⑧残念王子と闇のマル
再び二人旅
「はぁ…。」
カレンが深いため息を吐いた。
何度目かわからない深いため息に、星がチラリとふり返る。
「…ああ…ごめん、星。」
カレンは星の頭を撫でると、斜め上を恨めしそうに見上げた。
「だってさー、お前の『元』主…『元』だよね?」
『元』に力を入れるカレンを、星は再びチラリと見る。
「『元』だからさ、今は『主』じゃないわけじゃん?」
ぶつぶつ背中でぼやかれている星は、ため息を吐くように鼻を鳴らし前を向いた。
「ごめん~星!でもさぁ、僕の気持ちわかるでしょ?」
カレンは頬を膨らませながら、もう一度、斜め上を見上げる。
「もう忍じゃないんだからさ!いや、ていうか、『王女様』なんだからさ!!樹上から『護衛』しなくてもいいじゃん!?」
なかばやけくそ気味にカレンが声を張り上げると、音もなく影が降り立った。
「うるさいですよ。」
口元を黒いマスクで覆い、黒装束に身を包んだ麻流が、つららのような鋭い視線でカレンを射貫く。
「ガキですか、あなたは。」
腕を組んで冷たい目付きで仁王立ちする麻流の姿に、カレンはとろけるように頬を緩めた。
「…きもっ。」
身震いしながら姿を消した麻流に、カレンは慌てて言い訳する。
「いや、ごめん!マルがうちの国に来てしばらくは、そんな感じだったからさ…懐かしくて…。」
言いながら、カレンは視線を下に流した。
「そういえば、あの頃は爺やも生きてて…爺やのありがたさをあの頃に気づいてたら大事にしたのになぁ…。」
とたんに寂しそうに肩を落とすカレンを樹上から見た麻流は、ため息を吐くと再び傍に降り立つ。
「お傍にはいますから。」
冷ややかな口調ながらも、思いがけず優しい言葉を掛けられて、カレンはパッと顔をあげる。
「でも、この姿なので。忍姿で、街中に出るわけにはいきません。」
カレンは顎に人差し指を当てて少し考えていたけれど、何か思いついたらしく鞄をゴソゴソと探り始めた。
そしてお目当てを発見したのか、顔を輝かせる。
「これ!」
言いながら星から飛び降りたカレンは、麻流の肩にふわりと布を羽織らせた。
「マントつけてたら、従者っぽいじゃん♡」
麻流の胸元に大きなブローチをつけて、布を留める。
「僕の襟巻きだけどさ、マルにはちょうどマントっぽくできる♪」
「…。」
冬用のウール混の布が体を覆い、温かい。
冬の寒風で冷えた体だけでなく心まで温まるようで、麻流は唇を噛んで俯いた。
4年前。
麻流がおとぎの国に来た時が、まさにこんな感じだった。
まず、いつも姿が見えなかった。
人前に出ることがなく、傍にいるのかいないのかわからないけれど、こちらが必要な時は必ず現れる。
そして、何てことのない些細なことでも、人に思いをかけられると、麻流は戸惑った様子を見せていた。
いつも無表情で冷ややかな声、そして辛辣な言葉を口にするけれど、その大きな黒い瞳は宝石のように澄んで煌めき、白いなめらかな肌がたまに桃色に色づくと、カレンの心臓はいつも跳ね上がっていた。
3年間、麻流を男だと思い込んでいたカレンは、その度に自分を戒めていたのだ。
久しぶりにそのことを思い出したカレンは、たまらず麻流を抱きしめる。
「…!?」
驚く麻流をそのまま片腕で抱き抱えると、星に跨がった。
「何するんですか!」
前に降ろした麻流を後ろから抱きしめたまま、カレンは星を走らせる。
「従者が主とひとつの馬に乗るの、おかしいでしょう!」
抵抗する麻流を、カレンは更に強く抱きしめた。
「話聞いてんのか、このピーマン王子!!」
その瞬間、星が急停止する。
馬上から投げ出された二人は、草むらに落ちるよう同時に体をひねった。
麻流は受け身をとろうとするけれど、カレンが胸に深く抱きしめ守ろうとする。
上手に草むらに落下した後、惰性でゴロゴロと転がり、やっと止まった瞬間、二人は同時に大きくため息を吐いた。
「ケガしてない?マル。」
「ケガしてませんか?王子。」
同時にお互いの体を心配した二人は、顔を見合わせる。
「…私は忍なので、大丈夫です。お…王子は?」
マルは頬をさくらんぼ色に染めながら、目を逸らした。
「…『王子』か…。」
寂しそうな声に驚いて麻流がカレンを見ると、カレンはハッとした様子で慌てて笑顔を貼りつける。
「ああ、うん。僕も大丈夫。これでも運動神経いいんだよ?」
力こぶを作っておどけてみせるカレンをジッと見つめていた麻流は、罪悪感に苛まれた。
理由はわからないけれど、カレンにとてつもなく悲しい思いをさせて、無理に笑わせてしまっているように感じる。
麻流が再びカレンから視線を逸らすと、大きく尻尾をふりながら遠巻きにジッとこちらを見ている星と目が合った。
「星。」
厳しい声色で星を睨みながら立ち上がる麻流の手を、カレンがきゅっと握る。
「ほ…星は、驚いたんだよね?」
カレンは麻流の手を握ったまま、立ち上がった。
「驚いた?」
冷たい声で訊ね返しながら握られた手をふりほどこうとする麻流を無視して、カレンは星の傍へ歩み寄る。
「『ピーマン王子』久しぶりに聞いたよね♡」
カレンは星の鼻を片腕で抱きしめて、頬ずりした。
「懐かしくて…僕も嬉しかった…。」
かすかに涙声になったカレンを、麻流は見上げる。
「…。」
(やっぱり私はこの王子と主従関係でなかった気がする。)
しかも他の主と違って、こちらへの愛情を感じる。
けれど麻流の記憶にあるのは、忍を道具としてしか扱わず、娼婦と蔑み、当然のように凌辱してくるような、そんな主だけだ。
こんなに穏やかで優しく、自身をひとりの人間として扱ってくれる主を、なぜ忘れているのか…。
麻流はどうしても、自分で自分が理解できなかった。
「私は」
掠れた声で、無意識に言葉を発した自分に麻流は驚く。
「ん?」
カレンがやわらかく微笑みながら、麻流を見下ろした。
「…私は…以前、あなたのことを『ピーマン王子』と呼んでいたのですか?」
カレンは一瞬、口をへの字に歪めたけれど、すぐに笑顔を貼りつける。
「そーだよ!ひどいよなぁ、星!」
明るくおどけて言うその姿は、記憶がなくても痛々しく感じ、麻流は再び罪悪感に苛まれた。
「…すみません…私…。」
うなだれる麻流に、カレンはぎょっとして慌てふためく。
「えっ!?いや、冗談だよ、マル!!全然言われて嫌だったとか、傷ついたとか、そういうのないから!!っていうか、言われて当然だったし!!」
(そっちを謝ったんじゃないけど…いや、そっちも謝るべきなんだろうけど…。)
麻流はうなだれたまま、視線を横に流した。
「…落ち込まないでよ…。」
しゅんとした様子で顔をのぞきこんできたカレンのエメラルドグリーンの瞳に、麻流の心臓が跳ね上がる。
麻流は握られたままだったカレンの手を振りほどくと瞬時に後ろに飛び退き、間合いを取った。
「気安く近づくなら、樹上に戻ります。」
氷のような冷たい視線とは裏腹に、その頬はリンゴのように真っ赤に色づいている。
「…。」
カレンは、麻流の心の葛藤を感じた。
作品名:⑧残念王子と闇のマル 作家名:しずか