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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 五、生命の章

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 身を投げるような真似をせねばならぬほど非力なものに、いつまでも手を煩わされているとは――ヤナセの両眼がギラリと色を変える。黄のうちに血のような赤を滲ませ、その長髪がゆらりと逆立つと、生じた疾風が左右から鎌を振り下ろすように男の体を切り刻む。声すら漏れず、男の体はバラバラに地上に落ちていった。――と、
(しまった……!)
 気配に振り返ったヤナセはハッと息をのんだ。敵の攻撃がこの隙を突いて放たれ、ラアの背に迫る。
 しかし、ラアがそれに気づかぬはずもなく、わずか首を振り返らせると彼の一瞥したその瞬間、敵の一撃は炎に包まれかき消された。
 胸をなでおろすヤナセの前に、ラアはつと足を止め、ついに身体ごと振り返った。そうして、今生み出した炎を移したかのようにその瞳を金に燃え上がらせる。
(「裏側」の力か――!?)
 ヤナセは咄嗟に腕で顔を覆う。と同時に、ラアの体からその瞳と同じ黄金の光が放たれた。
 ほどなく、それが自身に何の害もない力であると知り、ヤナセは腕を解いた。――そうだ、この力は以前中央で用いたものと同じ。生者には何の影響も与えはしないのだ。
 ラアの体から幾重も輪を重ねるようにして広がる黄金。ひとたびその光に触れた再生者は、その存在を保つことができない。しゃらしゃらと金の粒を噴き上げて、その形をなくしてしまうのだ。
 夜闇のうち、地上と天のそこかしこに、黄金の花火がちらちらと咲き、そして消えてゆく。あの火属の男も、そのうちの一つとなって暗い夜天に溶けて消えた。
 あとには、数えるほどしか残らなかった。
(さすが……だな)
 軽く首を回し敵の位置を確認すると、ヤナセはふっと安堵の息を吐いた。張りつめていたものが解かれ、やっと先を見据える余裕ができた。
 この程度であれば、問題ない。四大神、風の長としての自負が彼の口元に笑みを浮かばせた。
 ラアは再び身をひるがえし、天へと向かう。ヤナセは軽く風をまとってそれに続いた。心なしか、敵の攻撃が随分と弱々しく感じられる。太陽神の力に恐れをなしているのだろうか。死への恐れを知る生者であればそれは当然であろう。それこそが大神の威というものだ。
 ラアはまるで目に見えない道を行くかのように、迷いなく、天へと昇った。
 やがて彼は、生命神のいる高度までたどりつくと、そこで足を止めた。そうしてそこからは、見えない道が水平に伸びているのか、ラアはその上をゆっくりと歩きだした。
 生命神の姿は、青の光を瞬かせる魚の姿に覆われ、判然とはしない。そしてその手前にもう一人、彼の側近であろう男が、腕を組みこちらを見据えていた。
 ヤナセは警戒を強めながらそれに続いた。側近の男からはただならぬ力を感じる。やはり高位神であるだろう。高位の神の力量は、低位の神々のそれと雲泥ほど隔たりがある。だからこそ、これまではヤナセひとりでもどうにか耐えることができたのだ。しかし高位のものが相手では、たった一人にも苦戦を強いられるだろう。
(あとどの程度の距離で動き出すか――)
 それとも側近の男より先に、生命神が動くか。
 生命神の――もちろんラアもそうなのだが――攻撃範囲には、とうに入っているのだろう。いや、この神殿の守備範囲を侵した時から既に、いつでも、その力を及ぼすことはできたはずだ。
 しかし生命神は、はじめ地を揺らすことでそれを示したあと、何一つ動きを見せない。
(不気味だ……。以前中央を襲ったときもそうだった)
 なにかを企んでいる? それとも……。
(そうだ。暗い柱廊を抜け、はじめの一撃を私が払った、あの直後の『間』。あの場を占めるほとんどが再生者であるならば、あのような『間』が生じるはずはない)
 であれば、何者か、当然権威あるものが、止めていたのか。
 何のために? ――我々が上空を見上げ生命神を捉えていたように、生命神は、ラアを……太陽神を、捉えていたというのか。
(まるで、ラアがやってくるのを、待っているようではないか……)
 そのとき、ぼうっと赤が二つ、夜闇に浮かびあがった。
 ヤナセが身構えたのとほぼ同時に、雷鳴のような轟きをともない、側近の男の背後に炎の壁がそびえ立った。
 それは炎というよりまるでマグマのように赤黒く煮えたぎり、どっしりと屹立してある。
 生命神との場を隔て、彼らの行方を阻む壁。その熱がじりじりと肌を焼く。
 やはり簡単に通すつもりはないらしい。ヤナセはラアの前へ進み出る。まとう風が、彼の長髪を巻き上げた。


   *


 カムアは中央神殿の中庭で、ひとり、天を仰いでいた。
 じわじわと生じた雲が、星々をその奥へとかき消してゆく。遠くからかすかに、獣の唸に似たとどろきが届く。
 北の空を見つめていた。この向こうに、ラアはいる。
 目に見えるわけではない、遠すぎて気配をつかむこともできない、しかしカムアはじっとその方角を見据えていた。
 昼に、ラアは会議室で神々と話したあと、カムアを自室に呼び、言った。
 “きみを戦場には連れて行かない”と。
 ここで待っていてほしいと言われ、カムアは無念さに身体じゅうの力が抜け去るように感じた。
 いつでもラアの傍にありたい。どんなに危険でもかまわないと、そう願っていた。近くから、彼の輝きを確かに捉えていたい、と。――けれど、叶うわけがないということも、本当は、分かっていたのだった。自分の力では戦の役に立ちはしないのだ。彼のためにも、わがままを言うわけにはいかない。
 ところが、ラアは首を振ってこう加えた。
「おれのわがままなんだ。ここだって安全じゃない。きみもきっと無事ではすまない」
 それでも、ここにいてほしい、と。
「ここにいて、そうして見てほしいんだ。おれが望んだもの。きみが、望んだもの。それを必ず見せるから。遠くても必ず届く。でも、近すぎるとだめなんだ」
 近すぎると、ちゃんと見えないから。
 ラアはあの黒曜の瞳でまっすぐこちらを捉え、瞬きもせずそう言うと、最後ににっこりと笑って見せた。
「きみが信じてくれるから、おれは迷わない。何よりも、おれは自分を強く信じてる。おれが信じるきみを、同じように信じられる。誰よりも――」
 今も脳裏に響くその声に、うなずき応えるように、カムアは目を閉じる。
(信じています。あなたが望み、そして僕が望むとおりに)
 ……ラア。
 求めてやまない、僕にとって唯一つの星、唯一の輝き。
 それは、どこか自分のうちにあるものに、近いもの。けれど、自分では決してつかむことのできないもの。
 あなたが見せてくれたものは、僕が手に入れたかったもの。
 いや、僕が望んだものを飛び越えて、想像すらできなかったものを、あなたは創り出す。
 自分が、恐れ、手を伸ばすことすらためらったそれを、あなたは躊躇なく掴み取り、そのうちに育んできた。
 手にしてもよいのだと、教えてくれたのはあなただった。
 あなたが一度、その本質に恐れを抱いたとき、だから僕は、捨てようとはいわなかった。
 それを肯定してくれたのは、あなた自身だったから。
 あなたの持つものは、けれど自分など比べ物にならないほど大きくて、だからこそ、恐れを抱くのは当然だから。