マナティの憂鬱
イルカショーはもう後半にさしかかっていた。会場は立ち見が出るほどの超満員で、その中から彼女を見つけるのは至難の業だった。だけど、予想通り、いた。後ろの方の席で、少し沈んだ顔をしてぽつんと座っていた。なんだ、やっぱり、ちゃっかり先に来てるんじゃないか。
僕はそっと彼女の後ろにまわって、ぽんと頭に手を置いた。そして桜子がびっくりして振り向くのと同時に、さっき買っておいた苺チョコバナナクレープをさっと彼女の鼻先に差し出した。
桜子はちょっと困ったような顔をしたけど、まもなく素直に受け取ってくれた。
あんなに悪かった機嫌は、その瞬間にすっかり直ったらしい。ショーの間中、前足でナッツ類を抱え込んで食べる小動物みたいに、嬉しそうにクレープを食べていたし、時々僕にも一口くれた。現金なやつだ。僕はくすっと笑って頭を小突いてやった。マナティといい桜子といい、このよく分からない生き物達は、どうも食べ物には弱いようだ。
ごめんね。ショーのラストでイルカが音楽に合わせて集団でジャンプを決めている時、ぽつりと桜子が言った。
「いや、こちらこそ怒鳴って悪かったし、よくわからんけど何か気に障ることをしたんだろ」
桜子はそれには答えずに、クレープありがと、と、今日一番の笑顔を見せた。
帰り道、水族館からの客でごった返す電車の中で、今日何が一番良かった?と、何気なく聞いてみた。
桜子は少し考えた後、言った。
「マナティがかわいかった。」
お前あの時そんなに余裕あったのかよ。僕は思わず苦笑した。