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決闘! 幡ヶ谷駅!

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【駆け込み乗車は危険ですのでおやめ下さい、駆け込み乗車は……】
 ホームに続く階段を駆け上る途中、俺の耳にそのアナウンスが飛び込んで来た。
(頼む、あと少しだけ、数秒でいい、待ってくれ! 俺はこの電車に乗らないわけには行かないんだ!)
 ようやくホームに足がかかった時、プシューと言う音とともにドアが閉まり始める。
(待て~っ!)と心で叫びながら、階段から一番近いドアめがけて突っ込んだ、絵に描いた様な駆け込み乗車だが背に腹は代えられない。

(ふぅ……やれやれ……)
 何とか乗れた、これで遅刻せずに済む……心の中で胸を撫でおろした瞬間、俺は周りを見回して凍りついた。

 思えば閉まりかけているドアに突進したにしては奇跡的なほどにスムースに乗車できた、しかし、それは奇跡でもなんでもなく必然だったのだ。
 俺をジロリと睨み付ける冷たい視線、視線、視線……。
 その中心ではひときわ厳しい、メドゥーサもかくあったのではないかと思えるほどの氷の視線……目じりが上がったデザインの眼鏡の奥から俺を突き刺して来る視線は、俺を石に変えようとしているかのようだ。

 彼女は……名前など知らない、しかし、この時間にこの電車を利用する者ならば知らない者はいない有名人だ。
 なにしろ自己主張が信じられない程キツい、そして男と言う生き物を心の底から憎んでいることも間違いない。
 男の手が彼女に触れようものならたちまちねじり上げられる、もちろん故意ではないことが明確であろうとも、そんな事は関係ない、まるで触れられたが最後、その服が二度と着られなくなるかのように憤る。
 故意であること疑われたら……客観的にどうかなど関係ない、彼女の主観がそう告げたとしたら……破滅だ……男の人生はそこで事実上の終焉を告げることになる、現にそんな目にあって以来姿を見かけなくなった男も何人かいる。
 俺に言わせれば……いや、だれだってそう思うだろうが彼女がどんな人物か知らなかったとしても、故意に触れることはちょっと考えられない、なぜならドドメ色した『寄るな触るなオーラ』に身辺を固めていて、そのテリトリーに侵入した男には容赦なく『氷の視線ビーム』を発射してくるから……もし面と向かってこんなことを言えば石川五右衛門のように釜茹での刑に処せられることになるだろうが……。
 そして、彼女の周りには、彼女のオーラを頼る女性たちが集まっている、その視線に彼女の視線と同じ色と温度を宿す女性たちが。
 その結果、彼女と彼女を取り巻く女性たちの周囲には十分な空間が確保されている。
 男どもはもちろん、彼女と同類に思われたくない女性たちも、ただでさえ寿司詰めの車内で、本来なら要らぬ努力と知りつつ彼女たちから距離を取ろうとしているのだ。
 
 しかし……ほんの少し寝坊してしまったせいで、俺は虎の尾を踏んでしまった、いや、毒蛇の穴に落ちてしまった、いや、地獄の炎の中に飛び込んでしまった……いくつもの例えが頭の中を走り抜ける、とにかく絶体絶命の大ピンチなのだ。
 
 そして……。
 間の悪い時には重ねて悪いことが起きるものだ。
 昨日から降り続いている雨、昨日遅くまで残業の憂き目に会った俺は、帰宅した際にさしていた傘をアパートの玄関に立てかけておいて、朝、そのまま引っつかんでアパートを飛び出した。
 その傘の留め金が昨日壊れてしまっていて、しっかり巻いて紐で巻いておかないといけない事を忘れていたのだ、寝坊さえしなければ他にも傘はあったのに……。
 そして、氷の視線に体中を射抜かれた衝撃のあまり、その事は頭の中から綺麗サッパリ飛んでいた。
 
 バサッ!

 気が動転していたのだろう、それまでしっかり抑えていた止め具から指が離れた。 
 濡れたジャンプ傘が勢い良く開き、水滴を飛ばしたのみならずその濡れた布をメンドゥーサの一団の洋服にこすりつけてしまう。

「キャッ!」
「ジンジランナーイ」
「ヒドーイ」

「ヒエッ、す、すみません」
 俺は慌てて謝ったが、氷の視線の温度は冷たさを倍増し、絶対零度に達する勢い。

「あなた、自分が何をしたかわかってるんでしょうね」
 メドゥーサの声が不気味に響く。
「寝坊して慌てていたもので……すみません」
「謝って済む問題と済まない問題があるのよね」
 彼女は目線を下にして俺を見下ろす……。
 言って置くが、俺の身長は175センチ、彼女は160センチ位だろう、それでも見下ろす視線となっているのは、足を踏ん張り、腕を組んで上体を反らせているから……おそらく職場でもこの姿勢をちょくちょく取っているのだろう。
「申し訳ございません……」
 俺はあくまで丁寧に言った……が、腹の底では蟲が蠢き始めている。
 雨の日の通勤電車、濡れた傘を他人に押し付けないよう気をつけるのは当然だろう、しかし、満員電車の中でズボンや上着に押し付けられてしまう事は良くあることだ、それを気にも留めない人にはちょっと腹も立つが、普通はいちいち謝罪を要求したりはしないし、『すみません』の一言があれば仕方がないことだと諦める。
 俺は確かに彼女たちの服を濡らしてしまった、それも壊れたジャンプ傘で……俺の過失である事は認める、だから詰られても言い返すつもりはない……だが、それ以前にこの満員電車の中での傍若無人の振舞いはどうなんだ? 面倒なことには関わりたくないし、それこそ警察沙汰にされたりしてはかなわないから誰もがぐっと堪えているのだ……どうしても満員電車に乗りたくなければ朝早く出れば済むことではないか、それともマイカー通勤にすれば良い事ではないか、早起きが辛いとかお金がかかるとかは関係ない、快適さを追求するには代償が必要なのだ、それが出来ないから誰もが苦痛に感じていながら堪えているんじゃないか、そんな満員電車の中、『寄るな触るな』オーラに身を固め、周囲を威嚇しつつ、過度の権利を主張して自分たちだけ快適に過ごそうとするのはどういう了見なんだ?
「何? なにか文句でもあるのかしら」
 語尾が不必要なまでに上がっている、(文句あるの? ないわよね!)と言う意味にしか取れないキツいイントネーションだ。
「いえ……」
「だったらこれを何とかしなさいよ、濡れた服を今すぐ乾かしなさいよ、このあたしに不快な思いをさせないで欲しいわね」
 なんて言い草だ……こっちの方がよっぽど不快な思いをしている、毎日毎日それを我慢して……俺の中で何かがぷつんと切れた……。

作品名:決闘! 幡ヶ谷駅! 作家名:ST