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ペルセポネの思惑

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 ある日、そんな厳馬に一つの事件が起きた。その日も相変わらず厳馬は散歩と称し、殴打できそうな手頃な犬猫を探し歩いていた。その傍らを、自転車で一人の女子学生が颯爽とすれ違う。何の気なしにその女子学生を視界に入れた厳馬は、次の瞬間雷に打たれたように固まってしまった。そして、その場にぼんやりと立ち尽くしたまま、呆け顔で女子学生の後姿をいつまでも見送っていたそうだ。

 厳馬は、年端も行かぬこの女子学生に一目で心を奪われてしまったのである。そしてこの女子学生が本家峰澤家の一人娘、峰澤 映美子(えみこ)だった。
 映美子は、家の都合で親戚の家(これはどうやら俺の育った家ではなく、また別の峰澤の分家らしい)で中学校まで過ごし、中学を出てからは自宅に戻り村外の高校へ自転車で通うことにしていた。そのため、この時まで厳馬と出くわすこともなかったようだ。

 当時生きていた厳馬の母曰く、厳馬はこの頃までろくに恋愛の経験がなかったらしい。無論ああいった性格なので、半ば無理矢理若い女中に手をつけたりすることはあったようだが、一人の異性に一辺倒に入れ込むようなことはなかったそうだ。おそらく、性欲的なエネルギーはほとんど全て絵画のほうへと昇華させていたんじゃないかと思われる。
 とまれ、映美子に一目で惚れこんでしまった厳馬は、彼女を手に入れる方法をそれこそ真剣に考え始めた。あの寝ても覚めても忘れられない美しい女子学生を、どうすれば自分のものにできるだろうか、例のアトリエにこもって、それこそ眠らず死に物狂いで考え込んでいたらしい。しかし厳馬は、今まで財力に頼ることでしか己の欲望を満たす方法を知らなかった。そして結局考えあぐねた末、今回も財力によって映美子の歓心を買おうと考えた。
 翌日以降、厳馬は映美子の家に大量の贈り物を届け始めた。服やアクセサリーといった映美子本人が欲しがりそうな物を始めとして、一家が食べるのに数年は困らない量の米や食料。新車や家の修繕の費用など、映美子だけでなくその家族にも熾烈を極めた攻勢をかけ、無言の圧力を峰澤家にかけていったのである。
 当時の映美子に、意中の人が居たかどうかは今もってわかっていない。しかし、厳馬のそのいささか過剰すぎるアプローチを映美子は頑として跳ねつけた。贈り物は全て九ノ崎家へ即座に送り返した。その際、家族の中には異論を唱える者もいたようだが、映美子はそれらの言葉にも一切聞く耳を持たなかった。
 厳馬からの贈り物攻勢は、三ヶ月ほど続いた後、急にぱたりと止んだ。それこそ映美子が色好い返事をするまで延々と続くのではないかと周囲も危ぶんでいたが、案外その引き際は早く、さながら小石を投げ入れてできた波紋が収まったかのように、再び穏やかな日々が訪れた。映美子も周囲の人々も「やっと厳馬は諦めたか」と誰しもが胸を撫で下ろした、その時だった。

 いつものように、学校の帰り道を自転車で映美子は帰宅していた。村の入り口で信号を待っている映美子の背後に『影』が足音もなく忍び寄る。その『影』は、一瞬で映美子の口を塞ぎ、叫び声を出せないようにすると、その巨躯を利用して映美子を軽々と抱え上げあっという間に連れ去った。それはまるで、純真無垢なペルセポネを略奪する冥府の王ハデスのようだった。

 後には、映美子の自転車だけが横倒しになって残された。

 財力による懐柔が全く通用しない映美子に対し、残された方法は力しかない。そう考えた厳馬は、白昼強引に映美子を拉致し無理矢理自分のアトリエに連れ込んだ。そこまでは厳馬の思う通りにことが運んだ。だがそこから予想外のことが起きる。映美子の気の強さ、それが並大抵のものではなかったことだ。
 アトリエに連れ込んでしまえばどうにでもなると思った厳馬だったが、映美子は激しく抵抗した。暴れた際に割れたガラスや油彩で使うナイフ、これまた割れた陶器の欠片などを手に取り、すきあらば厳馬の喉笛を狙ってくる。同じく油絵に使う薬品なども、自分の危険も省みずに厳馬へ向かってぶちまけようとする。揚げ句の果てには、現在制作中の作品を盾に自分を開放するよう厳馬を脅しだす始末。
 深夜にまで及んだアトリエ内での壮絶な抗争は、厳馬がさじを投げる形で終わりを告げた。厳馬は、しぶしぶ映美子をアトリエと同様に九ノ崎家の庭にある土蔵(内部は建て替えられており、ほぼ座敷牢のような構造だった)に押し込めた。そして女中を呼びつけ、映美子に食事と風呂を与えて世話をすることと、ここに映美子がいる事を一切口外しないことをきつく厳命した。

 土蔵の中はジメジメした湿気の多い生温かい闇が覆い尽くしていた。厳馬との攻防ですっかり疲れ果てていた映美子は、冷たくて固い床の上に倒れこんでしまう。それからものの数秒でまぶたが下り、すぐさま気が遠くなるような眠りに落ちていった。

 映美子がとろとろとした眠りから目を覚ましたとき、土蔵内にはぼんやりとした明かりが漂っていた。光源を探すと、隅にある小窓の手前に火の点いたランプと握り飯が置かれている。おそらく、昨晩厳馬に言いつけられていた女中が差し入れたのだろう。食事の存在に気づいたせいだろうか、映美子は急に空腹を感じ、四つん這いで握り飯へ這いよった。そろそろと手を伸ばし、指先が飯に触れようとしたその瞬間、なにやら背後にねっとりとした不快な視線を感じた。ゆっくり、ゆっくりと映美子はランプを手に持って視線の方へと振り返る。
 そこには、土蔵の入り口を背にして、情欲を具現化したかような下卑た笑いを浮かべた厳馬が直立していた。映美子は、キッと厳馬を睨みつけて立ち上がろうとした。だが厳馬は、映美子よりも早く間合いを詰め、映美子の手からランプを奪いとる。なすすべが無くなった映美子は乱暴に床に押し倒され、強引に唇を奪われて両脚を割り開かれた。

 かくして、厳馬の欲望は遂げられた。

作品名:ペルセポネの思惑 作家名:六色塔