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一期一会

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その少女とは音楽の話に花が咲き東京までの時間がとても短かった。私には息子が一人いるが、もう一人こんな娘がいたらどんなに楽しかろうとつくづく思ったものである。
あの日はよく晴れていて、幸運を占うように見事に冠雪した富士山がくっきり見えたことまで同時に思い出した。
お互いに名前まで訊くことはなかったが、全く偶然に隣り合わせになったあの時の少女が谷沢響子だったとは。
そして、もし彼女の母親が柳沼淑子だったとしたら・・・

バックスクリーンにはサンクト・ペテルブルグで行われたラフマニノフピアノ国際コンクールの模様や、彼女が演奏旅行で回った世界各地の風景などが次々に映し出されたが、最後まで谷沢響子の母親の名前は出てこず、映し出された写真が柳沼淑子である確証は掴めないまま放送は終わった。

 谷沢響子が廣島いずみホールでリサイタルを開いたのはその放送から三月ほど後のことだった。

「あのう、お名前どう致しましょう」

ホールの中にある花屋の店員が、注文した薔薇の花束を作りながら訊ねる。

「ああ名前ね。一期一会より、とだけでいいです」

 若い女の店員は、意味がわからないのか怪訝な顔をしたままぼんやりしている。

(今頃の若い娘は一期一会も知らないのか)

 私は憮然としながらプレートと筆ペンを受け取ると「一期一会より」と小さく書いて渡した。店員はこっくり肯くと手際よく花束を仕上げた。
「君、これをホールの控え室へ届けてくれないか。今日ここで谷沢響子のピアノリサイタルがあるだろう」
「はい。でも自分で渡さないんですか?」

 あらかじめ予定されている花束は最後のプログラムが終わった後でステージの上で手渡されるが、一般の聴衆は舞台の下から背伸びしながら差し出すことになる。
演奏者に近づいて直接花束を渡したい。握手をして彼女に触れたい。それがファンの心理というものだ。
だが白髪の老人が花束を抱えて大勢の人前でうろうろするのも羞ずかしいし、まして今の私には直接顔を合わせるだけの勇気はなかった。

「いいんだ、照れくさいから。頼むよ」
「わかりました」

 こういうことはよくあるらしい。店員は思ったより簡単に承知してくれた。

 満席の会場は熱気に包まれていた。
 地元出身であることに加えて、華々しい経歴、それに類まれな美貌ときている。主催者の中国放送テレビの力の入れようも大変なものだった。
 第一部はショパンプログラムで、ロ短調のソナタと、あの有名な「別れの曲」が収められている作品十の十二の練習曲、休憩を挟んで第二部はソナタが三曲、ラフマニノフの三番と、スクリャービンの七番と九番という充実したプログラムである。

 ショパンはどれも馴染みの曲だが、第二部のラフマニノフとスクリャービンのソナタは今まで聴く機会がなかったので、私は大いに期待していた。
 第一部の最後は「革命」と呼ばれている練習曲で、大波のうねりのように絶え間なく動く左手の音形の上に、いかにも革命の戦いを思わせるような和音の連なりが右手で叩きつけるような激しさで奏でられる。
演奏が終わると同時に嵐のような拍手が沸き起こった。美貌のピアニストは静かに立ち上がると満面に笑みを浮かべながら客席を見回し、優雅な物腰で深々と頭を下げた。

「唯今より十五分間休憩致します」

場内アナウンスが流れ、私もトイレへ行こうとして立ち上がった。その時ざわめきの中に別のアナウンスが流れた。

「ご来場のお客様にお願い申し上げます。先ほど一期一会の名前で花束をお贈り下さいましたお客様。いらっしゃいましたら楽屋まで是非お越しくださいませ」

(花束は届いたのだ。会ってみたい

私の心臓は早鐘を打つように激しく高鳴った。しかし私は懸命にその気持ちを抑えた。

新幹線の中で出会った時、彼女は母親に続いて愛する父親を亡くし、まだ悲しみから立ち直れないでいたのではないか。だからこそ偶然出会った音楽好きの私の中に父親の幻影を重ねたのに違いない。

当時私はまだ四十過ぎ、髪も黒々と豊かだったし、仕事にも趣味にも充実した日々を送っていた。
それがどうだ。紆余曲折を経て、今ではケアハウスで孤独な余生を送る白髪さえ薄くなった一介の老人に過ぎない。
彼女の中に生き続けてきた美しい幻影は、現実の私とは逆に益々純化され、理想の父親像と渾然一如となっているに違いない。
今更私がのこのこ現れて一体如何しようというのだ。折角の幻影を一瞬にしてぶち壊すだけだ。この会場のどこかで私が聴いていることさえわかればそれで十分ではないか。それでこそかけがえのない「一期一会」なのだ。
自分にそう納得させながら、私は何か訳ありで娘に会うことの許されない父親になったような切なくて、それでいて甘酸っぱい感傷に浸っていた。

ブザーが第二部の開始を告げる。
ラフマニノフもスクリャービンも十九世紀の終わりから二十世紀初頭の殆ど同時代に生きた作曲家である。取り上げられた三曲のソナタはいずれも難曲で高度なテクニックも要求されるが、むしろ精神的内容においてさらに充実した完成度の高い作品といえる。
第二部の選曲は彼女自身の内面的成長を世に問おうとした意欲的なプログラムだったのである。

私は目を閉じて神秘的な和音の連なりや幽玄な音の揺らめきに浸りながら、今は朧になった小学生の柳沼淑子の記憶や、あの新幹線で出会った高校生、そして乳飲み子を抱いた谷沢響子の母親の姿を、まるで鑑識官が指紋を照合するかのように脳裏で重ね合わせていた。
最後の曲が最弱音で消え入るように終わると、私は夢から覚めたように目を開けた。

演奏を終えて立ち上がった彼女は、熱狂した聴衆の惜しみない拍手に包まれていた。
拍手は何度も何度もお辞儀をして舞台から姿を消した彼女を追いかけていつまでも鳴り止まなかった。
「アンコール。アンコール」
誰かが立ち上がると聴衆は総立ちになった。
拍手はやがて手拍子になり「アンコール」の大合唱になる。
彼女が再び舞台に姿を現すと拍手はひときわ大きくなった。
彼女は舞台の袖にいる司会者の女性に何事か耳打ちしてピアノに歩み寄った。
場内は水を打ったように静まりかえった。
司会者の声が響く。

「アンコールの曲目はご自身の作曲で『蝶の主題によるパラフレーズ』です」

(まさかあの曲が・・・)

 信じられない事だがそのまさかであった。
 私と彼女しか知らないあのシューベルトまがいの旋律が、宝石を散りばめたドレスを着せられ、まるでシンデレラのように変身して鍵盤の上に舞ったのだ。

(私へのメッセージだ)

 演奏が終わり、立ち上がった彼女の姿は涙でぼやけ、人一倍の拍手を送りながらも私にはよく見えなかった。

万来の拍手を浴びながら、彼女の視線はいつまでも客席の上を泳ぎ続けていた。




作品名:一期一会 作家名:蛙川諄一