カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅹ
十一時を少し回った頃、ベッド脇のサイドテーブルに置いていた携帯端末のバイブレーターが鳴った。
「はい。……鈴置です」
「今、部屋の前だ」
美紗は弾かれたように立ち上がり、スリッパを履くのも忘れて戸口へと走った。ドアガードを外し、扉を開けると、やや険しい顔をした日垣が素早く中へ入ってきた。
「どうしたんだ、急に」
問いには応えず、美紗は顔を隠すように下を向いた。日垣は、灯りのないダブルルームを怪訝そうに見回すと、作り付けの机の上に鞄を置いた。
「かなり遅くなったな。どうしても今日中に処理したい案件があったから……」
「お忙しいのに、すみません」
「君のほうこそ、このところ業務過多になっているんじゃないのか」
「いえ、そんなことは」
「ここ二、三日、ずいぶん疲れた顔をしている」
美紗はびくりと黒髪を揺らした。職場では面と向かって話すこともほとんどない日垣に気付かれていたとは、思ってもみなかった。避妊薬を飲んでいることは、絶対に知られたくない。日垣が脱いだコートをクローゼットにしまっている間に、美紗は逃げるように傍を離れ、彼に背を向けて窓際に立った。
「何か難しい話を抱えているなら、素直に松永に相談したほうがいい。彼はいい管理者だ。柔軟に対応してくれると思うけどね」
耳に心地よい低い声が、ゆっくりと近づいて来る。
「私で良ければ話は聞けるが、仕事絡みのことなら、やはり班長の松永の立場を」
「日垣さん」
美紗は大きく息をつくと、窓ガラスに映る日垣の顔を見つめた。
「……年度末に、異動されるそうですね」
日垣は一瞬、足を止めた。しかし、特に表情を変えることもなく、静かに美紗の隣に並んだ。
「まだ打診を受けただけだが……。ずいぶん耳が早いね。さすが優秀な情報員だ」
作品名:カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅹ 作家名:弦巻 耀