⑨残念王子と闇のマル
「もう大丈夫そうです。」
麻流の言葉に、空も頷く。
「じゃ、行くか。」
空の言葉で、それまで体を休めていた上忍たちも、猛禽類も一斉に動き出す。
「カレン様、立てますか?」
理巧が差し出した手を借りて、カレンはしっかりとした様子で立ち上がる。
「お待たせしました。」
カレンがみんなに頭を下げると、忍たちが穏やかな笑みを返した。
「ここからはそんなに険しくない。もう花の都領だから、襲撃の心配もねーし。カレンも歩いて下山な。」
空の言葉にカレンは大きく頷いて、自分の荷物を背負う。
「出発!」
理巧の号令で、それぞれが持ち場に戻った。
カレンの左右には理巧と麻流、その周りを上忍が取り囲み、少し先で空が一行を導く。
もう麓までわずかだ。
まだ通常の山に比べると険しい道のりだが、最大の難関をクリアし自国領に入ったことで、さすがの空にも緊張に多少のゆるみが出たことは否めない。
空は、ここが活火山だということを、すっかり失念していた。
深い雪に覆われている地面を、槍で足元を確かめながら空は先導する。
「ここ、穴。」
空の的確な指示に、皆がそこを避けようとしたその時。
烏と鷹が甲高い声を上げた。
「!」
空が強ばった表情で、皆をふり返る。
「噴火だ!!逃げろ!!!」
空の叫び声に、咄嗟に理巧がカレンを担いだ。
そして、一斉に皆走り出す。
「穴に気を付けろ!!」
空が穴のところで皆に指示を出すと、忍たちはそこを次々と飛び越えていった。
そして皆が穴を越えた瞬間、地面を突き上げる衝撃と轟音が辺りに響く。
岩壁の雪に亀裂が入り、地面のあちこちから煙と石が噴き上がった。
「父上!!」
ふり返った麻流の視線の先で、空の頭を岩石が直撃する。
糸が切れた人形のように倒れる空を、雪崩がのみこんだ。
「と…頭領!?」
立ち止まった上忍たちに、動揺が走る。
「ソラ様っ。」
信じられないその光景にカレンは、理巧の肩から降りた。
理巧を見れば、目を見開いて呆然としている。
(このままでは危ない!)
カレンは忍たちをぐるりと見渡すと、声を上げた。
「皆、退避!!!退避だ!!!」
迫り来る雪崩に皆が巻き込まれないようカレンが叫ぶと、ハッと我に返った麻流が理巧の肩を叩く。
「導け!!」
理巧は、次期頭領。
空がいない状況では、一族を導くのは理巧だ。
理巧は皆の前に出ると、カレンを再び担ぐ。
「…退避!!」
ふり絞るような理巧の声に、上忍たちは頷くと、理巧を先頭に後ろをふり返ることなく山を駆け下りた。
凄まじい轟音が少しずつ遠退く頃、一行は麓に辿り着く。
肩で息をしながら理巧がカレンを降ろすと、初めて皆、後ろをふり返った。
遠くでは黒い噴煙が上がり、断続的に地鳴りがしている。
「…頭領…。」
上忍のひとりが、ぽつりと呟いたその時。
「お!理巧!麻流!!」
明るい、聞き覚えのある声が遠くから聞こえた。
馬の蹄の音と共に、太陽が現れる。
「噴火したからビックリしたけど、さっすがおまえたち。カレンも無事で何よりだな~。」
「…叔父上…。」
強ばった表情で麻流がふり返り、カレンは座り込んだ。
「…。」
理巧は、山を見つめたまま、太陽を見もしない。
「ん?どうした?おまえたち…。あれ?兄上は?」
太陽が馬から降りながら麻流の顔を覗き込んだ瞬間、麻流が素早く理巧の腕を掴む。
「ダメだ、理巧!」
理巧は、山へ戻ろうとしていた。
「感情に流されるな!おまえが頭領だろ!?」
麻流の言葉に、理巧はふり返りながら手をふり払う。
その表情は、今まで見たことがないくらい激しい感情を露にしており、悲しみと怒りに満ちていた。
「…。」
歯を食い縛り麻流を鋭く睨むと、再び身を翻して山へ戻ろうとする。
「…まさか…。」
理巧達の様子から状況を察した太陽の顔から、一気に血の気がひいていった。
「理巧。」
大きく深呼吸をしたカレンが、理巧の行く手を阻むように両手を広げて立ち塞がる。
「おまえ、まだ任務完了してないよ?」
穏やかな口調ながら厳しい言葉に、理巧はハッとしたようにカレンを見た。
「ソラ様からの任務。僕の護衛の任務、完了してないでしょ。」
理巧は眉間に皺を寄せ、その黒水晶の瞳を潤ませる。
「ここはまだ噴火で危ないよ。僕が怪我したら…どうするの?」
理巧はグッと唇を噛みしめると顔を逸らし、体を強ばらせた。
「噴火が落ち着いたら、一緒に探しに行こう。」
カレンが肩を抱くと、理巧は体をふるわせながら頷く。
「…とりあえず、聖華が待ってる。帰ろう。」
太陽も、反対側から理巧の肩を抱いた。
麻流はもう一度山を見上げると、唇を引き結び、合流した上忍や下忍を見渡す。
「噴火の観察が必要だ。疲れているところ悪いが、上忍二人、ここに残ってほしい。」
不安そうにしていた忍たちも、麻流の指示に頷いて動き出した。
理巧も頭を軽くふると顔を上げ、声をふり絞る。
「帰城!」
馬車に乗ったカレンは、窓から千針山を見た。
噴き上がる黒煙が上空を覆い隠し、雪で真っ白な斜面を徐々にのみこんでいく。
あの中で空はどうなっているのか…想像するのも恐ろしく、カレンは思わず目を逸らした。
すると、反対の窓に麻流の姿が見える。
背筋を真っ直ぐに伸ばし、毅然とした様子で指示を出しながら馬に跨がるその姿は一見、普段通りだ。
けれど、自らも母を亡くし親代わりだった爺を亡くした経験があるカレンは、今の麻流の気持ちを想像するといたたまれなくなる。
それなのに、記憶を失くしている麻流をカレンは抱きしめてやることもできない。
無力な自分が悔しくて、カレンは椅子を拳で殴り付けた。
作品名:⑨残念王子と闇のマル 作家名:しずか