狐の嫁入り
[起]
生まれる前から、遊郭にいた
初めて嗅いだ匂いは噎せ返るような、花の香
母親は、花魁だった
身請けした母親の代わりに、妓楼の花車さんが育ててくれた
幼い私は、本当の母だと思っていた
「母親の様に稼いでおくれよ」 と楼主さんに言われる迄、思っていた
辛くはない
悲しくはない
唯、本当の母親に会いたいと思った
唯、そう思った
何故、自分を産んだのか
何故、自分をここに置いていったのか
週に2回、茶道と生花の教室に行く
最初の内は妓楼の若い衆が送り迎えをしてくれたが、今は一人で通う
町は賑やかで、穏やかだ
花の香りで噎せ返る事も、煩う事もない
ふと、胸元に抱える風呂敷に水滴が落ちた
仰ぐと晴天の空から雨粒が次から次へと、降り注いでくる
狐の嫁入り
直ぐに止むとは思うが、風呂敷の中身が濡れてしまっては大変だ
確かこの先に、朽ち掛けた社があった筈
大層、立派な社なのに手入れする者も拝む者も居なくなった社
私も同じだ
毎回、社の前を通るのに
毎回、知らん振りだ
そこの軒下を借りて雨宿りをさせてもらおう、そうしよう
そして、今日のお礼に心ばかりのお供えをしよう、そうしよう
着物の裾をたくし上げ小走りで駆け寄り、軒下に潜り込む
通り雨かと思った空には今や、暗雲が垂れ込める
遠く、雷鳴が響く
組む腕が風呂敷を抱えたまま、その肩を抱く
思いのほか、着物も髪も濡れてしまった
少し、寒い
『ナラバ…、暖メテヤロウ』
背後から聞こえる声に振り返る間もなく、社の中へと引きずり込まれる
観音開きの格子戸が開いた時同様、音も立てず閉まる
慌てて、格子戸を引くがビクともしない
押しても同じだった
『寒イノダロウ?、暖メテヤル』
再び、背後から聞こえる声に振り返る
碁盤の目の様な格子の隙間から、辛うじて光が差し込む
だが、社の奥迄は届かないらしい
『どちら、様ですか?』
姿の見えぬ相手に、言う
声が、足が震えるのは、寒いだけではない
私は、声にしていない
少し寒い---、そう思っただけで声にしていない
格子戸を背にして、その場にへたり込む
着物の裾がはだける
徐に、手を伸ばし裾を正す
途端、奥の暗闇から青白い腕が現れる
裾から覗く、真っ白い太ももに触れる
『何故、隠ス?』
『コンナニ、白クテ綺麗ナノニ』
青白い腕が真っ白い太ももを這い、足の付け根に辿り着く
その奥の性に、触れる
『駄、目!』
顔の見えぬ相手に、言う
辛うじて光が差し込む社内で着流し姿の男が、目の前に居る
だが、その顔が見えない
『分カッテイル』
『水揚ゲノ済マナイ引込禿ヲ、手籠メニスルツモリハナイ』
『唯、味ワイタイノダ』
暗闇の中で、男が笑う
『母親二瓜二ツノオ前ノ、蜜ノ味ヲ』