⑨残念王子と闇のマル
『忍史上最も美しく、最も強い忍』
「やばいな…。」
昨日の吹雪からうってかわって晴れた朝焼けを見上げ、空が呟いた。
浮かぶ雲に長い影を落としながら差し込む陽射しは思ったより強く、日中あたたかくなりそうだ。
夜明け前に出発した一行を先導しながら、空は鋭く口笛を吹く。
すると、ふくろうの風が空の腕に降り立った。
「聖華に。」
空が手紙をくくりつけると、風が飛び立つ。
もうすぐ山頂にたどり着くが、できるだけ早く下山したい。
「頭領。」
空の様子で危険を察知した理巧が、傍へ来た。
「最短ルートで下山する。」
「は。」
頭を下げた理巧は、素早くカレンの元へ戻り、麻流へ耳打ちする。
「了解。おまえに王子は任せる。」
麻流の言葉に理巧は頷くと、カレンの前に屈んだ。
「カレン様。難所を通りますので、背負います。」
「…うん…。」
カレンは素直に理巧に背負われ、襷でしっかりと結びつけられる。
麻流は指笛を吹いて、下忍を集めた。
「これから別行動となる。おまえたちは予定通りのルートを最速で下れ。王子は上忍のみで護る。急げ!」
麻流の指示に戸惑いながらも、下忍たちは頭を下げて走り去る。
「何か起こるの?」
カレンが理巧へ訊ねた。
「恐らく、雪崩です。」
理巧が答えると、麻流も3人分の荷物を背負いながら走り出す。
「かなりの難所ですが、雪崩の可能性が低いルートを、私達は通ります。」
「陽が高くなる前に、降りるぞ!」
空もそこへ合流し、後ろから上忍たちが続いた。
「!」
人間の速さとは思えないスピードで、空たちは急斜面を滑るように降りていく。
すると突然、隊列を組んで着いてきていた猛禽類が、旋回しながら一斉に鳴き始めた。
「この先、針山!!」
空の声と共に、忍たちは更に加速する。
「!崖!?」
カレンが驚いた瞬間、理巧が思い切り地を蹴った。
「!!!」
「カレン様、力を抜いてください。」
理巧はふわりと宙に浮いて空を飛びながら、いつも通りの冷静な声色でカレンに声を掛ける。
それでも浮遊感に体が離れてしまいそうになり、カレンは目を瞑って必死で理巧にしがみついた。
そのカレンの背中に、そっと温かい手が添えられる。
「理巧に全て任せれば大丈夫。力を抜いて、カレン。」
落ち着いた声に恐る恐る目を開けると、麻流が微笑みながらカレンを見ていた。
カレンは唇を噛みながら、頷く。
少し余裕が出たカレンは、思わず下を見て背筋がゾッとした。
(これが、『針山』!)
眼下に広がるのは、谷間に鋭く突き出た岩の海。
まさに剣山のようなその場所に墜ちたら、ひとたまりもない。
その上を羽もないのに、忍たちはなんの躊躇いもなく飛んでいく。
カレンは、その岩の針山から目を逸らせずにいた。
「もうすぐ着地します。」
理巧の落ち着いた声にハッとして前方を見ると、すぐそこに対岸が迫っている。
けれど僅かに距離が足りない。
(このままじゃ落ちる!!)
カレンが思わずぎゅっと目を瞑った瞬間、ジャラッと鎖の音がし、ガツッとぶつかる音と共に一気に引っ張られた。
反射的に理巧にしがみつくと、理巧の短い声が聞こえる。
「っは!」
軽い衝撃の後、再び鎖の音と共に、体が反転し宙返りした。
「カレン!」
低い艶やかな声と共にカレンの体から襷が解け、二人の体が離れる。
「…う!わ!」
突然理巧から離れ焦ったカレンの体を、力強い腕が抱き止めた。
「立てる?」
落ち着いた声に目を開けると、いつの間にか地面に降り立っている。
「!ソ…ソラ様!」
空に体を支えられていることに気付き、慌ててカレンは体を離したけれど、平衡感覚が狂っているのか腰が抜けているのか、そのまま派手に転倒した。
「王子!」
麻流が咄嗟に抱きついたので、その小柄な体をクッションにして、硬い岩盤に二人で倒れ込む。
「っ!」
微かな麻流の呻き声に、カレンが慌てて起き上がった。
「ごめん、マル!」
けれど、やはり腰にうまく力が入らないカレンは、そのまま再び倒れてしまう。
「カレン様!」
頭を打つ前に理巧がカレンの体を支えたので、なんとか怪我をせずに済んだ。
「~~~。」
心配そうに上忍たちに周りを囲まれたカレンは、恥ずかしいやら情けないやらで、顔を赤くしながら俯いてしまう。
けれどその体はガタガタと震えており、頬は羞恥で赤いものの唇は蒼白だ。
「飲めますか?」
麻流が水を差し出すけれど、手が震えてうまくそれを受けとることもできない。
そんなカレンの様子に、空が声を上げて笑った。
「はは!」
空に笑われてますます顔を真っ赤にしたカレンの背中に、小さな手がそっと添えられる。
「あの崖越えは、忍でも上忍でないと無理です。下忍でも恐怖で意識を失う者が多いのに、正気を保てたなんて立派ですよ。」
淡々とした口調ながら麻流に優しい言葉を掛けられて、カレンは泣きそうになった。
「…ほんとに、怖かった…。」
震える吐息を吐き出しながらカレンが呟くと、ジャラッと鎖の音がする。
「あ。」
顔を上げたカレンの前で、理巧が鎖を腰にしまった。
「それ…。」
よくよく見れば、鎖の先に鉤(かぎ)がついている。
カレンの視線に気がついた理巧は、再びその道具を手に取った。
「これですか?」
カレンが頷くと、理巧はそれを近くの岩壁に放る。
ガチッと鋭い音がして、鉤が壁に突き刺さった。
「通常はこの鎖部分は縄になっているのですが、それでは岩などで切れやすくなるので、私は鎖にしています。」
言いながら手首を返すと鉤が外れ、理巧の手中に戻ってくる。
「あなたを背負ったまま普通の着地はできないので、手前に落ちるよう調整して、これを岩盤に引っかけ、いったん壁を蹴って勢いを殺して着地したんです。」
(それで最後、宙返りしたのか…。)
信じられない身体能力に、カレンは呆然と理巧を見上げた。
「けど、おまえ立てそうになかったから、俺が襷を解いておまえだけ預かったの。」
空が飄々と言いながら、水筒の水を口に含む。
「あのままじゃ、カレンも理巧も怪我してたし。」
その言葉に、カレンはハッとして理巧を見上げた。
「ごめん…理巧…。」
「いや、さっきのは完全に理巧の判断ミス。」
空の鋭い言葉で、その場に緊張が走る。
「護衛対象を怪我させるのはもってのほかだけど、自分が怪我を負うと任務が果たせなくなるんだから、それはそれで最悪。」
叱責された理巧は、空の前で跪き、頭を下げた。
「申し訳ありません。」
そんな理巧の前に空も屈んで、切れ長の黒水晶の瞳を三日月に細める。
「ひとりで背負わなくていい。助け合うのが大事。」
空の言葉に、理巧はもう一度深く頭を下げた。
「王子、水飲めそうですか?」
麻流が再び水筒を差し出すと、今度はしっかりと受けとることができる。
カレンはごくごくと喉を鳴らして水を飲み、満面の笑顔で麻流へ水筒を返した。
「はー、おいしかった!ありがとう、マル。」
輝く笑顔に、麻流の頬は一気に赤くなり、ゆるむ。
慌てて顔を逸らしながら、麻流は立ち上がった。
作品名:⑨残念王子と闇のマル 作家名:しずか