Hellhounds
それにどうやって返信するか考えるのも、億劫だった。女性とほとんどコミュニケーションをとったことのない駒井は、ダウンジャケットを着込む武内に言った。
「おい、こっからどうやって……」
「オッケーとか言っときゃいいよ。安心しろって、そのサテン行く道は、防犯カメラがないからな」
蜂須がクラクションを鳴らし、武内は舌打ちしながら小走りで出て行った。車庫からインプレッサを出すと、待ち構えたようにハイゼットが代わりに収まった。蜂須はインプレッサの後部座席に錆付いたゴルフクラブを放り込むと、助手席に乗り込んで、言った。
「お前、この車好きだな」
武内はギアをこまめに変えながら、思った。駒井は、果たしてうまくやれるだろうかと。いざとなったら、ひったくりでもなんでもいい。目当ての財布は鞄に入れているだろうから、力任せに奪って、残りを返すとか。どの道、自分の財布じゃないんだから、警察に言ってもどうにもならないし、言わないだろう。自分の方がうまくやる自信があったが、選ばれた以上、どうしようもなかった。蜂須はさっきアズサのことを『おっかない』と言ったが、実際にすぐ暴力に頼るのは、まぎれもなく蜂須のほうだった。一切躊躇しない、厄介な性格。
一時間ほど走ったあと、大きな橋の付け根にある交差点を越え、蜂須は『P』と書かれたパーキングを指差した。
「ここに停めとくんですか?」
武内が何気なく言うと、蜂須は裏の農道につながる出口を指した。
「こっちを通った方が近いんだ」
吉松が経営する解体屋は、二つ出入り口があった。片方は県道から見える表向きの出入り口で、もう一つは農道から折れる急坂を上がった先にあった。武内は、車高すれすれの狭い坂道にうんざりしながら、ゆっくりとインプレッサを進めた。途中背の高い石をエアロパーツが巻き込んで、その音に思わず顔をしかめた。裏口は蔦が垂れ下がっていたが、かろうじて開いた門から中の様子が伺えた。武内は覚悟を決めて、敷地の中にインプレッサを入れた。停車するよりも前に蜂須がドアを開けて、飛び降りるように出て行った。
「おーい、来たぞ」
蜂須は、吉松に言った。吉松は報酬分の約束を果たしたまでだと言うように、迷惑そうにうなずいた。
「残りの分を持ってきた。いやはや、助かったぜ」
蜂須はそういうと、シーマのシートに座った。人のものにそうやって印をつけるように触れるのは、昔からの蜂須の癖だった。吉松は『残りの分』を待っていたが、それがいつまで経っても出てこないことに業を煮やして、言った。
「残りの金は……?」
「下品な言い方をしなさんな。まだ終わってねえだろ。ここに前園を呼べ」
「誰の工場だと思ってんだ」
吉松は露骨に顔をしかめた。武内はターボタイマーを設定してインプレッサから降り、二人のところに歩いていった。傾いたり、部品が外されて放置された車に、自然と目が向いた。同じ年式のタイプRが置いてあるのを見つけて、それに気を取られたとき、蜂須が言った。
「タケちゃんマン、今日一日、時間あるよな?」
「まあ……、はい」
「カーキチ同士、ご歓談してろ」
武内は、しかめっ面で俯く吉松と二人きりにされて、何を話していいか分からずにダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んだ。吉松は、蜂須の部下にまで不機嫌に接する必要はないと思ったのか、武内のインプレッサを見ながら言った。
「四枚ドアのSTIか。大事に乗ってんだな。タイプRでよけりゃ、足回りが一台分あるぞ」
「はは、ありがとうございます」
武内がそう言ったとき、インプレッサのエンジンがタイマーで止まり、ドアが開いて、すぐに閉まる音が鳴った。嫌な予感がして振り返ると、蜂須がゴルフクラブ片手に戻ってきて、言った。
「よーしーまーつー、この野郎」
蜂須はゴルフクラブを真横に振りかぶると、吉松の膝にサイドスイングを叩き込んだ。風を切る音と骨の裂ける音が同時に鳴り、吉松はシリンダーブロックの上に倒れこんだ。わき腹の骨を痛めて息ができない様子で、吉松は声にならない息を吐き出しながら呻いた。
「誰の工場なんて知るかよ。前園を呼べって、言ってんだ」
蜂須はゴルフクラブで吉松の体を小突きながら言った。武内が吉松を抱え上げようとすると、目の前にゴルフクラブのヘッドが現れて、蜂須の代わりに武内の動きを制止した。
「まだだ」
蜂須は、吉松から視線を外すことなく武内に言うと、ゴルフクラブの先を吉松の頭に向けた。
「耳にティー立てて、ひと晩打ちっぱなしするか? 俺がゴルフ仲間になんて呼ばれてるか、知ってるか?」
誰も正解が分かるはずもなく、十分に沈黙が流れた後、蜂須は言った。
「ダフりのはっちゃんだ。頭がスイカ割りになる前に、さっさと呼べ」
吉松が前園に電話を掛けている間、ふと思い出したように、蜂須は武内に言った。
「ゴルフは苦手だわ。ロープ持ってこい」
事務所に吉松を連れて行き、ロープで縛り上げる。武内は、自分の家のようにくつろぎはじめた蜂須の姿を見ながら、吉松に言った。
「すみません」
吉松は苦々しい表情を少し和らげると、言った。
「あんたまで道連れになることはねえだろ。逃げろ」
「逃げたいですが……。そういうわけにも、いかないんですよ」
蜂須は事務所の机に足を乗せて、昼寝を始めた。いびきが聞こえてきたとき、吉松は言った。
「あんた、古野が誰に雇われていたか、知ってるか?」
武内が首を横に振ると、吉松は一瞬蜂須のほうを見て、まだ眠っていることを確認すると、続けた。
「契約殺人で飯を食ってる組織だ。ここはその指揮下にある処理場で、解体屋じゃない。ありとあらゆる曰く付きの車が集まってくる。さっきあんたが見てたタイプRは、姫浦って呼び名の女が使ってた。理由は分かるだろうが、内装は使えない。シートに脳みそが染み込んでる」
武内が黙っていると、吉松は自分の言葉の意味が伝わったと解釈したように、目を伏せた。
「あんたは若い。つく相手を選ぶなら今だ」
武内は、駒井やアズサのことを考えた。目の前で眠る蜂須のことは、今この瞬間に屋根が崩れて下敷きになっても気にしないし、どうなっても構わない。しかし、自分がここで逃げ出すと、バランスが崩れるのは間違いなかった。
「まあ、自分でタイミングを決めりゃいい」
吉松は悟ったように、笑顔を見せた。武内は言った。
「ちょっと、タイプR見せてもらってもいいですか」
「どうぞどうそ」
吉松はそう言って、頭を床に預けた。武内は外に出て、白のインプレッサタイプRの前まで歩くと、深呼吸してからドアを開けた。フロントウィンドウは外されていて、ダッシュボードには苔が生えている。吉松の脅し文句は中々の説得力があったが、実際に目で見るまでは信じられない。運転席はまだ綺麗で、シートも乾いていた。センターコンソールから助手席にかけて、さっき吉松が言った『脳みその染み込んだ』らしい跡が残っていたが、コーヒーをこぼした跡と言われれば、そう見えないこともない。武内は小さく息をついて、運転席に座った。
「何が処理場だよ……」
作品名:Hellhounds 作家名:オオサカタロウ