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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Hail mary pass

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【1】


一九八二年 一月十七日 深夜

 息をするたびに、歯がカチカチ鳴る。雪の上に残った足跡。リアウィンドーが木っ端微塵に割れたタウンエースは、数年前に清水の父が新車で買ったばかりだったが、今は見る影もなかった。向山は、手袋ごしに手を擦り合わせながら、これ以上外で見張っている必要があるのかも分からないまま、じっと寒さに耐えた。二十歳で、持ち物は今着ている登山用のジャケットとジーンズ、そして雪山でも歩ける登山靴、現金が少しだけだった。その現金も、タウンエースの後部座席にいる二人からさっきもらったばかりで、実質、向山には家もなければ、家族もなかった。安物のスピーカーからチャーリーパーカーが流れるタウンエースの中で、爆発音が鳴った。車体ががくんと揺れるのと同時に、向山は思わず飛びのいて転び、雪の上でもがきながら立ち上がった。
「な、なんすか」
 思わず言うと、タウンエースの中から顔を出した清水が、血まみれの顔を横に振った。向山が懐中電灯を振ると、雪の上にも、清水の顔から落ちた血が点々と散っていた。
「耳痛ってえ」
 向山は懐中電灯の光までが震えていることに気づいて、左手でそれを止めた。
「あの……、その血……」
 清水は目に血が入ったのを腕でぬぐいながら、また首を横に振った。
「俺の血やない」
 言いながら、清水はリアハッチの割れた窓から、外へ手を伸ばした。逃げようとしているような仕草で、向山が何をしているか聞こうとするよりも前に、唸るような声で言った。
「おまえ、ぼさっとすんな。開けんかい」
 ドアノブに触れようとしている。そのことに気づいた向山は慌ててリアハッチを開いた。清水は、タオルで血をぬぐいながら降りてくると、自分のジャケットをめくり上げた。腹にテープで巻いたカイロを一枚はがして、向山に手渡した。
「これしかないわ。ごくろうさん」
「あ、ありがとございまっす」
 向山はそれを受け取って、律儀に自分の腹に貼った。その様子を見ていた清水は、少しずつ笑顔になって、最後には声を出して笑い始めた。清水は向山より一歳だけ年上で、二十一歳。向山とは、四つ前の現場で知り合った。一歳違うだけで、二人は親子に見えるぐらいに、人生経験にも外見にも隔たりがあった。
 もう一発爆発音が鳴って、タウンエースの中がオレンジ色に光った。ドアを開けている分、今度ははっきりと聞こえた。散弾銃の凄まじい銃声。ホットハウスの旋律が耳鳴り混じりになって、向山と清水は顔を見合わせた。リアハッチをくぐって降りてきたその姿は、二十七歳に見えない。返り血を浴びて赤鬼と青鬼が混ざったようになっていた。かろうじて覗く青色は、警察官の制服。
「どいつもこいつも、一発で死によらん」
 独り言。清水と向山は、これがこの男の『癖』なのだと、初めて会った時から理解していた。現職の警察官。だからこそ、今散弾銃で殺された男は、自分が法で裁かれるということを信じたのだ。向山は身震いを殺しながら、清水のほうを見た。清水は首を横に振った。まだ独り言が続くというサイン。
「ぐだぐたぐだぐだ、しつこいねん」
 岩村巡査長は、水平二連散弾銃の銃身を折って、空薬莢を引き抜いた。手袋の上で煙を上げる薬莢をころころと転がしながら、言った。
「なにわろとんねや、お前ら」
 岩村が警察組織の一員となったのは、一九七三年。今は、自動車警ら隊に所属している。岩村は、散弾銃をタウンエースの車内へ放り投げると、清水に向かって顎をしゃくるような仕草をした。
「新車やのに、すまんな」
 清水は力なくうなずいた。
「大丈夫です」
 清水の役割は、たった今散弾銃の餌食になったばかりの男を見つけることだった。連続殺人犯で、ここ数年は犯行を休んでいるが、顔の特徴を変えてドヤ街に紛れ込んでいるという噂だった。あちこちの飯場を出入りして、火傷の跡がある男を探し続けた。特徴が一致する男とは、必ず仲良くなって、酒をおごった。一ヶ月も経たない内に、事件があったころにその地域に住んでいた男を見つけた。
「これで、約束は……」
 清水は言った。『約束』は、清水にとって一番の頭痛の種でもあった。十八歳になったばかりの、妹の弥生。強盗致傷事件に関わっていて、主犯とされていた。
「よう、ゆうとくわ」
 岩村は清水に対して、自身の事を『駒』だと言った。それは、岩村の上に指揮命令する存在がいるということと同時に、本人もその力に守られているということを示していた。清水は目の前の『駒』にすがるように、頭を下げた。これで、証言予定の警察官は、弥生ではなく、別の強盗メンバーを名指しするはずだった。問題は、そのメンバーもまた、清水の顔見知りだということだった。小さな集落で育った以上、避けられない問題。清水家と灰野家は、古くからの付き合いがある。『顔見知り』は、その家の次男坊である勝馬だった。幼少時は病弱だった勝馬は、体格ができあがると打って変わっていじめっこになり、生真面目な性格の兄とは、真逆だった。兄は清水と同級生で、名前は和馬。馬にちなんだ名前の、対照的な性格の兄弟。弟が強盗に関わったとなって、もし実刑判決を受けたら。和馬の経歴にも関わるのだろうか。清水はそのことを思った。和馬も、今目の前にいる岩村と同じで、警察官になる道を選んだ。所属は全く違う上に、もちろん岩村のように返り血を浴びているはずもなかったが。
「あの、窓どうします?」
 向山が言った。岩村は一瞬だけ鋭い視線を向けると、ばつが悪そうに笑った。
「しゃあない。ビニールあるか?」
 向山が首を横に振ると、自分が乗ってきたルーチェのトランクを開けた。青色のゴミ袋とテープを持ってきて、言った。
「これで、どないかなるやろ」
 向山が几帳面に窓を養生し、テープで四隅を留めた。
「それやと風が入るな」
 岩村はそう言いながら、追加で数箇所を目張りし、自分の仕事ぶりにうなずいた。向山に、呟くように言った。
「お前、ほんまにええねんな」
「はい」
 向山は、医療少年院を出てから、清水をずっと頼って生きてきた。大きな仕事のチャンス。それは、岩村の忠実な部下となること。岩村が属する組織は、警察が裁けない人間に自身の手で引導を渡す。向山からすれば、それは造作のないことに思えた。そもそも医療少年院送致となったのは、祖父を電話コードで絞め殺したことが原因だった。自分が虐待されていたのかは、分からない。それはあくまで、岩村の意見だった。そして、その祖父のような人間を殺すのがこの『仕事』で、世の中には、警察が裁き切れない人間がたくさん存在するということを、岩村は力説した。向山はその一字一句を吸収し、受け入れた。
「ほな、いこか」
 岩村はルーチェの運転席に乗り込んだ。ビニール袋で丁寧に養生されたシートが音を立てた。向山も助手席に乗り込み、タウンエースの運転席には清水が座った。
 山奥の廃倉庫。そこで死体を処理して、明日は清水がタウンエースの後部座席を清掃する。岩村は頭の中で予定を立てながら、ラジオのボリュームを捻った。ノイズだけが大きくなり、ざらざらとした音が車内を満たした。岩村はグローブボックスからテープを取り出し、無造作にデッキへと放り込んだ。途中から再生されたギターだけの曲。
作品名:Hail mary pass 作家名:オオサカタロウ