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人生のご馳走

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人生のご馳走

「次の休み、ご馳走するから一緒にランチしない?」
 彼女からそんな嬉しいメールが届いたのは、夜勤に入る直前だった。ランチだったら夜勤明けでもよかったのだが、せっかく彼女と会うのに寝不足よりは体調万全で臨みたかった。別におかしな野望があるわけでもないのだけれど、彼女が持ち出す話題はその都度コロコロと変わる。しかもそのどれもが楽しい。コロコロと話題を変えて、自分でコロコロと笑う。彼女の話題についてゆくのに、すっきりと冴えた頭で有りたい。そういえば最近彼女の体型も少しコロコロとしてきたような気がする。もちろんそんなことを本人の前で言ったら、それこそ自殺行為だということは分かっている。二人の間に体型や体重の話題は禁物だった。

 四日後の昼、駅前での待ち合わせにやって来た彼女は、首から一眼レフカメラを提げウエストポーチ姿だった。そんな格好でも彼女が観光客に見えないのは職業柄だと思う。「編集者兼ライター兼カメラマン兼雑用」自分の職業をそう表現して、コロコロと笑う彼女。「結局、器用貧乏の何でも屋なのよね」そんなふうに言うときだけは、少し寂しそうに見える。
「ひょっとして仕事でランチ?」
 ひと月ぶりに会った彼女の見た目から判断して尋ねてみると、
「そうなの。申し訳ないけどメニューは私に決めさせてね」
 はいはい、彼女に仕切られるのは慣れっこです。むしろそれが心地良いです。

 店に入ると彼女は、オーナーらしき人に名刺を渡して取材の説明を始めた。どうやらあっさりOKが出たらしい。さっそく他のお客さんを避けて店内をカメラに収め始める彼女。やっぱり本職だけのことはあって、堂に入ったものだ。少し前のことだが「上司ったらカメラを構えたときに脇が甘い、なんて言うのよ。失礼しちゃうわよね。私の脇を舐めたこともないのに……」そう言ってコロコロと笑ったっけ。それが今では脇を締めて堂々たるものだ。僕も彼女の脇は舐めたことがないけど……。
 彼女が頼んだパスタ二種類がテーブルへ運ばれてくると、カメラを構え始める。その表情の真剣なことといったら、惚れ直してしまう。何度かカメラの角度を変えて、パスタ料理と小皿で添えられているパンを収めている。そしてパスタのお皿にフォークを乗せてこれもカメラに収めた。彼女が撮った料理の写真は和食であれば箸、洋食はナイフとフォークなど、カトラリーが映っていることが多い。より実践的に食欲をそそる絵面になっているのが素人の僕にも分かる。パンの小皿にバターナイフを置いてパチリ。彼女の頭にはすでに出来上がった冊子のイメージがあるのだろう。さすがは何でも屋さんだ。

 新規オープンのレストランにしては味が尖っていなくて、自己主張していないのも僕は気に入った。それは彼女も同じ感想だったらしく、食後のエスプレッソも満足そうに楽しんでいる。
「はい、これ新しい名刺」
 彼女がそう言って手渡してくれた名刺には
【ご馳走フォトグラファー】の肩書きが印刷されていた。
「ご馳走……フォトグラファー?」
「そう。悩んだんだけど、これに決めたの。もちろん今までの名刺もあるわよ。これは料理の取材用ね」
 なるほどこれなら、この店のオーナーもあっさりと取材をOKしたはずだ。ご馳走フォトグラファーという肩書きがあれば、たいていの人は取材を断らないだろう。僕を含めて日本人はそれほど【ご馳走】という言葉に弱いからだ。





 それから三年、晴れて結婚した僕たちは駅から少し離れたメゾネットタイプのアパートに住んでいる。
 相変わらず、僕は夜勤のある仕事をしているし、彼女も地域のためのPR活動の仕事をしている。街も彼女の活躍(?)によって少しずつ育っているように感じるのは、惚れた欲目だろうか。そして、僕たち二人の生活もゆっくりと育っている。地域を育てるのため、二人の生活を育てるため、彼女は馳けたり走ったりしている。
「まったく人のことを何でも屋だと思ってるのよ!」
 職場の不満を語るときも、最近はコロコロと笑ってくれる。職場にとっても、この街にとっても、もちろん僕にとっても、かけがえのない存在だということを少しは分かってくれたのかな……。

 僕には夜勤明けの楽しみがある。いつも通りの時間に、駅から歩いて何度か曲がると家が見えてくる。そして、ベランダの手すりには仲良くマグカップが並べられているんだ。そのマグカップの中には、僕の帰宅時間に合わせてフレンチプレスで淹れられたコーヒー。家に近づくと、カップから立ち上る湯気までも見えてくるんだよね。彼女が顔を覗かせてコロコロと笑いながら手を振る。どちらも僕にとってのご馳走だ。
 でも気になることが……カップのそばには小鳥を呼ぶために彼女は米粒を置いてるんだ。
 小鳥と僕と、彼女に餌付けされている?
 いつか自分たちの家を持てたら、多くの生き物に囲まれた生活をしたいと思っている。もちろんそこには子どもたちも一緒だ。
 そんな人生のご馳走を今は、彼女と夢見ている。

(了)
作品名:人生のご馳走 作家名:立花 詢