Hellhounds
スーパー銭湯で汗を流したところで、アズサから届いたメール。駒井はそれを読み返しながら、武内が不器用に車庫入れするのを待っていた。首にかけたタオルは冷たい風を吸い込んで、氷水に浸したようになっている。武内は特徴的なボクサーエンジンの音をさんざん撒き散らしたあと、ようやく駒井家の車庫にインプレッサを停めた。田舎の山道を抉り取ったような土地にぽつんと立つ駒井家は、車庫の感覚が掴みにくく、いつも隣にゼロクラウンが停まっているから余計に難易度が高かった。おまけに外には、切り返しを塞ぐようにハイエースが路駐されている。降りてすぐに、クラッチの焦げたような匂いに顔をしかめると、言った。
「狭いよ。クラッチ焼けちまうな」
「半クラ使いすぎだよ」
駒井はタオルをジーンズの尻ポケットに突っ込み、車庫の中に入ってシャッターを閉めた。火災で倉庫に近づけない旨を報告した後に、アズサから届いたメールは単刀直入だった。
『火事は誰の責任でもないからね。もう家でバラしたら? たまには実家でご飯食べなさい』
確かに、ここ数週間はずっと出ずっぱりで、実家に寄っていなかった。駒井は何となく納得して、武内に言った。
『家で片付けよう』
『アズサさんは、大丈夫なのか?』
『そのアズサさんが、そうしろつってんだよ』
駒井は、母親のことを名前で呼ばれるのが嫌いだった。そうやって不機嫌になるのを武内は面白がっている節があり、タイミングを見計らったように名前で呼ぶことがあった。
トランクを開けると、おでんの出汁の匂いが残ったままで、武内は咽るように咳き込みながら顔を背けた。駒井は栗野の襟首を掴むと力任せに持ち上げた。栗野の頭がトランクの上部にぶつかって大きな音を鳴らし、武内は駒井を肘で突いた。
「トランクの内張り、いくらすると思ってんだ」
駒井は中途半端な位置を掴んだまま、力任せに栗野を引き摺り下ろし、車庫から家に入った。居間でテレビを見ているアズサが振り返り、栗色に染められたセミロングの髪を耳にかけながら、立ち上がった。
「カズ君、そんな動物みたいに扱っちゃかわいそうでしょ」
駒井は、栗野が自分を見上げていることに気づいて、手を離した。手をつくこともできずに頭から床に落とされた栗野は、体をくの字に折って呻いた。アズサは細長いスナック菓子を食べながら栗野の様子を眺めた。
「なんで頭カピカピなの。これ、出汁?」
駒井がうなずくと、アズサは呆れたように腕組みをした。栗野のビジネスバッグを持った武内が入ってきて、アズサに頭を下げた。
「ああ、どうもお母さん」
「タケちゃん、車庫狭くてごめんねえ、ドロンドロン言ってたね」
「はは、すんません」
武内は照れるように頭をかきながら一礼し、栗野の腹を思い切り蹴り上げた。アズサに何か言われる度に、見せつけるように暴力を振るいたくなるのは、駒井と武内が持つ数少ない共通点だった。駒井は唯一窓がない部屋のドアを開けると、電気を点けて換気扇を回した。配管が三方を囲うように這っていて、手錠をかけておけるようになっている。アズサが渡したタイラップを使って、武内は配管にひっかけるように栗野の手を縛り上げた。猿ぐつわを取ると、栗野はしばらく咳き込んだあと、言った。
「……、勘弁してくれよなあ、ほんと。なんで俺?」
駒井と武内は顔を見合わせた。武内はノートパソコンをビジネスバッグから出し、電源ボタンを押した。栗野は一瞬で理解したように、宙を仰いだ。
「金目当て? だよな。それしかないよな」
スナック菓子をぽりぽりと食べながら、アズサが言った。
「栗野さん、随分荒稼ぎしてるらしいじゃない」
「いえいえそれほどでも。いや、でもねほんと。親子に見えないですよね。カズ君のお母さんって、嘘でしょ」
栗野が昔からの知り合いであるかのように言ったのと同時に、駒井は栗野の耳を掴んで引っ張り上げた。
「ごめんごめん、痛いって!」
アズサは笑いながら、スナック菓子の袋をくしゃくしゃに丸めた。
「若いときの子だからね。そのパソコンで何でもできちゃうって、ほんとなのかな?」
物腰は誰よりも柔らかいが、その目は透き通った冷たい光を放っていた。栗野は小さくうなずいた。
「まあ、仕事の範囲内なら。現金化しろってことですか?」
アズサは片方の眉をひょいと上げると、駒井の背中をぽんと叩いた。
「話が早いね。あとはよろしく。ご飯は七時ね。タケちゃんも食べてくでしょ」
居間に戻っていくアズサの後姿に笑顔でうなずくと、武内はパソコンを栗野の膝の上に置いて、言った。
「よろしく頼むわ。おれをタケちゃんって呼んでみろ。殺すぞ」
栗野はパソコンが立ち上がるのを待った後、パスワードを呟いた。完全に起動したデスクトップに並んだアイコンの乱雑さを見て、駒井は言った。
「あんた、ほんとにこの手のプロなのか?」
「そうだよ。見た目で判断するのは、おすすめしないね」
栗野はそう言うと、武内に次々と指示を出して、取引に使うブラウザのログイン画面まで進んだときに、舌打ちをして配管に頭を軽く打ちつけた。
「ごめん、パスワードが分からない」
駒井が拳を振りかぶると、栗野は首を横に振った。
「ほんとだってば、メモは財布の中なんだよ。自動入力も切ってる」
「てめえ、次に二度手間になったら、分かってるだろうな」
武内は栗野の体を探り、ビジネスバッグの中をかき回した。しばらくの沈黙が流れた後、栗野の頬を平手打ちした。
「もう言わなくても分かるよな?」
栗野はうなずいた後、神妙な表情になって、言った。
「暴力に頼らず信じてほしいんだけどね。財布は手元にないんだ。君らがもう一日早く拉致ってくれたら、今ごろ大金持ちになってたぜ」
駒井は、栗野の携帯電話に入っている銀行のアプリを開いた。
「お前、なくしたのか?」
武内が思わず画面を覗き込み、目を丸くした。
「すっげえ、ついさっき二十万落ちてんぞ。お前、これ止めねえとヤバイんじゃね」
栗野は苦笑いして、痛み出した手首の位置を少しずらせた。勝手に使われているなら、止めないといけない。普通に考えればそうだろう。しかし、実際には栗野自身が財布を投げつけ『そんなに気に入らないなら、これで買えるだけ買ってこい』と言ったのだった。堂島はとびきりの逸材だが、一番金がかかる相手でもあった。栗野が黙ったままでいると、武内が駒井の手から携帯電話をひょいと抜き取り、廊下に出て行った。駒井はその後を追って、廊下の真ん中で頭を捻っている武内に言った。
「どうした?」
「いや、考えてるのよ」
武内はメッセージのアプリを開いて、連絡先のアイコンを上下に繰りながら、首をかしげた。
「当たったら、夜食奢れよ」
武内は、栗野が活発にやりとりしている女性数人の連絡先に、『財布知らない?』と送った。栗野がいつも使っているらしい変な顔文字を付け足すのも、忘れなかった。
一時間が経って、やっと一人から返信が届いた。
『なくしたの? 災難だあ〜へこむね』
とりあえずやるだけのことはやったという表情で、武内は栗野の携帯電話をポケットにしまいこんだ。駒井は言った。
「他の奴は返信してくるかな?」
作品名:Hellhounds 作家名:オオサカタロウ