①全能神ゼウスの神
抱けない理由
「ゼウス様はね、挿れると身体にスティグマが現れるんだ。」
「…スティグマ…?」
「聖痕。いわゆる烙印のこと。」
「…どうしてそんなものが…。」
「さっきも言った通り、挿れると力が奪われるんだ。俺ら程度なら、そんなに大きな影響はないからバレないし、そのあとそいつを食べ尽くせば取り戻せる。けど、ゼウス様は強大な力を持っていて、その力で宇宙のバランスは保たれている。宇宙をひとりで守り支えないといけないゼウス様には、一滴だってその力を漏らすことはできない。だから、それを私欲に使ってしまったら、身体に烙印が現れて、力が弱っていることを他の神々に知られてしまう。」
全能神の荷の重さに、私は思わずごくりと喉を鳴らした。
「知られてしまったら…どうなるの?」
恐ろしい想像をしてしまい、背筋に冷たい汗が伝う。
そんな私に何の遠慮も気遣いもなく、サタン様はあっさりと答えた。
「その強大な力を得て、次の全能神の地位を得るべく、野心家な神々に食われちゃうかなー。」
予想が当たってしまい、私は思わず立ち眩みがする。
ふらりとよろけたところを、ふわりとシャボン玉に包まれた。
(!これは…。)
既視感に、宙に浮きながら私はふり返る。
すると、やはりそこには想像通りの人が立っていた。
「神の秘密、簡単に話すんじゃねーよ。」
言いながら、ゼウス様の元に吸い寄せられる私。
ふわふわと宙に浮いたまま、ゼウス様の後ろに降ろされた。
「いいじゃないですかー。どうせペットで飼うんでしょ?」
悪びれた様子もなく、無邪気な笑顔を向けるサタン様に、ゼウス様はため息を吐く。
「飼わねーよ。」
「えー、食べちゃうんですか?勿体ない!それなら今のうちに、一口だけ舐めさせ」
「食わねーよ。こいつは還すんだから。」
遮られたその言葉がよほど意外だったのか、サタン様が大きく目を見開いて驚いた。
「嘘でしょ!?だって、そいつフェアリーですよ!?ゼウス様にとって最高の」
「んなもんなくったって、私は十分、力を保てる。」
私に聞かせたくない内容なのか、ゼウス様はことごとくサタン様の言葉を遮る。
「何事かと思ったら…サタンにゼウス様…。」
陽が怪訝そうな表情で、現れた。
その頬はうっすらと色づいていて、先ほどの彼女との絡みの余韻を感じさせる。
「何しに来たの?サタン。」
不機嫌そうに、ふわふわの黒髪を整えながら陽はサタン様を睨んだ。
「いや、なんかすげーオーラを感じたからさ。」
無邪気な笑顔で答えるサタン様に、陽は呆れたようなため息を吐く。
「本能のままだな、相変わらず。」
陽の言葉に、サタン様は腰に手を当てて胸を張った。
「そりゃ、本能を司る魔王サタンだから当然じゃん。双子でも、理性を司る大天使ミカエルのおまえと真逆なのは当然だろ?」
ゼウス様の背中から、私は思わず顔を出す。
「双子!?」
似ても似つかない二人が双子ということが信じられず、つい声をあげてしまった私を、ゼウス様が冷ややかにふり返った。
(…。)
無表情だけど、なんとなく怒っているように感じた私は、慌てて身を縮める。
「そ。俺とミカエルは双子。でも俺らの魂は元々、双子でも兄弟でもないから全然似てないんだけどねー。」
(…?)
またわけのわからないことを言うサタン様を、私はゼウス様の背中越しにチラリと覗き見た。
「真逆の性質のオーラを持つ魂が同時に神の国に辿り着いた時に、サタンとミカエルは生まれるんだ。だから、その魂達が現れたら強制的に代替りする。逆に言えば、それが現れるまで力を保ち続けないといけないってことでもあんだけどねー。」
ペラペラと喋るサタン様に、陽とゼウス様は同時に大きくため息を吐く。
「ほんっと、口が軽いな…。」
陽はげんなりとした顔をしたけれど、ゼウス様をふり返った時には上品な微笑みを浮かべていた。
「アポなしでいらっしゃるなんて、お珍しい。」
態度は敬意をはらっているけれど、言葉と口調は嫌味たっぷりだ。
「突然のことで十分なおもてなしはできませんが、こちらへどうぞ。」
にっこりとやわらかな笑顔を浮かべる陽に、ゼウス様は無表情で首を左右に振る。
「いや、めいを迎えに来ただけだから。もてなしはいらない。」
ゼウス様の言葉に、陽の頬が引きつった。
「…さきほど、招いたばかりなんですが?」
笑顔だけど笑っていないその表情に、鳥肌が立つ。
「なら、しっかりもてなしな。」
ゼウス様は、腕組みをしながら陽を真っ直ぐに見据えた。
「腹が減るのは仕方ない。だけど、それなら食事中は、おまえのペットを傍につけて、寂しい思いをさせないようにしな。」
そこまで言うと、ゼウス様は組んでいた腕を解き、私のシャボン玉にそっと触れる。
「泣かせて、負のオーラを出させるな。」
(…あ。)
(ゼウス様は、さっき私が泣いたので、迎えに来てくれたんだ。)
「おまえの不注意で、サタンまで現れただろ。」
口調は相変わらず淡々としているけれど、微かに怒りを感じた。
けれどその怒りは、私を心配してのものだと思うと、恐ろしくなく心の中がじわりと温かくなる。
「…エサを見られてしまったので。ここでペットまで出したくなかったんですよ。」
陽は笑顔を消して、鋭くゼウス様を睨んだ。
(『エサを見られた』。)
(エサって…、あの彼女のことだよね…。)
その時、恐ろしい事実に気がついた私は、思わず声をあげる。
「だから…だから、私の存在でどうこうなる関係じゃない、って言ったのね?」
私の言葉で、陽の瞳が鋭く細められた。
「てっきり、固い絆で結ばれてるってことだろうと思ってたけど…食べてしまう相手だから…ってことだったのね!?」
「めい。」
ゼウス様が、シャボン玉越しに私を優しく包み込む。
「もう充分、ミカエルと話せた?」
私の視界は、ゼウス様しか見えない。
陽もサタン様も見えないようにするかのように、ゼウス様はシャボン玉に顔を近づけた。
「うちで、ゆっくり過ごそう。」
無機質で無表情なはずなのに、その身体中から優しさが溢れていて、私の両瞳から涙が溢れる。
私は涙を拭いながら、何度も頷いた。
「…ちっ。」
小さく聞こえた舌打ちに、ゼウス様は視線だけ後ろへ向ける。
「還すとか言いながら、結局はうまく手懐けてフェアリーを独り占めしよう、って魂胆かよ。」
嘲るように言うその声は、陽のものだった。
「やっぱそうなのかー。まぁこのままミカエルが手懐けて手中におさめたら、フェアリーの力で逆転してゼウス様は失脚しちまうから。そりゃ仕方ねぇんじゃねーの?保身は大事♪」
(…。)
(よく意味がわからないけど、つまり、保身の為にゼウス様は私を助け、匿おうとしたってこと?)
恐る恐るゼウス様の顔を見る。
すると、私へ戻された金色の瞳と真っ直ぐに視線が絡んだ。
けれど、否定も肯定もしない、その無機質な瞳からは何の考えも感情も読み取れない。
(…嘘ですよね?ゼウス様…。)
問いかけても、ゼウス様は黙ったまま、私を真っ直ぐに見つめるだけだった。
(つづく)