Hellhounds
赤城は言うと、また窓を閉めた。黒島の言うことは、明らかに矛盾していた。こうやって仕事を手伝わせている間は、画伯は毎日ワンカップにありつける。それは幸せなことだろう。でも、最後には殺さなければならないのだ。赤城は、再びバイザーを見上げて、思った。四人のチームというのは、どういうものなのだろうと。黒島とコンビで七年やってきた赤城には、想像がつかなかった。去年の十一月。ある仕事で、四人のうち一人がまず殺された。そして、生き残った三人のうち、一人は重傷を負った。さらに一人が殺され、もう一人は行方不明。重傷の一人だけが、生き残ったことになる。『行方不明』を殺すのが、今回の仕事だった。手がかりは単純きわまりなかった。名前は苗字だけで、神崎。そして、古ぼけた顔写真。
こちらの手持ちは、フットワークの軽い画伯と、モスバーグ五〇〇と四五口径。そして、七年来の相棒。
二〇一八年 一月十二日 昼
「へえ、連絡とれないんだ」
三浦百合子は、次の講義が始まる直前になって話し始めた河山留美の言葉に、耳を傾けた。講義が始まるまでにあと数分しかないし、さっき忘れ物に気づいたばかりだ。研究室に置いた青いクリアファイル。あの中に今日この講義で提出するレポートが挟んである。後から研究室に持って行ってもいいけど、あまり教授の印象を悪くしたくないし、今ならまだ間に合う。テスト期間よりも先にレポートの提出があるのは、この講義を受け持つ教授の『これ以外に取る講義がない学生を早く解放してやろう』という厚意だったが、それは完全に逆効果だった。河山はがやがやとうるさい教室から自分たちを隔離するように体を少し低くすると、三浦に言った。
「うん。焦ってるみたいよ」
「そうなんだ、大変そうだね」
三浦は、愛想笑いとセットで相槌を返した。そして、言った。
「ごめん、忘れ物を……」
上の空で聞き流していた河山は、次に言う言葉に思い当たったようで、教科書を自分の鞄から出しながら言った。
「他にも焦ってる人、いっぱいいるんじゃないの? 彼女っても、堂島さんだけじゃないでしょ。なんかヤバイ人らしいし」
三浦は同じく上の空でうなずいた。堂島春花。カットモデルで雑誌に載ることもある、文学部の二回生。同じ回生でも会う機会は少なく、この講義は近況を知ることができる唯一の機会だった。派手で、三浦と河山が逆立ちしても買えないような服やバッグを持っている。そして、あまり人と交流することもなく、ずっとスマートフォンを手元に置いていて、常にチェックしている。
「一度迎えにこなかった? あのヒラメみたいな平べったい車さ。ポルシェだったよね。絶対なんかやってる人だよ。パパ活も楽じゃないよねえ。あのバッグとかもう貰えないのかな?」
河山はぺらぺらと話しながら、ノートを教科書の横に並べた。三浦は言った。
「ごめん、忘れ物したんだ」
「マジで? どこに?」
「研究室」
言い終わるのと同時に動こうとしたとき、椅子が引っかかって削れるような音が鳴った。
「あれっ」
三浦が思わず言ったとき、河山が後ろを振り返ってびくりと肩を震わせた。三浦は自分も振り返って初めて、真後ろの席に堂島が座っていることに気づいた。
「こんにちは」
堂島は傍らに置いたスマートフォンの画面を眺めたまま言った。三浦は取り繕うように言った。
「あ……、ごめん、大変なときに」
「何が?」
堂島は一瞬だけ、スマートフォンから顔を上げた。色素の薄い大きな目が、三浦と河山の目を代わる代わる捉えた。河山が気まずそうに肩をすくめて、言った。
「いや、連絡つかないんだよね。心配だね」
堂島は返事もなく、再びスマートフォンに視線を落とした。三浦はひきつった顔をほぐすように愛想笑いを向けると、再び立ち上がろうとしたが、また椅子が引っかかった。足元を見ると、堂島の伸ばした足が、椅子の足に蔦のように絡まっているのが見えた。
「あの、ちょっと……」
三浦が言うと、堂島はまた顔を上げた。
「何?」
「忘れ物を……」
三浦が言い終わるのと同時に教授が入ってきて、教室がしんと静まり返った。諦めて椅子に座りなおしたとき、絡まっていた足がさっと引いた。後ろから、小さなかすれた声が聞こえた。
「大変なときに、ごめんね」
堂島はそう呟くと、スマートフォンを鞄にしまいこんだ。落ち着かない。講義は退屈で、暖房の風だけが時折首元を流れていく。頭には何も入ってこないが、予習を済ませた後ではほとんどが『言い聞かされている』ような状態で、聞き流してもどうってことはない。堂島は子供の頃からずっと成績優秀で通してきて、それは大学二回生になっても変わらなかった。どうやって成績を保っているか、まだ前でそわそわしている三浦にも聞かれたことがあるが、単純なことだった。ただ、人一倍勉強している。堂島は、今の自分の置かれた状況が、成績に応じた『対価』であると考えていた。それは堂島家の長女が履行すべき『契約条件』の一つで、成績を保っている限り、どれだけ派手な服を着ても、数十万円するバッグが唐突に増えても、誰も文句を言わない。
退屈な講義が終わり、キャンパスを出て駅までの道を歩いている間、あちこちから視線が飛んでくる。歩きスマホをしているからといって、何も見えていないわけじゃない。でも、相手は見えていないと思って、却ってはっきりとこちらを観察してくる。
母親にメールを送る。『おばあちゃんは元気ですか?』
次に弟。『部活終わった? 気をつけて帰って』
最後に父。『今日は十九時に帰ります』
一人暮らししている今の状況では、こまめに連絡する以外、家族を安全させる方法はない。母親から返信がすぐに届いた。
『今日は楽だって』
堂島はホームで電車を待ちながら、小さく息をついた。何を返信するか考えようとしても、まとまらない。理由ははっきりとしていた。昨日から栗野と連絡がつかないからだ。
栗野は堂島の彼氏で、三七歳にしては若くは見えるものの、到底釣り合わない年齢だった。河山の言う『パパ活』も、ゼミの先輩から伝わったのだろうが、当たらずとも遠からず。成績優秀でいるにはモチベーションが要るのだ。栗野は高級車を乗り回し、常にノートパソコンとにらめっこしている男で、堂島のことは『ナンバーワン』と呼ぶ。意味はそのまま言葉通りで、最初に聞いたときは、白々しいことをよく真顔で言えるものだと、堂島は失笑した。軽い言葉に、飄々とした身のこなしがおまけでついてきたような性格。しかし、高級車の中でアイスをこぼしても全く怒らない大らかさもあって、一緒にいて楽だった。
行方不明になる前日の夜は、喧嘩したばかりだった。今思えば、つまらない理由で。
逆方向の電車に乗る。
アパートと真逆の方向には大きな市街地があって、中心部にはそれこそなんでも揃っている。堂島にとっては、遊園地のような存在だった。駅から出て、すぐに見つけたコンビニで二十万円を下ろすと、堂島は新しいバッグを買った。駅のトイレで中身を全部移し変えて、古いバッグは置いたままにして帰る。そうすれば、泣きたくなっても、置き去りにされた古いバッグの気持ちに比べれば大したことないと、何とか耐えられる。
作品名:Hellhounds 作家名:オオサカタロウ