Hellhounds
「一回出たら、入れないんだってば」
堂島は呆れたように言うと、駒井の体を両手で力いっぱい押し戻した。抵抗しないということが分かると、堂島はソファまで駒井を押し戻して、部屋の電気を点けた。
「すぐ用意するから、待ってよ」
牽引ロープでランドクルーザーに引きずられているインプレッサの運転席で、武内は朦朧としている意識がようやくはっきりと晴れ渡るのを感じた。リアタイヤがボディとこすれながら、動物の遠吠えのような情けない音を鳴らしていて、武内はやっと、自分が事故を起こしたということを思い出した。しかし、自分の側の信号は青だったはずだ。どうして、あの車は無灯火で突っ込んできたのか。そこで全部の記憶がつながり、武内は運転席から逃れようとしたが、ドアグリップと自分の右手首がタイラップで結ばれていることに気づいた。助手席は空っぽだった。続いて後部座席を振り返ったとき、真っ青な顔色の蜂須が横倒しになって死んでいるのが見えて、悲鳴を上げた。
姫浦は解体屋の中にランドクルーザーを停めると、無言で降りた。前園は膝をかばいながら降りると、何も話そうとしない姫浦の前に回りこんだ。
「なあ、あんた。どうしてここが分かったんだ?」
姫浦は、前園が巻いている腕時計を指差した。前園が思わず手首から外して差し出すと、姫浦はスマートフォンを取り出し、位置検索アプリの電源を切った。
「それで、あなたの動きをずっと追っていました」
手足を縛られた赤城が事務所の中に寝かされているのが見えて、前園は言った。
「あいつを殺したのか?」
「いいえ、生きてます」
姫浦はランドクルーザーの後部座席からモスバーグ五〇〇を引っ張り出した。前園は、解体屋から逃げるときに後ろから飛んできた弾はこの銃から放たれたのだということを、今さら意識して体を震わせた。二発目が飛んでくる前に、姫浦があの男を昏倒させたということになる。
「あの男は手が早いですね。あと一歩遅かったら、これで穴だらけにされてましたよ」
姫浦はモスバーグを右手に持ったまま、インプレッサの運転席のドアを力任せに開けた。武内がドアに引きずられるように外に半身を乗り出しながら叫んだ。
「やめてくれ!」
姫浦は小さなハサミをポケットから取り出すと、タイラップを切った。ジャケットの襟首を掴んで、ボストンバッグを運ぶように事務所まで引きずっていき、武内を床に転がした。頭からまだ血を流している赤城の方に向き直って、言った。
「それぐらいの怪我は、すぐに治ります」
赤城は目に入った血を瞬きで払うと、姫浦を見上げて愛想笑いを返した。吉松は隣で体を起こすと、前園に言った。
「俺まで縛られてんのは、なんでだ?」
前園が机の引き出しからはさみを取り出して近寄ろうとすると、姫浦は首を横に振った。前園に仕事を依頼した数日前とは似ても似つかないほど、その目は冷たい光を放っていた。姫浦は携帯電話をポケットから取り出すと、耳に当てながら前園に言った。
「座ってもらえますか」
電話が繋がり、姫浦はモスバーグの銃口を武内に向けた。
「逃がし屋さん、名前を教えてください」
「武内……」
姫浦はスピーカーフォンにすると、机の上に置いた。
「去年の十一月、誰を待っていたのか、教えてもらえますか」
武内は語った。最初は引っかかりながらだったのが、蜂須が死んだということを頭が理解するにつれて、次々と言葉が飛び出すようになっていった。その言葉の主体は、いつしか蜂須から自分に変わっていった。裸足のまま冷たい玄関に飛び出したような、不思議な感覚だった。
武内が話し終えたのを確認すると、姫浦はスピーカーフォンに向かって、言った。
「神崎さんから手を引いてもらえますか」
しばらく沈黙が流れた後、低い声が返ってきた。
「分かった。スピーカー切れ」
姫浦は言われたとおりに、再び携帯電話を耳に当てた。雇い主の稲場は今まで通り、常に会話の中で選択肢を探っていた。その間に流れるのは大抵が沈黙だったが、電話の相手は相当な緊張を強いられるのが常だった。
「独断で動くなと言ったろ」
「わたしに仕事を教えたのは、あの人なので」
「恩があるのは分かるが、それとこれとは別だ。お前、自分の首がつながってるだけでもラッキーだと思えよ。今回のことを帳消しにしたいなら、後始末をやれ」
姫浦が無言で先を促すと、稲場は続けた。
「今回の件で二人雇ってる。そいつらには前金しか払ってない。こっち側の都合でキャンセルになったら、残り半分も支払う契約になってる。例えるなら今のお前は、ぴったりにオーダーメイドされたスーツの、一番目立つところにあるほつれだ。飛び出た糸にも、意味があるってことを証明しろ。じゃないと、切ってライターで炙って、終わりだ」
姫浦は少し俯くと、事務所の表に出た。前園の方を振り返って、誰もがじっと動かないことを確認する。雨が髪伝いに顔に流れ込み、化粧が流されていく。額に残る切り傷の痕、千切れた耳たぶ。体中の、つぎはぎだらけの骨。姫浦は呟いた。
「わたしに、残りを補填しろということですか」
「お前は、話が早くていいよ」
稲場は返事を待たずに電話を切った。
武内と電話が繋がらないということと、結局堂島がついてきたという二重苦で、駒井は真冬なのに汗を流しながらハイエースを走らせていた。ホテルから毛布を拝借して、駒井はそれに包まって隠れていろと言い聞かせた。
「うちの母親に会わせるわけには、いかないんだ」
「怖いんだ?」
堂島が茶化すように言い、駒井は首を横に振りながらせわしなく車線変更を繰り返した。
「そういうのじゃないよ。とにかく、前に停めるけど絶対出てきたらダメだからな。様子だけ見たら、すぐ出てくるから。その毛布の中にすっぽり隠れてろよ」
「もう、分かったってば」
堂島はそう言って、毛布の埃をはたいた。そして、言った。
「ねえ、名前は?」
「おれか? 今さら、何だっていいだろ」
「よくないし。犯罪者だから、名前も言えないの?」
「駒井だよ。覚えたか?」
駒井は指示器を出して、山道に出ると一気にアクセルを踏み込んだ。堂島は言った。
「覚えた」
「忘れろ」
「コマちゃん」
堂島はそう言って、毛布を手繰り寄せながら笑った。駒井は家の前まで来て、インプレッサが帰ってきていないことに気づいて、少し手前で減速した。
「隠れろ」
堂島が言われたとおりに毛布をかぶると、静かになった。駒井は栗野の財布をポケットに突っ込み、フードをかぶるとハイエースから降りて、車庫のシャッターを開けた。クラウンも、蜂須のハイゼットも置きっぱなしになっていた。中で物音がしていることに気づいた駒井は、家の中に入って、電気を点けた。栗野が横倒しになって眠っていることを確認して、居間を覗き込む。アズサは寝ているだろう。呼びかけて起こすのは億劫だったし、部屋をノックするのも気が引けた。駒井は静かに自分の部屋まで上がると、携帯電話を充電器に差し込んだ。アズサが起きてくる前に一度出て行かないと、厄介なことになる。数分が経って、何とか回復した携帯電話とモバイルバッテリーを持った駒井は、一階に下りた。栗野が目を開けて、言った。
作品名:Hellhounds 作家名:オオサカタロウ