暁の獅子 黄昏の乙女
先に着替えを済ませたリオンが、城まで出掛けるからと馬車の用意を頼んでおいたのである。
「いっていらっしゃいませ」
丁寧な挨拶で送り出した主人に見送られて、二頭立ての馬車は都の中央に聳え立つ王城へ向かった。
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都の外では閉めていた室内のカーテンを開き、馬車の中から街並みが見えるようにしたまま城へ向かう。
馬車道の街路樹の間に、路面を照らすようにだろう薄い白紙が巻かれた硝子の筒で囲まれた蝋燭で出来たランプが並んでいる。
歩道の角には、人が届かない高さに同じ造りのランプが設置されている。
馬車道を横断する橋の欄干にも一定の間隔を置いてランプが並んでいる。
「この街は夜に出歩くのに困らないようになっているようね」
「そうでございますねぇ。冬は日が短いですから助かりますけど、夏は日が長いですから、街灯に火が入る頃まで外にいなければならないようだと大変ですよねぇ」
「……エレンの発想は楽しいわね」
「はい?」
クスクス笑う主人にエレンはきょとんとする。
歩いてもさほどでもない距離だったが、田舎貴族とはいえ貴族としての体面を保つ為に馬車を使ったので、早々に城に着いた。
都に着くまで、長々と馬車に乗り続けてきた時間から比べるとあまりにもあっさりと着いてしまったので、エレンはつい拍子抜けした表情をしてしまった。
「エレン……」
そっと、シルヴィーが窘める。
エレンは、自分の頬を隠すように両手を添えて包んだ。
エレンの新しい年下の主人は、普段はとても優しく口煩い事は何一つ言わないのだが、緊張感を欠いてはいけない場面で気を抜く事は決して許さなかった。
「……申し訳ありません。お嬢様」
首を竦めるエレンに、シルヴィーは眉尻を下げて小さく吐息を吐いた。エレンは感情を素直に表すだけなのだと理解っている。
しかし、これからシルヴィーが赴く所は仮にも王宮なのだ。手の裡を晒す事が当たり前になってしまっていては、いざという時に身を守れない。
エレン自身の為に、シルヴィーは本音を隠す術を身に着けて欲しかった。
例え何があっても、エレンが自分の身を優先してくれるようになって欲しかった。
「エレン。王宮という所は決して緊張感を抜いていていい場所ではないものよ。身を守る為にも、本音を隠す術を身に着けていってちょうだいね」
「はい、お嬢様」
シルヴィーは自分の目的を棚に上げて、素直に頷くエレンを、きっと無事に逃がしたいと思った。
「さあ、ここからは正念場よ」
城の正門前の広くなった所に停めた馬車から城の建つ島へ渡る為の橋を見上げて、シルヴィーが呟く。
真剣な光を浮かべている菫色の瞳の輝きの強さはヴェールに隠されている。
堀の手前で番をしている衛兵が二人、馬車に近寄る。
「ご身分とご用件を」
誰何してくる衛兵に、リオンは王の花嫁選考会に参加する為に来たフルール伯爵令嬢だと告げる。
身分証を求めてくる衛兵に、御者台にいるリオンは馬車の中の主人がビジュー侯爵の招待状を持っていると言い、その言葉に衛兵が馬車の窓に近付く。
シルヴィーはバッグの中から出した招待状をエレンに託し、エレンはそれを衛兵に翳して見せた。
衛兵は招待状の蝋封の印章がビジュー侯爵の印章に間違いない事を確認すると、丁寧な態度で馬車が橋を渡る事を促した。
「係が着きますから、その案内に従って下さい」
衛兵が説明している間に、騎乗した男に先導された馬車が橋を渡ってきた。
城の中から出てきた馬車が橋を渡り切ると、先導してきた馬が馬車から離れると、立派な家紋が入った馬車はスピードを上げて走り出した。
「アンリ。次の方のご案内を頼むぞ。ビジュー侯爵様からの招待状をお持ちの方だ」
「了解」
アンリと呼ばれた男は馬を巡らせてシルヴィー達の乗る馬車の前に回る。
「どうぞ俺に続いて下さい」
リオンは頷いて、アンリの駈る馬の後に続いてゆっくりと馬車を出し、二頭立ての馬車は静かに橋を渡っていった。
橋は馬車1台分の幅だが、開かれている城門を潜ると、石造りの広場がある。
広場から奥まで続く馬車道の両脇には草原が広がり、馬車が往復出来る広い馬車道は大きな建物へと繋がっている。
馬車を進めていくと正面に広い馬車止まりの場があり、リオンはアンリに続いてスムーズにそこへ馬車を停める。
アンリはシルヴィー達に馬車から降りてそこで待つように言った。
シルヴィーとエレンはバッグだけを持って馬車から降りる。
降りてきた二人の内の一人がヴェールを被っている事に驚いたアンリは咄嗟に声を呑む。
「……馬車を向こうへ寄せて御者は馬車に着いてここで待つように。俺の馬は置いていくのでついでに番をしていてくれ」
リオンが頷くと、アンリは馬車を先導した。
正面から少し離れた所まで先導すると、他に止まっている馬車の隣に並ぶように案内した。先に止まっている馬車の隣にも無人の騎馬が停まっている。
リオンはその馬車が出る時に邪魔にならない位置に馬車を停めた。
アンリは馬をリオンに預けてシルヴィー達の元へ戻ってくる。
「お待たせしました。こちらからどうぞ」
アンリの先導で正面から中に入っていく。
開かれたままの正面の扉の向こうでは、広いロビーの端の方に王の花嫁選考会の受け付けの為の場所が用意されていた。
大理石のテーブルに壁を背にして椅子が据えられ、そこにペンと書類を持った役人らしき男性が座っている。その向かいにはソファが置かれ、そこには美しいドレスに身を包んだ若い女性が座り、その後ろに侍女らしい女性が立っている。
間隔を開けて数台、そんなテ-ブルガ並ぶ。
アンリは、ソファに誰も座っていないテーブルに案内する。ヴェールを被ったシルヴィーがソファに座り、その後ろにエレンが当然の顔をして立つ。
受付担当の役人は僅かに顔を顰めたが、冷静な顔を作って書類をシルヴィーに差し出した。
「こちらにお名前などの必要事項を書き込んで下さい」
書類には名前や年齢、招待状の送り主の名前、趣味・嗜好などを書き込む欄がある。
綺麗な字で書き込まれた書類を受け取った役人は、書面の字を見て深く頷くと、丁寧な扱いで書類箱に入れた。
そして、コホン、と一つ咳払いをする。
「フルール伯爵令嬢、シルヴィー・エスプリ・ド・フルール様。……その、申し訳ありませんが、ヴェールを上げて頂けませんでしょうか?」
「……お断りします」
静かではあるもののきっぱりとしたシルヴィーの返事に、役人は鼻白む。
「理由をお尋ねしたいものですが……」
「私は陛下の花嫁候補の筈ではありませんの?」
「確かに受け付けは済みましたが、失礼ながら、ご容姿も審査基準に入っております」
「目も当てられぬ容姿ではないつもりですわ。それに最終審査にも残れないようなら恥ずかしくて顔を晒したくはありませんわ」
「それは……」
「最終審査に残れましたらヴェールを取りますわ」
シルヴィーのその言葉に、応対していた役人は顔を顰める。
「つまり、最終審査に残れるまでは顔を見せないおつもりという事ですね」
役人は眉尻を撥ね上げた。
作品名:暁の獅子 黄昏の乙女 作家名:亜梨沙