Hail mary pass
【6】
二〇一八年 一月四日 朝
家族に約束した以上、夜には土産を持って家に戻るしかなく、高岡は一日待った。メールや通話は履歴が残るから、できるだけ顔を合わせて話す必要があった。会う約束を取り付ける以外、内容もできるだけ伏せた。土産を広げて、夕食を食べている間は、昨日までの平穏な空気が戻ってきたが、充と奈緒美が家に帰っていくと、その空気も換気扇から素早く抜けていった。
朝ごはんを食べていると、敦子が言った。
「稲本さん、ハゲてた?」
「そらもう、後戻りできんぐらいな」
高岡は適当に相槌を打つように返すと、オレンジジュースを飲み干して、また九五年にスイッチを切り替えた。岩村の『捜査費が消えた』というひと言をきっかけに大騒ぎになり、清水が買ったばかりのセドリックのトランクから、その半分が出てきた。簡単に言えばそれだけだが、その後、いよいよ解散となったとき、和馬の提案で、最後にもうひと仕事やるという段取りになった。対象はホテルの廃墟に住み着いている初老の男で、何十年も前に起きた資産家殺人事件の犯人だとされていた。しかし、その案件は結局実行されることはなかった。ストップをかけたのは、高岡自身だった。清水を殺してから数週間しか経っていないことから、実行するのは危険だと判断したのだ。だからこそ、ニュースを見た瞬間からずっと考えていた。それは、例の案件を、結局和馬は決行したのではないかということ。今さら責めるつもりはない。それが仮に資産家殺人事件の犯人だったとして、鑑定の結果身元が割れたとしても、そこで行き詰るだろう。二十九だった実績が、三十になる。ただ、それだけのことだ。
スカイラインに乗って高速を飛ばし、また道の駅に寄った高岡は、ランドクルーザーが現れるのを待った。今回で、決着を付ける。三十番目の箱の中身を聞き出して、すぐに稲本に伝えなければならない。資産家殺人事件の犯人だという事前情報を得ていれば、稲本は鑑定結果が出たときに先手を打つことができる。泥だらけのランドクルーザーが手狭な駐車場の枠に収まり、和馬が運転席から降りた。高岡が片手を上げてスカイラインから降りようとしたところで、携帯電話が鳴った。稲本からだった。電話を取るなり、稲本が言った。
「朝からすみません。ええっとですね、進みました」
高岡は、自分の仮説を口に出しかけて、すんでのところで飲み込んだ。
「何が分かった?」
高岡が言うと、稲本は一度咳払いをしてから、言った。
「箱の中には、複数人の骨が混ざってます」
高岡は、自分の表情がどのようになっているか考える暇もなく、ぽかんと口を開けた。犯人は一人だったはずだ。
「……そうか。ありがとう」
電話を切り、和馬を車の中へ手招きする。助手席に座った和馬は、珍しそうにスカイラインの内装を見上げながら、言った。
「今日はこっちですか」
高岡は、単刀直入に言った。
「三十番目の仕事、やったんか?」
「いいえ」
和馬の答えも、負けじと短かった。複数人の骨が混ざっているという話。それを話すべきかどうか高岡が迷っていると、和馬は言った。
「高岡さん、あのとき中止やて言うたでしょう」
「あの箱は、俺らが使ってたやつやぞ」
高岡の言葉に、和馬はしばらく黙っていたが、少し声を落として言った。
「ゆうちゃん……。いや、清水は、弥生に仕事の話を少なからずしてました。あのだらしなさが、気に食わんかった。本来なら、もっと続けられたでしょう」
「俺は、あの辺で終わりにしときたかった」
高岡は正直に言った。九五年は、一月に大地震が起きて、三月には地下鉄サリン事件も起きていた。テロ対策が初めて現実味を持った年で、高岡自身もあちこちの部署や対策本部にひっぱりだこになった。桜鈴会の面子と顔を合わせることも中々かなわず、そんな状態で続けられるとは思っていなかった。だから、解散が決まったときは、肩の荷が下りた気がしていた。しかし、和馬は違ったのだ。高岡は言った。
「お前を責めるつもりはない。元は俺が始めたことやからな」
和馬はうなずいた。そして、呟くように言った。
「身元が割れたら、どうしますか?」
「どうもせん。ただ、俺は今担当しとる奴に、先に身元を伝えるつもりや」
「そうですか。じゃあ、それで結構です」
和馬の言葉に、高岡はシートに座りながらも、自分の体がぐらりと揺れるのを感じた。今目の前で起きていることが現実なのか、一瞬区別がつかなくなったように感じた。
「三十番目の箱の中身は?」
高岡が言うと、和馬はドアを開けながら補足するように言った。
「例の犯人です。自分が殺りました。ではまた」
ランドクルーザーへ戻っていく和馬の後姿を見ながら、高岡は震える拳を握り締めた。
今、和馬は明らかな嘘をついた。でも、何のために?
作品名:Hail mary pass 作家名:オオサカタロウ