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天国に咲く花

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山奥の老婆(一)


 澄み渡った青空の下を走る高速道路は、休日ともあって多くの車が列をなしている。その列の中を走る一台の乗用車。行楽地へ向かう下り車線の渋滞に巻き込まれ、長い時間ノロノロ運転を強いられてきた。
 やっと料金所を抜け一般道に入ると、車の数はぐっと減り、車の走行音の代わりに鳥のさえずりがかすかに聞こえてくるようになった。視界には、青い空と深い緑が額縁に飾られた絵の様に広がっている。フロントガラスを通してその絵画のような景色を見つめながら、木下道子は運転席の夫、聡に話しかけた。
「ねえ、本当だと思う? そんな事って本当にあるのかしら……」
 長時間ハンドルを握り続けている聡は、
「その質問何度目かな……」
とため息まじりに答えた。
 
 
 山奥にやってきたこの若夫婦は、ある悩みを抱えていた。結婚して八年になるがなかなか子どもが授からない。不妊治療も続けている。
 その効果に疑問を感じ始めた頃、道子は友人から興味深い話を聞いた。それは、その友人の姉夫婦も長いこと子どもを望んで出来なかったのだが、ある人の言う通りにしたら、不思議なことにまもなく妊娠したというのだ。
(そんなの偶然に決まっている)
とその場は聞き流した道子だったが、どうにも気になって、後日あらためて詳しく話を聞いてみた。
 すると、ある地方の山奥にひとりで住んでいる老婆は不思議な力を持っていて、悩める人を助けているというのだ。報酬は望まないが、来た人は気持ちを包んで置いていくという。
(それで願いが叶うのだったら、そのおばあさんの家の前はいつも長蛇の行列で、テレビ局や雑誌社の記者でごった返しているに違いないわ。でもそんな話今まで聞いたことないし……)
 そう思う道子の心を見透かしたように友人が言うには、その老婆に会うとなぜかそのことを人に話したくなくなるのだという。ところが、本当に念願の子どもを授かったとわかった時、友人の姉はうれしさのあまり一度だけ、妹に口走ってしまったというのだ。道子はそこまで聞いても信じられなかったが、一応場所だけは詳しく聞いておいた。
 
 道子と聡が住むアパートは最近ベビーラッシュで、あちこちから赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。その度に複雑な思いが胸をよぎる。中でも姑が訪ねて来た時に泣かれるのが一番やっかいだ。そして毎回尋ねられるあの質問――
「道子さんまだかしら、もう八年よね?」
 義姉の所にすでに子どもが二人いるが、姑が木下性の孫を待ちわびているのはよくわかっていた。
(私ばかり責められても……)
と思いつつ笑顔でやり過ごす、いつものことだった。
 
 道子は姑が来た夜、聡に例の話をした。それまでは自分でも信じていたわけではなかったし、話したところで笑われるだけで相手にされないと思い話していなかった。
 案の定聡からは、
「そんな話信じてるの?」
と予想通りの反応が返ってきた。
 お義母さんの催促にはもううんざりした事、周りの赤ちゃんの泣き声が耳に付く事、そして何よりもう三十八歳という年齢の事を切々と訴えた。
 始めはテレビに目をやりながら適当に聞いていた聡だったが、道子の真剣さに押され、しだいに話に耳を傾けだした。そして今二人は、こうして山道を走っている。
 
 
 どんどん細くなっていく山道に不安を感じ始めた頃、急に視界が開け峠に出た。見渡す限り山また山の景色の先に、言われた通りの小さな集落が見えてきた。
 全部で十軒ほどだろうか。どの家で聞いても教えてくれるというので、一番近くの家の前に車を止め、聡は玄関を開け声をかけた。中から出てきた老人は道の先を指さしながら説明してくれているようだった。
 戻ってきた聡に、
「わかった?」
と聞くと、
「うん、本当にそのおばあさんはいるらしい。俺たちは久しぶりの訪問者だそうだ」
「それでその……」
「おばあさんの不思議な力は本物だそうだよ」
 そこまで聞いても、まだ道子は半信半疑だった。
(村人同士で口裏を合わせているのかもしれない)
「ここみたいだ」
 聡に促されて、ある民家の前に道子も降り立った。
 そこはごくありふれた古屋で、祈祷所のような仰々しい飾りや看板は見当たらない。
「こんにちは――」
 ふたりは声をかけて中へ入っていった。

作品名:天国に咲く花 作家名:鏡湖