狐の嫁入り
[鋪]
雨が降る度、気に掛かる
部屋の片隅に置きっ放しのままの、番傘
彼の日以来、妓楼の若い衆が付き添い
私は、自由ではなくなった
自由?
私は生まれる前から、自由ではない
「何処の馬の骨だか知れない奴に、傷物にされたら、堪らないからね!」
そう、苦虫を噛み潰したように
私の顔を見る度に、遣手さんは言うけれど
花車さんは特別
母親を知らない私に
母として、愛情を注いでくれた
一人前としてお披露目される、新造出しの日
『綺麗だよ、立派だよ』
『夕霧も、きっと喜んでるよ』
母親の、名だ
うんうん、頷いては花車さんは笑う
うんうん、頷いては花車さんは嗚咽する
すっかり痩せた肩を縮めて、頬を濡らす涙を着物の袖で拭っていた
私は特別、だけど例外じゃない
行く末は彼の子達と、同じ
『その番傘、だあれの?』
衣擦れの音が、近付く
振り返れば、幼さが残る小振りな顔が無邪気に笑う
真っ赤な紅を引く、唇が不釣合いで痛ましい
私の傍らに、座り込む
はだけた衿から覗く、項が婀娜っぽい
が、その「花」の香りは果敢無い
手にした番傘に、目を落とす
番傘の事は言えない
男との約束がある
彼此、三年余り
返しに行く事も、捨てに行く事も出来ない
『会いたい、の?』
唯、番傘を返したいだけ
唯、それだけ
『隠さなくても、いいの』
そう耳元で笑う、彼女の声はこそばゆい
『会いに、行こう』
彼女の言葉に思わず、息を呑む
足抜けは、捕まったら折檻だ
禿でも知ってる
私の動揺等余所に、彼女は続ける
『夢の中、へ』
一瞬、意味が分からなかった
無邪気に笑う彼女は、はだけた胸元に両手の平を置いて言う
『この身体は何処にも行けないけど、この心は何処へでも行けるの』
ああ---
本当に一言、私は感嘆の声を上げる
そうして、彼女に問う
『あなたは?』
『あなたは誰に、会いに行くの?』
会いたい人がいる
会いたい人がいるから、慰みを見つけた
問われて、嬉しかったのか
客も姉女郎も気にも留めない、会話
彼女は真ん丸い目を輝かせ、嬉嬉として話す
『郷里の、弟達と会うの』
振袖新造の自分とは違い
留袖新造の彼女は、既に客を取っている
親の為に、抱かれるのではない
幼い弟達を養う為に、彼女は抱かれるのだ
どちらが「幸せ」なのだろう
生まれた場所が貧しくて、遊郭に売られるの、と
生まれた場所が遊郭で、母親の様に遊女になるの、と
どちらが「幸せ」なのだろう?