Hail mary pass
【11】
一九九五年 十月二五日 朝
セドリックのトランクから見つかった現金。岩村が持ち出して、清水の車に無造作に放り込まれた。あまりにもお粗末だが、動かない証拠だった。岩村は『しらこいけど、殺しは俺がやったるわ』と、面倒そうに言った。いつもベルトに挟んでいた銀色の拳銃を差し出して、『俺からの餞別や』と続けた。和馬はそれを受け取りながら、思った。これから先、この拳銃以外を頼ることはないだろうと。
短かったやり取りを思い出しながら、和馬は周囲をそれとなく見回した。空港のターミナルは、平日は人もまばらで、空気が澄んでいて心地よかったが、その分人目に付く。
上着のポケットには、キャッシュカードが入っている。忘れないようにずっと手で触れていたから、汗で滑った。一昨日、捜査費をセドリックに移していたとき。岩村は、『お前はほんまに、黙っとっても嘘がつけんのやな』と言って、笑った。
『山分けにするんちゃうんかいな?』
あの言葉を、これから忘れることはないだろう。パタパタとタイルを踏む賑やかな足音が聞こえてきて、和馬は振り返った。カステラを持った浩が立っていて、首をかしげながら笑った。
「おう、カステラか」
和馬はそう言って、背中をぽんと叩いた。その隣に立った弥生に言った。
「戻ったらあかんぞ」
山分けになった捜査費が入ったキャッシュカード。和馬はそれをポケットから取り出すと、弥生に差し出した。一瞬触れた指先は温かかったが、震えていた。
「私、絶対やり直すから」
弥生は、まっすぐ前を見据えたまま言った。浩がカステラについた紙を落として屈みこんだのを見て、和馬と浩が初めて会ったときと同じように涙をぼろぼろと零しながら、それでも今度は、和馬の顔を正面から見て言った。
「来てほしい」
和馬は首を横に振った。向山と勝馬を殺す段取りは整っていたが、高岡はストップをかけたから、現場には来ない。全員を殺すことができない以上、それはかなわないことだった。
「俺が一緒におったら、見つかるからあかん」
弥生は口をつぐんだが、まだ何かを言おうとしていた。和馬はそれを遮った。
「誰からやろうが、お前の名前が出たら、俺はやるべきことをやる」
言い終えると同時に、和馬は手を差し出した。弥生と握手を交わすと、言った。
「これから長いぞ。がんばりや」
ゲートをくぐる人がちらほらと現れ、二人が乗る予定の飛行機の案内が、一番上に切り替わった。和馬は手を離した。弥生が浩の背中を押し、並んでゲートへ歩いていった。通り抜けるとき、浩が振り返った。最後に笑顔が見られるだろうか。和馬がそう思ったとき、浩は敬礼をした。和馬も敬礼を返し、気づいた弥生が振り返って、泣き笑いのまま手を振った。和馬は、敬礼のまま二人を見送った。これから、長い戦いが始まる。
全ては、公共と市民の安全を守るために。
作品名:Hail mary pass 作家名:オオサカタロウ