⑧残念王子と闇のマル
千針山
翌日。
麻流たちは、明け方に隠れ宿を出発した。
数人の上忍や下忍、そして星一族の使役動物である烏やふくろう、鷹などの猛禽類を数十羽つれて、千針山を登る。
千針山は活火山で、噴き出したマグマがその名の通りまるで千の針が刺さった針山のように山肌を覆っており、一面灰色の険しい山だ。
樹木も道もなく、厳しい環境でも生息できる草花がぽつぽつ見られるだけの荒廃した山肌に、今の季節は雪が積もっている。
馬や狼には到底登ることができない為、星や理巧の馬、空の狼達は隠れ宿へ置いてきた。
宿の忍が、花の都へ連れ帰ってくれる手はずになっている。
麻流たち一行はこの数時間、カレンを護りながらただひたすらその山を登っていた。
「カレン様、大丈夫ですか?」
隣を登る理巧が声をかけると、カレンは呼吸を乱しながらも笑顔で頷く。
「ん…大丈夫…。」
けれど、その額からは冬とは思えないほど、汗が流れ落ちていた。
理巧はカレンのぶんの荷物も背負っているけれど、呼吸ひとつ乱れておらず、涼しい顔をしている。
「もうちょいで休憩ポイントに着くから。」
空が少し上からカレンを見下ろして、声をかけた。
「王子、次の足場です。」
カレンの真上を行く麻流が、傾斜がきつい難しいポイントでは足場を作りながらカレンを補助する。
「…ん、ありがと。」
笑顔で頷くけれど、その表情からはもう体力が既に限界を超えていることが見てとれた。
「理巧。」
麻流は身軽に理巧の横に降りると、背負っている荷物を取る。
「王子を。」
麻流の言葉に理巧は頷くと、必死に岩肌を掴むカレンの手を取った。
「わ!?」
驚いてバランスを崩しそうになるカレンの体を咄嗟に支えながら、理巧はその手を自分の肩に掛ける。
「背負いますので、どうぞ。」
思いがけない言葉に、カレンは首を横にふった。
「いやいやいやいや、僕のほうが大きいし!」
「大丈夫です。獣でも背負えるので。」
「…。」
(そういえば、理巧は香りの都で巨大な獣の死体を背負ってた…。)
あれに比べれば、カレンは軽い。
そのことを思い出したカレンは、素直に理巧に背負われることにした。
理巧はカレンの負担を軽くするため、襷を取り出す。
その襷を、麻流に補助してもらいながら手早く巻き、カレンを自分の体に縛りつけた。
理巧は、カレンを背負っても変わらず身軽に登る。
麻流も、理巧に足場を作りながら素早く登っていった。
「…忍って、ほんとにすごいね…。」
カレンがぽつりと呟くと、理巧がふっと息を吐く音が背中越しに聞こえる。
だんだんと標高が上がってくると気温も下がり、積雪量も増えていった。
麻流は鞄から上着を取り出すと、カレンの背中に掛ける。
「袖を。」
カレンは麻流に上着を着せてもらいながら、身震いをした。
「理巧、寒くない?」
カレンが声を掛けると、理巧はふり返らず答える。
「カレン様のおかげで。」
「…良かった。」
そんな理巧の少し先で、麻流が上着を羽織って再び登り始めた。
その背中には忍刀と二人ぶんの鞄が背負われ、腰には暗器がずらりとぶら下がっている。
自分を理巧に任せ、先導するように先を行く麻流は頼もしく、キラキラと輝いて見えた。
「マルの、あのまあるいフォルムが可愛いんだよね~。」
思わず漏れ出た独り言に、全員の動きが止まる。
麻流が頬を赤く染めながら、冷ややかに見下ろしてくる中で、理巧の肩と背中が小刻みにふるえ始めた。
そして頭上からは、からかいを含んだ低い艶やかな声が聞こえる。
「誰でも、尻は丸いだろ!」
その空のツッコミに、その場にいた忍達は大笑いし、カレンは慌てて言い訳した。
「え!?ち、違いますよ!!そういうことじゃ」
「何が違うんだよ?おまえからは麻流の尻しか見えねーだろ?」
明らかにからかって遊んでる空に、カレンは必死で否定する。
「そりゃそうですけど、マルの可愛さはお尻限定じゃないですから!!」
カレンのその言葉に、再びどっと爆笑が起こった。
「尻見てんのは否定しねーんだ!」
空の更なるツッコミに、ついに理巧まで声を上げて笑う。
「…最っ低。」
顔を真っ赤にした麻流は、カレンを思い切り睨み付け、プイッと顔を逸らした。
「ええ!?いや、違うんだってば!マル!!」
弁解しようとしたカレンの頬に、雪がひらりと落ちる。
「雪…。」
カレンが呟くと同時に、一気に雪が降り始めた。
「お、遊んでる場合じゃねーな。」
瞬時に頭領の顔に戻った空が、上空の使役動物たちを見上げながら、長い口笛を吹く。
すると、まるで隊列を組むように一直線に並び、旋回しながら飛び去って行った。
「急ぐぞ。」
数秒で吹雪始めた千針山は視界全てが真っ白になり、すぐ上を行っているはずの麻流の姿すらハッキリと見えない。
強い風に、体感温度がどんどん下がってきた。
風の音に途切れ途切れながらも、遠くから口笛が聞こえる。
「頭領の道しるべです。」
その時、低く短い笛の音が聞こえた。
「はっ。」
理巧が短く息を吐きながら右に避ける。
次の瞬間、カレンの左側に鋭い岩が飛び出してきた。
「わっ!」
カレンが驚いた時、再び先ほどとは違う笛の音がし、その音に合わせるように理巧が駆け上がり始める。
「姉上が案内してくれています。ご安心ください。」
さすがに呼吸を乱しながら、理巧はカレンに声を掛けた。
カレンは理巧にぎゅっとしがみつきながら、もう全く見えない麻流の姿を探す。
そんなカレンをちらりと見た理巧は、口笛を吹いた。
すると、音もなく隣に黒い影が現れる。
「なに?」
強い風に黒髪をさらわれながら、大きな丸い瞳が理巧をとらえた。
「カレン様が探していらしたので。」
悪びれもせず答える理巧に、麻流は目を丸くする。
「…は?」
(!!み…眉間に皺が!!)
一気に険しくなった麻流の表情に、カレンが身を震わせた。
そんなカレンを一瞥すると、麻流は無言で理巧に荷物を渡す。
「私が代わる。」
素早く襷を外し、カレンの体の下に身を滑り込ませる麻流に、カレンは抵抗した。
「いやいやいや、おまえがいくら優秀でも、この体格差じゃ無理でしょ!」
すると、麻流が再び無言でカレンを見る。
「…登れますか?」
麻流の言葉に、カレンはしっかりと頷いた。
「理巧のおかげで、元気になった。」
真剣な表情のカレンに、麻流も頷き返すと、お互いの腰に襷をくくりつける。
「冬山で無理は禁物です。少しでも体調に異変を感じたら、襷を引っ張ってください。」
カレンは再び大きく頷いて、ふわりと微笑んだ。
その笑顔に、麻流の心臓がどくんっと大きく鼓動する。
「…カレン、行きましょう。」
自然とついて出た言葉に、お互い目を見開いた。
「…ん!」
カレンは顔を輝かせると、大輪の花が咲くように笑う。
その様子に、理巧も静かに微笑んで、その場を離れた。
「なんとか着いたな。」
珍しく、安堵したように空がため息を吐く。
日が傾き始めた頃、一行はようやく休憩ポイントである洞窟に着いた。
作品名:⑧残念王子と闇のマル 作家名:しずか