記憶のない海
[1]
空と海の境界線
水平線の遥か、ストロボのような朝日が昇る
真っ新な砂浜をサンダル片手に海際まで辿り着く
波飛沫に湿る潮風が頬を濡らす
白白しい
白紙の世界
なぜか私の心は満ち足りる
これ以上、失う色はないんだと安心する
でも
海は嫌い
あの人を思い出すから
海は嫌い
あの人を思い出せないから
白い天井
白い壁
ゆるゆる棚引く白いカーテン
隙間から照らすように白光が肌を射す
「奥さん」
焦点の合わない
小刻みに動く、レンズの中
見事に白飛びした人影が話しかける
「此処が何処か、分かりますか?」
不意に視界を横切る、淡い光芒
ペンライトを翳す白飛びした人影から漂う、消毒薬系の匂い
考えようにも頭の中は空っぽで
答えようにも口の中はからからで、ああ、耳鳴りも煩い
そうして起き上がろうにも身体が動かない事に気づく
再び、人影に焦点を絞る
「手術は成功しました」
「成功しましたが、意識を回復した事は奇跡に近い」
皺一つない、ような白衣
「奇跡」と言う割には事務的に説明する、ような医師
そんな自分の諷する心を見透かされたのか
端整な顔立ちに良く似合っている
黒縁スクウェア眼鏡の位置を調節しながら医師が答える
「奇跡ですよ」