⑧残念王子と闇のマル
『無理やり解くと、廃人になるっつっただろ。』
空の言葉が、頭の中に響く。
カレンは逸る気持ちを抑え、麻流の頬の色が本心だと自らを励ましながら、唇をきゅっと引き結んだ。
「了解。」
麻流の瞳を真っ直ぐに見つめて、無理やり笑顔を作る。
「けどさ、街までだいぶ距離あるし、とりあえず一緒に星に乗って行かない?」
カレンは星に跨がりながら、ダメ元で麻流を誘ってみた。
「街が近づいたら、手綱引いてくれると助かるな~。」
カレンが笑顔で、自分の前をポンとたたく。
「…。」
麻流は鋭い視線でカレンを見上げ考えていたけれど、ふっと姿を消した。
(やっぱりダメか…。)
そうカレンが息を吐いた瞬間、目の前におかっぱの黒髪が現れる。
「!」
カレンの腕と足の間に、ストンと小柄な体が降り立ち、寒風にさらわれた黒髪がカレンの顎を撫でた。
驚きすぎて声も出ないカレンを斜めにふり返ると、睨むように麻流は見上げてくる。
「不必要に私の体に触れたら、襲撃に遭わない限り、今後二度と姿を現しませんから。」
カレンは慌てて、こくこくと頷いた。
「ん!了解!!」
とろけるような満面の笑顔に、麻流はプイッと前を向いたけれど耳が真っ赤になっている。
麻流の赤く染まった耳と、その耳たぶについている小さなピアスの止め金を見つめ、カレンはそこに触れ、口付けたい衝動に駆られた。
それを必死で抑え込もうと、固く目を瞑り軽く頭をふる。
そして、天を仰いで小さく息を吐いた。
白い吐息が雲と重なり、カレンは遠い祖国を思い出す。
幼い頃は、雲の上には亡くなった母親がいると信じ、寂しい時や辛い時はいつも雲を眺め、深呼吸をしていた。
たくさん空気を吸い込めば、そのうち母親の住む雲が近づいてくるのではないかと思っていたからだ。
成長と共に、さすがにそれはないとわかっていても、それをすることで安心するので、よく天を仰いで深呼吸をしていた。
けれど麻流が護衛についてからは、天を仰いで深呼吸をすると、麻流が必ず現れる。
用がないとわかるとすぐに姿を消すけれど、カレンはそれが嬉しくて、寂しい時や辛い時は天を仰いで深呼吸するようになった。
天を仰いで深呼吸すれば必ず麻流が現れる生活にすっかり慣れてしまった頃、麻流と別れることになる。
そして別れて数ヶ月、当然ながら、いくら天を仰いで深呼吸しても、麻流は現れなかった。
代わりに理巧が現れるけれど、その度にやるせない気持ちになり、理巧に甘えるように八つ当たりするようになった。
情けないと思いつつ、そうやって感情を放出しないと、もう正気が保てなかったのだ。
そこまで求めていた麻流が、今、目の前にいる。
けれど、この麻流は記憶を失くし、自分を完全に拒絶している。
星が少し揺れれば体が触れ合うほどの距離にいながら、触れることができない。
離れていたぶん、抱きしめて温もりを確かめたいのに、それすらかなわない。
ただ風が吹くと、黒髪がカレンの顎や唇を撫でていく。
(麻流が目の前にいるだけで、幸せだろ?贅沢言うな!)
カレンは必死に自分を戒めながら、無意識に黒髪が顔に触れやすいよう少しだけ前屈みになった。
「変態。」
その瞬間、つららのような鋭い視線を向けられる。
カレンはガックリと項垂れて、深いため息を吐いた。
すると、長いカレンの金髪が、やわらかく麻流の頭を撫でる。
そして首筋に温かな吐息を感じると、鼓動が一気に早まり、身体中に甘い痺れが走った。
(なんで!?)
今まで数えきれないほど体を開いてきた麻流は、このくらいで緊張するほど初心でない。
それなのに、カレンの仕草ひとつひとつに心が浮き立ち、鼓動が跳ねる。
こんなこと、忍の訓練の中で、父の色術にかかった時だけだった。
(惑わされるなんて、忍失格だ!)
カレンに冷たく接することで、麻流は初めて感じる胸の高鳴りを何とか抑え込もうとする。
お互いに平常心を保とうとしてギクシャクする様を、少し離れた樹上から見守る黒装束があった。
作品名:⑧残念王子と闇のマル 作家名:しずか