暁の獅子 黄昏の乙女
レオニード・カストラル国王の花嫁選考会が大規模であろう事は、都に本宅のある貴族の館は勿論、郊外に点在している貴族の別邸の悉くが本家や分家の出身の姫君で埋まってしまった事や、普段はたくさん空いている高級宿に、金に糸目を付けない豪商ですら泊まれる部屋が無くなってしまった事からも、市民にも容易に想像出来る事だったが、隣国は言うに及ばず、南は砂漠の広がる国から、北は冬に雪に閉ざされる国から、東は海に面した国から、西は大陸で一番高い山を越えた先の国から、国一番の美貌を誇ると評判の姫君達が勢揃いしていたとまでは思ってもみなかった事だろう。
「すごい人ですねぇ」
エレンも想像が付かなかった一人らしい。
夜会の広間へ向かう通路に溢れる人波を見て呆気にとられている。
「選考会への参加人数だけでも200人に登るそうだから、舞踏会への参加人数となると相当な人が集まる事になるのでしょうね」
シルヴィー達の部屋は、王城の外宮と呼ばれる位置でも奥まった辺りにある。
フルール伯爵は領地こそ国境近くの辺境地域だが、貴族としての核は上流に分類される。
カストル王国における貴族の身分制度は、国王自身とその生母、未婚の兄弟姉妹の公子・公女、先代の王の兄弟である大公家の王族、元・大公である公爵、8家ある侯爵、16家ある伯爵、32家ある子爵、64家ある男爵となっていて、公爵家・侯爵家の後継者は国王がその地位を認めると卿と呼ばれる身分が付く。
カストルでは、後継者になれない二男・三男といった立場の男子は、学問所を卒業すると健康に問題がなければ殆どが衛兵隊か国境警備隊に入隊する。健康に問題がなくて入隊しないのは、役人として登用された者と、親が事業を行っていてそれを手伝う場合のみである。
3年前の戦の時に差し向けられた軍隊を編成していたのは、平民からも志願兵を募っての事で、戦の後に解散になって以後、カストルには軍隊としての兵は置かれていない。それでも周囲の国にカストルに軍隊を差し向けようという気がないのは、3年前の戦に於いて万端の準備を整えていた筈のオーロを簡単に迎撃し反撃し、滔々オーロの国を滅亡させてしまった前例があるからなのだろう。そして、敵対するよりも懐柔する事を望んでいるのだろう。
結果が、レオニード王の花嫁候補を募集したら、国内外を問わずこれだけ多くの女性が押し掛けてきたというわけだ。
舞踏会が開かれる広間は外宮の中庭を望む大広間で、姫君達の部屋がある一角からは中庭を隔ててほぼ反対側である。
シルヴィーの部屋の窓からは、広間へ通じる通路をぞろぞろと歩く姫君達が列をなしているのがよく見える。
エレンは支度を済ませたシルヴィーが椅子から立ち上がるのを今や遅しと待っていたが、シルヴィーは一向に立ち上がる気配もない。
「お嬢様?そろそろお出ましになられなくても宜しいんですか?」
「……ほら、今、通路の角まで辿り着いたのはベヌア男爵令嬢ソフィア様」
「はっ?」
いきなり口を開いたシルヴィーに面食らったエレンがきょとんとする。
エレンを振り向いたシルヴィーはヴェールを被り用意万端整って、いつでも部屋を出る事が叶う状態だ。
「フルール伯爵家の令嬢という立場を考えると、あまり早く広間へ出向いているのは良くないのよ。他の姫君方の立場を悪くしてしまうわ」
意味が解らず小首を傾げているエレンに、シルヴィーは国を問わず宮廷での最低限の礼儀だ、と言って説明してくれた。
宮廷での行事に於いて、席に着いたり広間に出向いたりする時には、身分の低い者が先に行動をとるものなのだ。身分の高い者の方が先に行動を起こしてしまうと、行動しなかった身分の劣る者は礼儀知らずという事になる。
「貴族という身分はあくまでも格式に囚われて、庶民のように自由には出来ない事が多いものよ」
「はぁ……。そういうもんでございますか?」
「そういうものよ。特にこの国では国王陛下ご自身が自分を律していらっしゃるから、身分を振り翳した行動を取る事をお許しになられないようですもの」
肩を竦めてエレンの疑問を肯定したシルヴィーは、覗いていた窓から身を引くと、さっさと扉へ向かって歩き出した。
リオンは黙ってすっと扉を開いてシルヴィーに続く。
エレンはそれを見て慌てて扉へ駆け寄った。
言葉なく行動するシルヴィーに、エレンは未だに上手く馴れる事が出来ない。
リオンがいなければ、行き届かないに違いないと思う。
エレンが内心で反省しながらシルヴィーに続くと、シルヴィーは流れるような足取りで進み通路に出た。
そうして疎らになってきた姫君達の間を縫って、少しだけ進み前後を見渡して小さく頷くとその位置をキープしたまま流れに乗って広間へ向かった。
エレンが隣に並んだリオンを見上げると、リオンはエレンの疑問を読み取ったのか、囁くような声で答えをくれた。
「フルール伯爵家の格は、前の姫君の実家より高くて後ろの姫君の実家より下なんだろうさ」
領地と家の格式は比例しない。
だがその辺りを勘違いする若い姫は多いらしい。
静々と進む行列の前方で小さな諍いが始まったようである。
漏れ聞こえる声からは、どうやら格式が下の家柄の姫が、格上の姫に先を譲ったらしい。
「私の実家の方が格式が上ではありませんの。折角お譲りしていますのよ。広間に入ってからでは貴女が恥をかくではありませんか」
「何を仰るの。同じ子爵家とはいえ、私の実家の方が格は上ですわ。恥をかくのは貴女の方になりますわよ」
「まぁ。呆れた事を仰いますのね。私の実家は都に居を構えておりますのよ。田舎貴族とは違います」
「何を勘違いしていらっしゃるの?」
「そちらこそ!」
静々と進んでいた行列が崩れ、諍う二人の周囲に後ろに続いていた姫達が詰まる。
顳を引き攣らせながら言い合う二人の周囲に屯していた姫達は、止まらない諍いに小さく溜息を吐いて、目配せし合うと二人を置いて広間へ足を向けてしまった。
少し間を置いていた伯爵家の出の姫達が近付いても止まる気配がない二人に、伯爵家の先頭にいた姫が音を立てて扇子を閉じる。
はっとして振り向いた二人は、自分達が子爵家の姫達に置いてきぼりを食らった事に漸く気付いた。
「お二人とも。もう宜しいかしら?」
相手は伯爵家の姫君。
明らかに自分達より核上の家の姫君である。
言い争っている二人に態々声を掛けてくれた格上の令嬢を無視してまで諍いを続けるほど愚かでもなかった二人は、しおしおと身を引いて足早に広間へ向かった。
シルヴィーの前になっていた令嬢も道を渦ろうとして振り返ったが、ヴェールの下から加えられた無言の圧力に腰が引けて慌てて踵を返した。
その様子を後方から見ていた令嬢の一人がくすりと小さく笑いを洩らす。
「姫様?」
一歩控えた位置を歩いていた年嵩の侍女が聞きつけて不審そうに声を掛ける。
「なんでもなくてよ。ばあや」
姫様と呼ばれた令嬢は軽く手を振って何でもないという仕草をしてみせると、公爵令嬢達の後に広間に足を踏み入れた。
作品名:暁の獅子 黄昏の乙女 作家名:亜梨沙