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暁の獅子 黄昏の乙女

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第1章




 ガラガラと轍の回る音が馬車の車内まで響いてくる。
 車内には、撓やかな絹のドレスに身を包んだ17,8歳くらいの少女と、少し質は落ちるものの綺麗に手入れの行き届いたドレスに身を包んだ少し年上らしい女性が向かい合って座っている。
 少しずつ馬車のスピードが落ちて、やがて道端に寄せられて止まる。

「リオン? どうかしたの?」

 御者台に座っている従者が馬車のドアを開けたのに驚いて、上質のドレスに身を包んでいる少女が問い掛ける。

「カストルの都・オーブが見えて参りましたのでご覧になると宜しいかと思いまして、馬車を止めました」
「まあ。お嬢様。カストルの都・オーブは『暁の都』と云って、この地で一番美しい夜明けを見られると云われている都ですわ」
「エレン」
「私のような田舎育ちの者にとっては憧れの地ですのよ」

 エレンはそう言って瞳を輝かせながら、最近自分の主人になった年下の少女を見つめた。
 今朝方四苦八苦してエレンが結い上げた撓やかな髪は、夜空に浮かぶ銀の月。
 意志の強さを秘めていながら、静かな光を湛えている瞳は紫水晶。
 華奢で撓やかな肢体を絹で織られた上質のドレスに包み、淑やかな振る舞いで清楚に微笑む姿は、一流の貴婦人もかくやとばかりの美しさだ。
 シルヴィー・エスプリ・ド・フルールという17歳の田舎貴族の姫は、近く都で開かれるこの国の王の花嫁選びに参加する為に、唯一人の従者であるリオンを伴ってエレンの住む町に現れた。
 国境の領地からカストル王国の若き王・レオニードの花嫁選び大会に参加する為に、従者や侍女を伴って出発したが、途中で山賊に襲われ、警備兵であったリオンに守られて一部の財宝と共に逃げ延びるのが精一杯だったという。
 領地にまで戻っていては花嫁選び大会の開催期日に間に合わなくなる為、領地に残ったフルール伯爵に報せだけ走らせて、シルヴィー本人は警備兵であるリオンが従者も兼任して都へ向かう事になったそうだ。
 それでも身の周りの世話をする侍女は必要であり、近場の町に立ち寄って急遽侍女を探した時、祖母が昔さる王族の姫の侍女をしていたエレンが雇われる事になったのだ。
 馬車が止められたのは、都を見下ろせる高い丘陵の道だった。
 ここからはオーブの都が一望できる。

「ご覧なさいませ。お嬢様」

 エレンが指さす先には、オーブの都を取り囲む城壁が長く続いている。
 城壁自体はさして高くない。
 だからと云って人の力で乗り越えるのは容易な事ではないだろう。
 都は、石を積み上げて造られた城壁に囲まれ、都に流れ込む川には水門があり外から開ける事は出来ない為、船は一旦門の手前で止められる。東西南北から都へ入る街道にも各門があり、夜になると門は閉ざされて都への出入りが出来ない造りになっている。
 城壁の外側は広く深い堀が囲い、内側は地面に石が敷き詰められた広い道になっている。
 各門の前の広場はかなり広くなっていて、端の方には商人達が荷物を運び旅をする為の幌馬車がずらりと並んでいる。都の外から入ってきた商人達が市を開く場所になっているのだろう。
 東西南北を繋ぐ石敷きの道は広く、中心に大きな湖があり、湖にある大きな島の高い位置に城が建っている。
 島の周囲は崖になっていて湖の中央方向に向かって出ている岬に船着き場がある。
 岸から城へと繋がる道は、島へ向かって掛けられた石橋が繋いでいる。

「この国の中心とはいえ、随分と大きなお城なのですねぇ」

 感嘆の声を漏らすエレンを横目に、シルヴィーがその内心で抱いていた感慨はエレンとは随分違うものだった。
 やっと、ここに辿り着いた。
 ここはシルヴィーにとって終着地点となる筈の場所。
 生まれ育った城を出てから3年という歳月が流れている。
 この3年、リオンだけを伴に隠れ住み流れて生きてきた。
 数ヶ月前、辿り着いたカストルの国境近くの領地で、偶々狩りの途中で怪我をした領主の娘であるエスプリ・ド・フルールを助けた。
 そして、請われて滞在していた屋敷に届いたエスプリ・ド・フルール姫宛ての、レオニード王の花嫁選びへの招待状。
 王の側近であるエクラー・ビジュー侯爵からの招待状を無視するわけにもいかず、田舎娘に過ぎないエスプリ姫が選ばれる筈もないと考えたフルール伯爵は、愛娘を都へ行かせる事にした。年齢より幼いところのあるエスプリ姫を心配し、話し相手としてシルヴィーに同行を申し出た。シルヴィーの護衛としてリオンも同行した旅の途中で山賊が出た。
 剣の心得のあったシルヴィーは難を逃れたが、エスプリ姫も侍女も侍従も剣の心得はなかったようで皆犠牲になった。リオンは山賊を悉く返り討ちにしてしまった為、近隣の者達に山賊退治の報酬代わりに一行の葬儀と埋葬を頼みんだ。エスプリ姫が亡くなった事を知る者はシルヴィーとリオンのみとなった。エスプリ姫の友として都に入る事を考えていたシルヴィーは、自身がエスプリ姫に成りすまして都に入る事を思い付いたのだ。数少ない護衛は姫の顔を知らず、シルヴィーがエスプリ姫の身代わりになった事を知る者はいない。
 財産は全て宝石として持っていた為、都に近付いてから体裁を整える事にして軽装で旅を続けた。金貨などは少量しか持っていなかったが、旅費に不自由はなかった。
 そして、都が近くなった町の一つで体裁を整える為に、作り話半分で身の上を語り、侍女を務めてくれる者を求めた時に出会ったのが、エレン・ボイネというシルヴィーよりも2歳ほど年上の女性だった。
 シルヴィーの真の正体も目的も知らぬまま、誠心誠意良く仕えてくれる。
 カストルに生まれ育ち、4年前に代替わりした若き王・レオニード・カストラルを尊敬し、敬愛している。
 シルヴィーの真の目的を知ったら、エレンは怒るだろうか。
 町からここまでの道中でのエレンの話は、退屈凌ぎ以上に敬愛するレオニード王の花嫁探しが大々的に行われている事や、身分に制限がなければ国中の若い娘が立候補しただろう事を熱心に語っていた。
 途中に宿を取った町でも、王の花嫁探しで話題はもちきりだった。
 そしてどこでも、レオニード王は人気があった。
 3年前に隣国との戦争に勝利して以来、レオニード王はその野心を他国に向ける事はなく、国内の安定に心血を注いできた。
 お陰で僅か3年で、都から始まった道や町の整備は、国境近くまで進み、商人の行き来が多くなって国は繁栄している。
 問題は、戦争に勝利して以来、軍隊を解散してしまった影響か、山賊や盗賊が増え、それを警邏する兵が少ない為に、隊商が襲われる件数も増えてしまっている事だ。隊商は警護の為にフリーの兵隊崩れを雇い、中には雇った筈の警備の者に襲われたりしている始末だ。
 そちらの方はまだまだ整備が行き届いておらず、だからこそ、シルヴィーがフルール伯爵令嬢になり済ます隙もあったといえる。
 シルヴィーの真の目的は、リオンにしか話していない。
 リオンは渋い表情をしていたが、反対はしなかった。
 この3年間ずっと傍にいて、シルヴィーが味わってきた苦痛を備に見てきた所為かも知れない。
作品名:暁の獅子 黄昏の乙女 作家名:亜梨沙