睡蓮の書 五、生命の章
生み出されたものが次々とその形を失い、そこには青の濃淡だけが残された。それはまるで生まれ出た瞬間にうしなわれたいのちが、また次の形に生まれ出でるために、繋がれる命をたしかに保とうと必死に鼓動を打っているようだった。
そうしてドサムは絶え間なく力を注ぐ。肉体の治癒は彼の本質にかかる力であるから、彼自身がよく意識しなくともその力は自然に働いた。太陽神にもっとも近くありながら姿を保っているのはそのためだった。頭部を守りさえすれば、力を注ぎ続けることができるのだ。
しかし、どこまで注いでも足りない。やがて治癒の力が追いつかなくなり、ドサムの身体は太陽神に向けたその指先から徐々に蝕まれてゆく。
ドサムは苦痛とともに這いあがる無力感を押さえつけるように、唇を噛んだ。
(ただひとりの身から、これほどの力が)
止むことのない力。衰えを知らぬその放出。
ホルアクティは言った。意思の力が違うのだと。
太陽神ラアの放つこの力は、己を貫き通そうとする意思の顕現である。だが、まるで一個の持ちうる範囲を超えてしまっているようだった。
それは守るものをもたず、己すら守ることをせず、それを燃え種に炎を生む。つながりを断ち、他者の意を撥ねつけそびえたつ。
彼はそこで、ただひとり主張しているのだ。
見せてやる、と。
見ようとしないなら、目の前に突き付けてやる、と。
目を逸らすことをさせない。その目が閉じてあれば瞼を貫き、その奥へと直接訴えようとする。それでも像を結ばぬというならば、その身の感覚にはっきりと刻みつけ、知らせてやるのだと。
(これほどまでに抜きいでた自我とは……)
強烈な、自己へのとらわれ。他をいっさい顧みず、己の望みを求めるその様子。
それは他と共に立ち、いのちを繋げゆくには不適な態度である。次代を育て社会を担い立つ者としては未熟な自我である。
以前のドサムであれば、ただ否と断じていただろう。……だが今、それが、なぜだかひどく不安を掻き立ててくるのだ。
(私はこれを、知っている……?)
なにかに似ている。漠然とした思いが絡みつくようにあった。
ズキズキと頭が痛む。それが事実であるのか確かめたいと手を伸ばす。しかしまた、危険であると引きとめる。
そうした意識が胸の奥にくすぶり、彼が敵へと向ける注意を阻んだ。
膜に注ぐ力が弱まり、太陽神の力はこれまでに増してそれを容易に貫きいでる。
夜天に、巨きな花が咲き誇った。細い黄金の花弁がいくすじも、闇を割くようにひらいてゆく。
ひらかれる力、花の目ざめ――ドサムはハッと息を呑んだ。
(ホテア……)
似ている。それは彼の精霊が、己の力を示し敵の侵入を許したとき、それを叱責したドサムに向けたあの感情と。
目に見えぬ力の流れが、その色なき色合いが。
まさかと思った。しかし太陽神の力が叫ぶその声なき声が、精霊ホテアのそれとまるでぴたりと重なって、彼の脳裏に響きわたるのだ。
目をそむけるな、と。
望みを。自身の本質から生じ、求めずにはいられないそれを、遠ざけるな、と――。
(お前なのか、ホテア。これは、お前の――)
激しい動揺がドサムを襲った。まるでちいさな彼の精霊が、今そこにたちあがり、あのときの感情を彼に知らしめているかのようだ。
大切にいつくしんできたその結果が、これと同じであるというのか。心を砕き守りつづけた存在の、その内側に、こうしたものが育まれてきたというのか。
信じられない――なによりも心を傾けてきた、そしてもっとも愛しんできたはずなのだ。
しかし、これほど強烈な感情を生み出すその根にあるものが、安らぎや満ち足りた気持ちであるとは考えられない。
ドサムの表情が苦しげに歪んだ。与えてきたものはどこへ行ったのか。なぜ、それらは受けとめられていないのか。
(足りなかったというのか。それとも、……なにかが、間違っていたのか……)
肥大した自我。執拗なまでの自己へのこだわり、その開示。
それは声高く訴える。受けとめられるべきを、受けとめられなかったのだと。
受け入れるべきでないものが、自身のうちにある。その必然を、見ようとされなかったのだと。
(ちいさな反抗だと、侮っていたのは、私か)
軽重を身勝手に定め、すくい取ることをしなかった。それが、過ちであったのだと。
ドサムは愕然と目の前の黄金をながめた。
どこまでも放たれ止むことを知らぬ意思。――圧倒される。ただただ、圧倒される。
身をなげうち、主張するものほど恐ろしいものはない。どんな言葉も決して届かず、それは否応なく他を巻きこんでゆく。
止めるすべなどどこにあろう? ……どこにもない。あるとすれば、過去の時の積み重ねであるだろう。しかしそれはとうに過ぎ去ってしまったのだ。
(なによりも捨ててはならないものを、教えることができなかったのは、私か――)
衝撃が、彼の全身をめぐる。
彼にとってただひとつの生命。幸福に、なにより生きよと望んだ。
しかしそれを阻むものが、他ならぬ自分自身であったのだ――。
ぴしり、と膜に亀裂がはしる。
膜へ注ぐ力は、もはやそれを補う意思をもたなかった。
卵の殻のように、それはつぎつぎと割れ目を生じると、ついに、粉々に砕け散った。
――光が、世界にあふれ出る。
太陽神ラアの光、その黄金。
それはちいさな精霊が見せたものと、すっかり同じというわけではなかった。
もはや受けとめられることを求めず、愛憎も、敵意すら超え、その諦念の先にこそこれほどの激しさが生じるのだ。
己をかたくなに信じ、他に照らすことのない、己だけの正しさを掲げる。それは内へと閉じたために肥大した自我の様相である。
閉じねばならなかったのだ。見えなかったのか、見ようとしなかったのかは問題ではない。「ある」はずのものが「ない」とされる、その違和が彼のなかで膨らみつづけたために。
内側から見ることでそれが「ある」と知ると、内こそが彼にとって真実となり、「ない」としてきた外は虚偽となる。その認識が、外の世界を閉じさせたのだ。
ただ内側から己を見つめ、それだけで認識を形作ってきた。
閉じるごとに肥大し、肥大するごとに齟齬は広がる。
そうした食い違いの原因をたしかにしなかったのは、ラア自身なのだ。
手放すべきという外の声に耳を貸さず、求めたいという内の声を選びとったのは、彼自身なのである。
これは結果を求めた行為ではない。これこそが、結果である。
「この先」を求めることをしないために、「ただ今」に自身のすべてを賭けるのだ。
歩んできた道を焼き落としながら、ただひとつの目的のために。
それは負の感情をも巻き込み、何もかもを自身の力と変え、意思と一体となって織りあげる黄金。
ラアは叫ぶ。――これこそが“我”である、と。
*
シエンは愕然と天井を仰いだ。
闇が――大樹の根の中心部から突如ひらいたその闇が、ごうごうと渦を巻き、地にあるものを次々と吸い上げる。
作品名:睡蓮の書 五、生命の章 作家名:文目ゆうき