②全能神ゼウスの神
私が身を震わせながら言うと、ヘラ様が一瞬大きく目を見開いて、すぐにくすくす笑い始める。
「リカらしい…。昔からイタズラ好きで…。」
「いや、イタズラレベルじゃないですよ!もうイジメです!しかも、セクハラ発言ばっかしてくるし!!」
「セクハラ?」
ヘラ様が、ようやくカップに口をつけてくれた。
「私がマシュマロボディなのを、ことあるごとに遠回しにディスってくるんです。」
ヘラ様は私の話を聞きながらジャスミンティーを飲むと、微笑みながら目を伏せる。
「それは、今度注意しておきますね。」
その横顔がやはり悲しそうで、言葉に詰まった。
(そういえば、ヘラ様がこの部屋を出る姿、見たことない。)
(…よし!)
あることを思いついた私は、空になったヘラ様のカップに、おかわりを注いだ。
「あの、ヘラ様。」
私が言いかけた時、廊下側の扉が勢いよく開く。
「なんでこんなに負のオーラが…?」
慌てた様子で、ゼウス様が飛び込んで来た。
その姿は濃い茶髪に、深いチョコレート色の瞳。
明らかに、先程の星の残りの負のオーラに暴露していた。
オーラが足りないゼウス様は、苦しげに肩で息をしているけれど、それでもヘラ様のところまで駆け寄る。
「ヘラ?どうした?」
ゼウス様はその細い肩を掴もうとして、ハッとした。
そして手を引っ込めると、私をふり返る。
「めい。」
ゼウス様の言葉がなくても、何を言わんとしているかわかった。
私は大きく頷くと、ゼウス様に近づく。
すると、ゼウス様が掻き抱くように私をきつく抱きしめた。
「!」
ヘラ様の表情が、強張る。
わかってはいても、やはり目の前でゼウス様が他の女を抱きしめる様子は、辛いのだろう。
その大きな碧眼から、大粒の涙が溢れ出す。
「ヘラ、やめろ!落ち着け!!」
光の中から叫ぶゼウス様は、私がオーラを与えているにも関わらず、髪も瞳も色が戻らない。
「…くっ…。」
思わず声を漏らした私を、ゼウス様が慌てて放す。
私は肩で息をしながら、床に崩れ落ちた。
(さっきのぶんから、まだ充分に回復してなかったから…。)
「ごめ…なさ…オーラ…足りな…て」
私がゼウス様を見上げて言うと、ゼウス様は必死に貼り付けた無表情で、首を左右にふる。
「私の方こそ、すまない…。」
そして、ヘラ様へ向き直った。
「ヘラ…今おまえに触れたら、おまえを食い尽くしてしまう…。」
言いながら、ゼウス様は固く拳を握る。
「初めて、ゼウスであることを悔やんでる…。」
淡々とした言葉は無表情から紡がれていながら、ゼウス様が私とヘラ様を見つめるその表情は、今にも泣き出しそうに見えた。
「ごめんなさい…リカ…。」
ヘラ様は必死で涙を止めようとするけれど、どうにも感情のコントロールができないのか、涙が次から次へ零れ落ちる。
その負のオーラはゼウス様にとっては微弱ながらも、長く持続するとだんだん暴露していき、髪と瞳の色が僅かに濃くなってきたように感じた。
「どうした?ヘラ。何があった。」
ゼウス様の問いかけに、ヘラ様がうつむいて顔を逸らす。
「ゼウス様っ。ヘラ様は…寂しいんだと…思います。」
私は整わない呼吸ながらも、必死でゼウス様に訴えた。
「いつもひとりで…お留守番で…だから、ここから…たまには連れ出してあげては」
「できねぇんだ。それは。」
ゼウス様が、私の言葉を遮る。
(できない、って…どういうこと?)
「この神殿は時空間が常に歪んでいて、神や天使そして悪魔以外は立ち入ることができない。ただの人間がその歪みに触れると…途端に消えてしまう…。この私室だけは私の力で、ヘラが生きれるように時空間を安定させているんだ。」
(だから、この部屋からヘラ様は出ないんだ…。)
(それなのに私がゼウス様と一緒に出ていく様を毎日見続けるのは…どれだけ辛かったか…。)
「でも神殿…以外は…大丈夫なんでしょう?」
私の言葉に、ゼウス様とヘラ様がハッとした様子で私を見た。
「じゃあ、ゼウス様の神術で…神殿から瞬間移動して」
「この負のオーラは、あなたか。」
私の言葉を遮って、冷ややかな声が聞こえた。
「いくらゼウス様の秘蔵ペットとはいえ、神界を汚染するものは、見逃せませんね。」
まばゆい光を放つリングを頭上に輝かせながら、白い大きな羽根を広げた陽が部屋の入り口に立っている。
「…アポ取れって」
「神界を汚染する者の排除をしに参りました。」
ゼウス様の言葉を遮って、陽が胸に手を当てた。
「私室に入ってもよろしいでしょうか?」
恭しく頭を下げる陽に、私の心が言い知れぬ恐怖にふるえる。
陽とゼウス様が静かに、けれど鋭く視線を交わした。
「…ここは、私のプライベートな場所だ。その中で起きたことは、私が対処する。」
睨み合う視線を逸らさずにそう告げるゼウス様に、陽が冷ややかな笑みを浮かべる。
「できるんですか?それ、の処分。」
(『それ』)
陽の言葉に、ふつふつと怒りがこみ上げた。
反論しようと口を開きかけた時。
「…これ以上は勘弁してくれ。」
(っ!)
掠れた声にハッとしてふり返ると、黒く染まったゼウス様の髪と瞳が目に入る。
(ごめんなさい!)
(私の怒りが負のオーラになってしまってた!)
そんなゼウス様を、陽がニヤリと笑って見下ろした。
「もう神力、ほとんど残ってないでしょ。」
そして、その冷ややかな瞳を私に向ける。
「そっちのフェアリーも、今は役に立ちそうにないし。」
私が睨むと、陽はクスッと小さく笑ってゼウス様に視線を戻した。
「あなたの足りないオーラ、フェアリーを食い尽くすのは惜しいから、この際そこのペットからもらったらいかがですか?大して取れないとは思うけど、ゼウス様のペットとして特別に神界を汚染した罪を問いませんので、最期にそのくらい役に立ってもらったら。」
「…。」
ゼウス様は、陽の挑発を無表情でかわそうとした。
けれど、それを嘲笑うような笑顔を浮かべながら、陽がヘラ様に手のひらを向ける。
「それができないなら、負のオーラを発するただの屑として、僕が代わりに処分します。」
「ミカエル!」
厳しい声色でゼウス様がヘラ様を背に庇うと同時に、陽の手のひらに光の玉が浮かび上がった。
(あれ、なに!?)
何が起こるかわからないけれど、私は反射的にゼウス様の前に飛び出す。
バチッ。
電気が弾けるような音と衝撃と共に、体の筋肉が自分の意思とは無関係な動きをした。
「めい!このバカ!!」
ゼウス様が叫ぶ声が、聞こえる。
けれど、まわりは虹色の光で何も見えない。
ただ甲高い悲鳴に重なるように、ゼウス様の悲痛な叫び声が遠くで聞こえた。
「めい!!」
(ゼウス…様…。)
弾き飛ばされる感覚の中、遠ざかる声に手を伸ばす。
すると、その手を力強く掴まれた。
「めい!」
背筋がぞくりとふるえる。
ハッと目を見開くと、目の前に陽の顔が…。
「めい!良かった!!」
(え!?)
「めい!!」
反対側から、聞き覚えのある声が聞こえる。