before a period of our time
『before a period of our time』
「……旅行代金は初日に集めるからね。あ、全員旅行保険入ったから1000円上乗せよろしく」
「わかった。えーと、バスが10時半発だっけ」
「そうそう、だからターミナルに9時半集合ね。なんかあったらわたしの携帯に電話するってことで。後で最終確認書の内容メールしとくから」
中学からの友達である小高七恵、通称なーちゃんが電話の向こうで言う説明に、「わかった」と応じる。私となーちゃんを含めた、よく行動をともにしているグループで3泊4日の旅行を計画していて、なーちゃんが幹事を引き受けているのだ。
「で、結局何人行くことになったんだっけ」
「6人、じゃなくて7人。加奈ちゃん来ることになったから」
「え、引っ越しあるんじゃなかったの?」
「そのはずだったけど、入る部屋借りてた人が出るの遅くなったんだって。急に予定変わったから引っ越し屋の手配やり直しになったし、入学式ぎりぎりになっちゃうって文句言ってた」
「あー大変だねそれ、……なんか、早いよね」
「え? ……ああ、もう明後日だもんね、卒業式」
私たち、そして友達の多くが3年間通った高校。そこへ通う日があと1日しか無いなんて実感が湧かないけど、その日が過ぎれば卒業で、実質的に高校生ではなくなる。皆それぞれ希望の大学に合格したから、4月からは大学生だ。
ほんの数年前、たとえばなーちゃんと知り合った中学2年の頃は、大学生がすごく大人に見えていた。だから、あと1ヶ月で自分が同じ立場になるのがちょっと信じられない。あの頃の自分がイメージするほど、今の自分は大人になれてはいないと思うから。
きっと入学した後も、しばらくは自覚できないまま過ごしていく気がする。
「ねえ、卒業式で思い出したけど、知ってる?」
「なにを?」
質問に思い当たる事柄がなかったから、素直に疑問を返す。ちなみになーちゃんは私と同じ大学、かつ学部も一緒だ。
「名木沢(なぎさわ)の話。聞いたことない?」
「…………なんかあったの、ていうかあるの?」
「あー、知らないか。まあ友美(ゆみ)だもんね」
多少呆れまじりの、納得声で言われた。言う相手によっては失礼に聞こえるのかもしれない反応を、私は気にしなかった。言ったのが長い付き合いのなーちゃんだし、私が学校内で起きていることについて人一倍疎いのは、自他ともに認めている。
学年では間違いなく一番有名、学校全体でもかなり名が通っているであろう男子についても同様で、名木沢くんについて何かしら噂なり騒ぎなりがあっても、私は知らない場合が多い。だから今回も「なんだろう」とだいぶのんきに考えていた。
「だから知らないんだって。何なの?」
「第2ボタン、誰がゲットするかって話。賭けまでやってる人もいるのに、相変わらずのんきねえ」
「…………そんなのあるんだ」
反応するのに間が空いたのは、純粋にびっくりしたのと、いろんな考えが浮かんでどれを表明すべきか判断しかねたから。まず、第2ボタンなんて存在が自分の卒業式に関わってくるとは思わなかった。
と言うとちょっと大げさかもしれないけど、要するに、今でもそういうものが行事として「現役」だとは思っていなかったのだ。マンガや小説で見たことはあるけど、現実では親の世代に近い頃の習慣、10年以上前に流行は過ぎたものだと勝手に考えていた。
そして、何人もの女子が同じようにボタンをほしがっているらしいこと、それについて賭けまで行われていることが、私から見るとすごいなあというかそこまでよくやるなあというふうにしか思えなくて……そうなんだ、としか結果的には言いようがない気分だった。その時、頭の中にひらめく記憶があった。
「そういえば、うちの後輩が誰か、そんな話をしてた気がする」
「でしょ? 2年と1年ではけっこう騒いでると思うよ。3年でもほしい子いないわけじゃないし」
「へえ。え、でも倉田さんいるのに?」
「同期ならともかく、下の学年だと知らない子もいるかもね。ネットの学校掲示板見ない子もわりといるし。それに、ボタンあげる相手と彼女は別扱いって話もあるしね」
となーちゃんは言ったけど、私にはやっぱり理解しにくい話だった。別扱い云々もだけど、それ以前に、倉田さんがそういうことを許すとは思えなかった。記念品になる物を彼氏が他の女子にあげる、なんてことは。そう言ってみると、
「まあねえ。でもさ、うちの部の後輩で名木沢のことすっごい好きな子なんか、カノジョいること知っててもあきらめられなくて、せめてちょっとでも覚えていてもらいたいから告白する、とか言っちゃってるらしくて。止めづらいよ?」
なーちゃんは吹奏楽部所属だった。卒業式の後、3年生が退場するタイミングで演奏する役目があるから、1・2年も全員必ず来るらしい。
会える最後の日にチャンスをつかみたい気持ちはわからなくもない。見たことのない後輩女子のいじらしさを思って、ちょっとしみじみする。……同時に、それだけ好きな人を想えることを少しうらやましく思った。
「倉田さんに見つからずにうまく声かけられたらいい、と思うしかないけどね。ボタンは難しいにしても」
「そうだね。うちの後輩はさすがに、もらえるとは思ってないだろうけど」
「まあわかってるだろうしね、自分とこの元部長のカレシだって。……友美は、あれから大丈夫?」
との問いに、私は「うん」と答える。出来事の時期が自由登校の開始後で、まだよかったのかもしれない。
年が明けたばかりの1月、3年の自由登校が始まった日。登校途中の駅でトラブルを目撃して、少しだけ関わった時、名木沢くんと行き会った。行きがかりでたまたま数時間一緒にいることになり、その後の何時間かも一緒に行動した。
知った顔には会わなかったけど、同じ学校の誰かには見られていたらしく、翌週学校に行く頃には私の耳にも入るくらい、その日の話が広まっていた。
……今にして思えば、最初の数時間はともかく、後の行動は軽率だったかもしれない。お互いにいちおう、付き合っている相手がいるのだから。
けれど私は正直、そんなに騒がれることとは当時思わなかった。あの時名木沢くんに会ったのは本当に偶然の出来事であって、その後の行動にも何一つ他意はなかったから。めったに遭遇しないトラブルに関わって、普段と違う気分だったせいもあるだろう。
とはいえ、ハンバーガー店でお昼を食べて、映画を観てゲームセンターに行ったという行程が、世間一般的には問答無用で「デート」と表現されてしまうのは無理ないのかもしれない。なおかつ、私には「前科」があるというのが、噂を積極的に話している人たちの言い分らしかった。
前科、とはおそらく、1年半くらい前に二人で学校から帰った時だろう。あの時だって、私が部活の後片づけで一人遅くなったところに偶然行き会い、駅までの暗い道が危ないからと名木沢くんが付き添ってくれたに過ぎない。
両方の件がこんなに噂になってしまったのは、主に、名木沢くんがとにかく目立つ人であるから。私でなくても相手が誰でも同じことになっただろう。
「……旅行代金は初日に集めるからね。あ、全員旅行保険入ったから1000円上乗せよろしく」
「わかった。えーと、バスが10時半発だっけ」
「そうそう、だからターミナルに9時半集合ね。なんかあったらわたしの携帯に電話するってことで。後で最終確認書の内容メールしとくから」
中学からの友達である小高七恵、通称なーちゃんが電話の向こうで言う説明に、「わかった」と応じる。私となーちゃんを含めた、よく行動をともにしているグループで3泊4日の旅行を計画していて、なーちゃんが幹事を引き受けているのだ。
「で、結局何人行くことになったんだっけ」
「6人、じゃなくて7人。加奈ちゃん来ることになったから」
「え、引っ越しあるんじゃなかったの?」
「そのはずだったけど、入る部屋借りてた人が出るの遅くなったんだって。急に予定変わったから引っ越し屋の手配やり直しになったし、入学式ぎりぎりになっちゃうって文句言ってた」
「あー大変だねそれ、……なんか、早いよね」
「え? ……ああ、もう明後日だもんね、卒業式」
私たち、そして友達の多くが3年間通った高校。そこへ通う日があと1日しか無いなんて実感が湧かないけど、その日が過ぎれば卒業で、実質的に高校生ではなくなる。皆それぞれ希望の大学に合格したから、4月からは大学生だ。
ほんの数年前、たとえばなーちゃんと知り合った中学2年の頃は、大学生がすごく大人に見えていた。だから、あと1ヶ月で自分が同じ立場になるのがちょっと信じられない。あの頃の自分がイメージするほど、今の自分は大人になれてはいないと思うから。
きっと入学した後も、しばらくは自覚できないまま過ごしていく気がする。
「ねえ、卒業式で思い出したけど、知ってる?」
「なにを?」
質問に思い当たる事柄がなかったから、素直に疑問を返す。ちなみになーちゃんは私と同じ大学、かつ学部も一緒だ。
「名木沢(なぎさわ)の話。聞いたことない?」
「…………なんかあったの、ていうかあるの?」
「あー、知らないか。まあ友美(ゆみ)だもんね」
多少呆れまじりの、納得声で言われた。言う相手によっては失礼に聞こえるのかもしれない反応を、私は気にしなかった。言ったのが長い付き合いのなーちゃんだし、私が学校内で起きていることについて人一倍疎いのは、自他ともに認めている。
学年では間違いなく一番有名、学校全体でもかなり名が通っているであろう男子についても同様で、名木沢くんについて何かしら噂なり騒ぎなりがあっても、私は知らない場合が多い。だから今回も「なんだろう」とだいぶのんきに考えていた。
「だから知らないんだって。何なの?」
「第2ボタン、誰がゲットするかって話。賭けまでやってる人もいるのに、相変わらずのんきねえ」
「…………そんなのあるんだ」
反応するのに間が空いたのは、純粋にびっくりしたのと、いろんな考えが浮かんでどれを表明すべきか判断しかねたから。まず、第2ボタンなんて存在が自分の卒業式に関わってくるとは思わなかった。
と言うとちょっと大げさかもしれないけど、要するに、今でもそういうものが行事として「現役」だとは思っていなかったのだ。マンガや小説で見たことはあるけど、現実では親の世代に近い頃の習慣、10年以上前に流行は過ぎたものだと勝手に考えていた。
そして、何人もの女子が同じようにボタンをほしがっているらしいこと、それについて賭けまで行われていることが、私から見るとすごいなあというかそこまでよくやるなあというふうにしか思えなくて……そうなんだ、としか結果的には言いようがない気分だった。その時、頭の中にひらめく記憶があった。
「そういえば、うちの後輩が誰か、そんな話をしてた気がする」
「でしょ? 2年と1年ではけっこう騒いでると思うよ。3年でもほしい子いないわけじゃないし」
「へえ。え、でも倉田さんいるのに?」
「同期ならともかく、下の学年だと知らない子もいるかもね。ネットの学校掲示板見ない子もわりといるし。それに、ボタンあげる相手と彼女は別扱いって話もあるしね」
となーちゃんは言ったけど、私にはやっぱり理解しにくい話だった。別扱い云々もだけど、それ以前に、倉田さんがそういうことを許すとは思えなかった。記念品になる物を彼氏が他の女子にあげる、なんてことは。そう言ってみると、
「まあねえ。でもさ、うちの部の後輩で名木沢のことすっごい好きな子なんか、カノジョいること知っててもあきらめられなくて、せめてちょっとでも覚えていてもらいたいから告白する、とか言っちゃってるらしくて。止めづらいよ?」
なーちゃんは吹奏楽部所属だった。卒業式の後、3年生が退場するタイミングで演奏する役目があるから、1・2年も全員必ず来るらしい。
会える最後の日にチャンスをつかみたい気持ちはわからなくもない。見たことのない後輩女子のいじらしさを思って、ちょっとしみじみする。……同時に、それだけ好きな人を想えることを少しうらやましく思った。
「倉田さんに見つからずにうまく声かけられたらいい、と思うしかないけどね。ボタンは難しいにしても」
「そうだね。うちの後輩はさすがに、もらえるとは思ってないだろうけど」
「まあわかってるだろうしね、自分とこの元部長のカレシだって。……友美は、あれから大丈夫?」
との問いに、私は「うん」と答える。出来事の時期が自由登校の開始後で、まだよかったのかもしれない。
年が明けたばかりの1月、3年の自由登校が始まった日。登校途中の駅でトラブルを目撃して、少しだけ関わった時、名木沢くんと行き会った。行きがかりでたまたま数時間一緒にいることになり、その後の何時間かも一緒に行動した。
知った顔には会わなかったけど、同じ学校の誰かには見られていたらしく、翌週学校に行く頃には私の耳にも入るくらい、その日の話が広まっていた。
……今にして思えば、最初の数時間はともかく、後の行動は軽率だったかもしれない。お互いにいちおう、付き合っている相手がいるのだから。
けれど私は正直、そんなに騒がれることとは当時思わなかった。あの時名木沢くんに会ったのは本当に偶然の出来事であって、その後の行動にも何一つ他意はなかったから。めったに遭遇しないトラブルに関わって、普段と違う気分だったせいもあるだろう。
とはいえ、ハンバーガー店でお昼を食べて、映画を観てゲームセンターに行ったという行程が、世間一般的には問答無用で「デート」と表現されてしまうのは無理ないのかもしれない。なおかつ、私には「前科」があるというのが、噂を積極的に話している人たちの言い分らしかった。
前科、とはおそらく、1年半くらい前に二人で学校から帰った時だろう。あの時だって、私が部活の後片づけで一人遅くなったところに偶然行き会い、駅までの暗い道が危ないからと名木沢くんが付き添ってくれたに過ぎない。
両方の件がこんなに噂になってしまったのは、主に、名木沢くんがとにかく目立つ人であるから。私でなくても相手が誰でも同じことになっただろう。
作品名:before a period of our time 作家名:まつやちかこ