやくドアノブに手が届く。
ネズミたちは時雨に恐れを成して巣に戻り、ドアノブに手を掛けた時雨の手が強張る。
「鍵閉まってんじゃん!」
声を荒げながら時雨はドアノブを乱暴に回したり、押したり引いたりしたが、びくともしない。
「そっちがその気なら、こっちはこの気だ!」
びしっと剣先をドアに突き付けた時雨は、大きく腕を振り上げてドアに一刀両断しようとした。が、しかし、ドアは妖刀を取り巻く光の粒子を吸い込んでしまった。村雨敗れたり――。
時雨は柄に付いたボタンを何度も押すが、柄から光の刃が出ることはなかった。妖刀村雨のエネルギーを全てドアに吸収されてしまったのだ。こんなことは前代未聞だった。
「反則だよ。ボクから村雨を取ったら、ただの人なんだぞコンチキショー!」
時雨は怒りに任せてドアを蹴飛ばした。すると――足が痛いだけだった。
ここは大人しくドアの鍵を見つけるしかなさそうだ。
部屋中を隈なく探したが鍵は見つからない。最悪のケースを想定すると、この部屋に鍵がないというケースがある。
椅子にもたれかかった時雨は部屋を見回す。
作品名:旧説帝都エデン 作家名:秋月あきら(秋月瑛)