③全能神ゼウスの神
黄泉がえり
私の魂は、『無事』身体に戻った。
何が起きたのかはわからない。
けどあの時、虹色に光ってたのを考えると、もしかしたらミカエルの力とフェアリーの力がぶつかり合って、ゼウスに近い力が生まれたのかもしれない。
それで、還ってきたのかも…。
「良かった…意識が戻って、本当に良かった…。」
涙を流して喜ぶ両親を見ると喜ぶべきことなのは、わかる。
「ホッとしたら、腰が抜けたよ。」
ふにゃっと笑いながら、陽が椅子に腰かけた。
「…。」
けれど、陽の顔にミカエルの顔が重なる。
(あの後、ゼウス様とヘラ様は…どうなったんだろう?)
「まだ、ぼんやりしてるな。」
陽がやわらかな笑顔で、私を見た。
その表情は、ミカエルの時と違い、私が大好きだった陽そのものだった。
「意識が戻ったんですね。診察しますね。」
ナースコールで駆けつけた看護師と医師が、笑顔で近づいてくる。
「では僕は報告も兼ねて、一旦社に戻ります。」
陽が立ち上がると、両親も急いで立ち上がり、深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました。」
「めい、葛城さんはこの3日、ずっと付き添ってくださってたんだぞ。」
(3日…やっぱり少し時間のズレはあるけど、大幅には違ってないんだ…。)
私は陽の顔を見上げる。
「…ありがとう…ございます。」
陽が自らを『彼氏』と言ったのか『上司』と言ったのかわからないから、とりあえず敬語でお礼を言ってみた。
けれど、酸素マスクでくぐもってしまう。
陽はそんな私に優しく微笑んで応えると、両親に頭を下げた。
「意識が戻られて、本当に良かったです。また、伺います。」
(ああ、たぶんこれは『上司』だな。)
「じゃ、桜井。ゆっくり療養するんだよ。」
(『桜井』)
(やっぱり。)
私は小さく頷く。
「ほんとに、お若いのに立派な方ね。」
「あの若さで、もう部長なんてな。」
両親が陽を誉めるたびに、私の心は沈んだ。
ふと、ゼウス様とのやりとりを思い出す。
『陽が出世したのも、ミカエルになったのも、フェアリーの力なんですか?』
『…純粋に、あいつの力だよ。そう思ってな。』
(ゼウス様…。)
(ご無事なんですか?ゼウス様…。)
(ヘラ様は…ヘラ様は、陽の手にかかってませんか?)
自然と、私の瞼から涙が溢れる。
「めい…。」
父が私から顔を背け、母が涙を堪えながら私の涙を拭いてくれる。
「大丈夫。もう何も心配いらないから、ゆっくり休みなさい。」
母に優しく頭を撫でられると、ゼウス様に撫でられたことを思い出した。
(なんで、還ってきてしまったんだろう…。)
思い浮かぶのは、ゼウス様とヘラ様のことばかり。
死んでしまったら、両親を悲しませることはわかってる。
(けど、神の国に還りたい。)
そんな私の思いとは裏腹に、体は順調に快復した。
退院後は警察の事情聴取があり、懸命に捜査してくれたけれど、新月だったこともあり防犯カメラの映像が不鮮明で、1ヶ月が経った今も犯人逮捕には至っていない。
「なかなか捕まらないな…。」
久しぶりの陽とのデート。
遠出しようと誘われて、休日に隣県の観光地に来ている。
ミカエルの時と違い、優しくて穏やかな陽に私の心は少しずつ愛情を取り戻しつつあった。
「めいが本当に無事で良かった。」
陽は私を抱きしめながら、ホッとため息を吐く。
「ねえ、めい。結婚、しよう。」
(…えっ?)
大きく鼓動が跳ね、私は陽を見上げた。
「めいを失いそうになって、本当に辛かった…。もう失いたくない、誰にもとられたくない、って強く思った。」
陽は熱を帯びた眼差しで、私を真っ直ぐに見下ろす。
私もその視線をしっかりと受け止めた。
「…。」
ドキドキと胸が高鳴る。
けれど、そこには嬉しい気持ちだけでなく、戸惑いや迷いもあった。
また、ゼウス様の顔が浮かぶ。
無表情なゼウス様、いたずらっぽく笑うゼウス様、鋭く睨むゼウス様。
色んなゼウス様を思い出し、私は目を伏せる。
答えず俯く私を、陽がギュッと抱きしめた。
「考えてて。」
言いながら顎をすくわれ、唇が重なる。
(!)
深く重なった隙間から陽の熱が侵入してきた瞬間、私の体がふるえた。
そして、陽を突き飛ばすように距離を取る。
陽の瞳は大きく見開かれ、じょじょに悲しみで歪んでいった。
「ごめん…。」
私が謝ると、陽に顔を覗き込まれる。
「ううん。僕のほうこそ無神経だった。」
私がぶんぶん首をふると、壊れ物を扱うように、陽が頬にそっと触れてきた。
「抱きしめるのは…いい?」
本当はそれも怖いけど、これ以上陽を悲しませたくなくて私は小さく頷く。
すると、陽が真綿を包み込むように、優しく、やわらかく私を抱きしめた。
(この優しさを、信じていいのだろうか。)
どうしても脳裏から離れない、ミカエルの冷酷な姿を思い出し、私は目の前の陽に心を許すことができない。
「会社の荷物、来週末に持ってくるよ。」
車で実家近くまで送ってくれた陽が、降りかけた私に声を掛ける。
そう、私は実家からは遠くて通えないことを理由に、会社を退職したのだ。
(復帰して、あれこれ訊かれるのも、腫れ物に触るようにされるのも嫌だし。)
「ありがとう。」
笑顔を返す私に、陽が小さく頷いた。
「じゃ、また。」
「うん。送ってくれて、ありがとう。気を付けてね。」
ドアを閉めると、陽の運転する高級車が走り去る。
(プロポーズ…受けていいのかな?)
陽の言葉は本当に嬉しかった。
けれど、どうしてもその言葉を素直に信じられない自分がいる。
それと、やっぱり常にゼウス様のことが頭をよぎる。
(こんな中途半端な気持ちで、受けたらダメだ。)
私は小さなため息を吐き、実家の門を開けた。
「おかえり。」
「ただいま。」
笑顔で出迎えてくれた母に私は笑顔を貼り付けて応え、そのまま2階へ駆け上がった。
陽がいながらゼウス様への恋慕を捨てきれない自分を、母に見られたくなかったから。
「めい?」
驚いた母が声を掛けてくるけれど、私は自分の部屋へ飛び込む。
そして、ベッドへ倒れ込んだ。
(ゼウス様。)
無性に、ゼウス様に会いたくなる。
退院してすぐの時、歴史上の人物から現在の著名人まで『リカ』で探したけれど出てこず、がっかりした記憶が蘇った。
(時空間が違う星の人だったのかな…。)
私が枕に顔を埋めた時、チャイムが鳴る。
時計を見ると、もう22時を回っていた。
(こんな夜遅くに、誰?)
少しして、母が階段を上がってくる足音が聞こえる。
「めい、刑事さんがお見えだけど…。」
戸惑った様子の母に連れられて降りると、玄関には若い男性と女性が二人立っていた。
「夜分遅くにすみません。桜井さんにご確認頂きたい動画があったので。」
男性の刑事さんが、私に警察手帳を見せる。
「ここではなんですので、表にいいですか?」
チラリと母を見る刑事さんの様子で、その動画が事件のものだと察した。
私は小さく返事をすると、表に出る。