短編集13(過去作品)
ネコ型人間の想い
ネコ型人間の想い
私は何かを忘れてしまっていたのだろうか?
思い出せそうで思い出せない。小さな頃の思い出、それを思い出そうと必死になればなるほど袋小路に入り込んでしまう。もし、思い出すことがあるとすれば、きっと同じような心境になった時だろう。
――何となく焦りを誘うような気持ち――
それだけが記憶の中にあるのだった……。
あの日の雨は本当にすごかった。夏も終わり、そろそろ台風の時期というのも分かっていたはずだ。そんな時期に出張などすると、交通機関が麻痺することは分かっていた。特に空の便ともなると最悪で、飛行機が飛ばずに足止めを食らうことはしょっちゅうである。
その日は宮崎に出張だった。青島海岸を眺めながらのホテルだったのだが、そこは出張にしては少し豪華だった。それというのも会社が提携している企業が経営しているホテルで、わが社の社員は特別価格で宿泊できるのだ。
その日の出張も二泊三日の予定でそのホテルに宿泊していた。さすがに夏のシーズンとは違い宿泊客は少なかった。ロビーでくつろいでいても、あまり人が出てくることはなかったし、従業員もいつになくリラックスしているように思えた。
「さすがにこの時期は少ないね」
少し若い従業員に聞いてみた。すると彼は救われたような顔になり、
「いや、本当にそうなんですよ。ついこの間までの忙しさが嘘のようです。あの時は、早くこの忙しさが終わってほしいと思ったものですが、今は逆ですね」
「時間を長く感じる?」
「ええ、そうなんですよ、特にずっと立っていると、その気持ちはひとしおですね」
そう言って、少しかがみこむようにして太ももの裏を揉んでいる。本当に疲れがたまっているのだろう。
その日はまだそれほど天候が悪くはなかった。
――嵐の前の静けさ――
とはまさしくこのことで、ゆっくりと青島海岸を散歩する余裕もあった。
今までも出張で来て、青島海岸を散歩するのが日課になっていた。散歩コースも自分なりにあり、時間を忘れて歩くことができる。時々人ともすれ違うが、そのほとんどがアベックだったり、中年の夫婦だったりする。
一人で歩いている私から見れば、ほのぼのとした光景で羨ましいが、相手はどう思うだろう? 却って一人でいる私が羨ましいと思うのではなかろうか。
アベックとして、一人でいる人を見かけると、何も感じないか、羨ましく感じるかだと思う。自分たちの世界に入っている時は本当に楽しい時なんだろうし、そんな人たちを見ていると、うらやましくて仕方がない。
相手は私を見ているようで見ていないのだろう。
しかし青島海岸の散歩は私にとって一人になりたい時間だった。毎回いろいろなことを考えながら散歩している。主に彼女ができれば一緒にここを散歩したいと思って、勝手に想像しているだけなのだが、それだけでも楽しい。いつも同じところで同じシチュエーションを感じているのかも知れない。宮崎出張で一番楽しい時間帯だ。
ホテルから海岸のコースを約一時間かけて廻るコース。本当なら三十分もあればまわれるコースなのに、私は倍時間を掛けるのだ。それだけここでの時間をゆっくり使いたい。
――贅沢な時間の使い方――
それが宮崎出張の、私だけが感じることのできる特権とまで思っている。
その日の散歩は、いつになく感じる風を心地よいと思っていた。まだ残暑の残る海岸で、湿気を帯びた少し重たい空気を風が流してくれる。波の音が思ったより遠くに聞こえ、心地よく鼓膜を揺らしているのだ。
耳鳴りが聞こえる。キーンという音なのだが、それが鼓膜を揺らしているわけではない。
風が鼓膜を揺らす音も嫌いではない。
――自然が作り出すすべての光景―-
目の前に広がっている光景は、まさしくそうなのだ。甘んじてすべてを真実だと思って受け止めたいという気持ち、それを一番感じるのだ。
歩きながら見えてくる光景、それはすべて分かっている。しかしひょっとして違う光景が飛び込んできたらと思わないでもないのだが、そんなことはありえないと言い聞かせている自分がいるのに、おかしくなってしまう。
いつものようにゆっくり歩いていると、遠くの方に女性が一人で歩いている後ろ姿が見えた。ワンピースに白い帽子、完全に夏の服装である。ロングへアーが風に靡いていて、清潔感を感じる。荒々しい海には決して似合わない感じだ。
いや、ひょっとして岸壁に立っている姿は似合うかも知れない。虚空を見つめているような目で佇んでいる女性は、手に花束を持っている。そして、ゆっくりと花束を海に返すのだ。そんな光景を勝手に思い浮かべてしまった。
――テレビドラマの見すぎかな?
思わず苦笑いをしたが、私の前を歩いている女性に後姿だけだがそう感じるのは、無理もないことのように思えた。贅沢な時間がそう感じさせるのかも知れないし、いつもこの場所で感じていることとダブっているのかも知れない。いつもがどんなことを考えていたか、女性を見た瞬間に忘れてしまった。
近づいて話しかけてみたいという衝動に駆られていたが、思いとどまったのは強い風を感じたからだろう。近づけば近づくほど風の強さを感じてしまうのは、靡いている髪がまるで彼女の首に巻きついているかのように見えたからである。
最初遠くから見ていて感じた清楚感も、強くなってくる風を感じるにしたがって薄れてきた。綺麗なストレートな髪だと思っていたが、風に靡いているのを見るにしたがって、パーマが掛かっているように思えてきた。時折見えるうなじに思わず行ってしまう視線を感じると、彼女の雰囲気が妖艶に見えてくるから不思議だった。
まるで着物が似合いそうな雰囲気があり、白い帽子を抑える手が、か細く見えて、美しさを演出しているかのようである。遠くから見ていると、白いワンピースというのが、細身の身体をさらに細く見せ、吹き飛ばされないのが不思議なくらいの弱々しさを感じさせた。しかし、近づいてくるにしたがって感じる妖艶さには、どんな風にもうまく合わせられそうな力強さを感じるのだ。
声をかけられないのは、そんな力強さを感じたからかも知れない。もし、か細さがそのまま弱々しさを表に出し切っていたら私は声をかけていただろう。私には昔からどちらかというと相手より優位に立ちたいと思う打算的なところがあったのだ。しかも妖艶さが伴っていると、とても手に負えないと最初から決め付けて、話しかける気にもならない。これも昔からの私の性格である。
じっと見つめているだけでよかった。相手はそんな私に気付いていないのか、微動だにせず、ずっと海を見つめている。どれくらいの時間が経過したのか、海をじっと見続けている女性の動きはまったく感じられない。私もそんな彼女の視線が釘付けになってしまって、金縛りにあったかのように動くことができない。吸い込まれそうな海を見ている彼女がいつ飛び込むか分からないというスリルのようなものを感じていることに不謹慎さがあった。
作品名:短編集13(過去作品) 作家名:森本晃次