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短編集10(過去作品)

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表裏一体



               表裏一体


 私にとっての今度の旅が何を意味するのか、自分では分かっているつもりだった。
 忙しかった仕事も一段落し、フラッと思い立った旅である。元々、旅行は好きな方だった。大学時代にサークル活動もせず、バイト代のほとんどを旅行代に使っていたほどである。かといって、決して贅沢な旅を楽しむというわけではない。欲しいのは心の贅沢なのだ。
――人との擦れ合い――
 これはお金をかけたことによって得られるものではなく、却って質素な旅の中にこそ、たくさんの出会いが待っているというものだ。
 移動するのにも時間をかける。特急などを利用せずとも、各駅停車の旅がどれほど人を感じることができるか、知っているからかも知れない。
 特に大学時代に見たり感じたりしたことは新鮮だった。今でも目を瞑れば瞼の奥に浮かんでくることも多く、数多くの出会いをすることができたのだ。目的を持った旅ではなかったが、しいて言えば「友達をたくさん作る」これが最大で共通した目的だったのだ。
 おかげで今でも連絡を取り合う友達もいる。彼らは社会人となった今でも旅行がやめられず、時間があればどこかの旅の空の下にいるらしい。ひょっとして、どこかで出会いはしないかとさえ思えるほど旅の好きな連中なのだ。
 私の場合は就職した会社が忙しいということもあり、それほどしょっちゅう旅に出るわけにもいかず、計画もままならない。さすがに学生の頃のように、まったくの無計画ではいけないところが辛いとこだ。
 旅行の醍醐味は、無計画で出かけて、現地でできた友達とさらに先の計画を立てることである。学生時代はすべてそうだった。それによって行った先でも友達ができてさらにそこから友達が広がるのだ。それができなくなっては旅の楽しみの半分はそがれてしまった気がする。
 私の配属した部署はプロジェクト関係の仕事で、会社で作られるプロジェクトの立案、進行を主な業務とするところで、他の部署に比べてもさらに団体行動を要求される。しかも自分たちが仕切ってリーダーシップをとっていかなければならず、プロジェクト期間中は集中を余儀なくされるのだ。
 だがこれほどやりがいのある仕事はない。
 自分で計画した通りにまわりの人間が動いてくれる。しかも業績にはっきりと現れるので、会社の数字がそのまま自分の業績になって跳ね返ってくる。はっきりとしている仕事ほどやりがいのあるものはない。
 元々目立ちたがりの私である。しかも、誰にでもできる仕事というわけではなく、自分がプロフェッショナルな部署にいるということが自分に優越感を与える。気持ちを大切にする私は、気持ちで仕事をするタイプなので、やりがいはそこからも来ているのだ。
――若いうちの経験は、必ず将来に実を結ぶ――
 先輩の口癖だが、まさしくそのとおりだ。やりがいと経験値の積み重ねが私を少々の無理にも耐えさせた。
 その甲斐あってか、一年半費やしたプロジェクトもやっと無事に起動に乗り、最近は徐々に自分の時間が戻ってきた。もし私に旅行という趣味がなければ、気が抜けてしまって寝込んでいたかも知れない。それほどプロジェクト稼動時のスケジュールは過密で、寝る暇すら与えてくれなかったほどで、プロジェクト解散後には、振替休日が山ほど残るのだ。
 振替休日は自由に使っていい会社だった。しかも、会社からささやかながらも金一封が支給され、まとまった休暇も自由に取れるのだ。そうでもしないと次のプロジェクトを心機一転することができず、前の仕事を精神的に引っ張ってしまうからだ。
 そういう意味で、私の会社には理解のあるトップがいてくれて助かっている。
 かといって仕事人間というわけではない。うちの会社に限ったことではなく、特にシステム関係の会社などのよくあることなのだが、週に一度は残業をしないという取り決めの日がある。経費節減にもつながり、何と言っても気持ちをリフレッシュして仕事ができることから、個人個人の計画性が現れてくるのである。
 私にとっても願ったり叶ったりだった。会社の連中と呑みに行くこともあったが、基本的には自分たちの時間を大切にすることで意見が一致している。それぞれ強制しあうことなく、好きな時間を過ごすのだ。中には芸術に勤しんでいるやつもいて、皆自分の時間をしっかりと謳歌していた。
 最初の頃の私はさすがに何をしていいか分からなかった。急に一人になってもすることがなく、それこそ気がつけば一日が終わっていることが多かった。しかも果てしなく長く感じられ、これなら会社で仕事している方がましなくらいだった。
 あてもなく街を歩いている時のことだった。
 会社の近くにある喫茶店で、時々通る道、しかも横目でチラチラ見ていたにもかかわらず、寄ってみようとも思わなかった店があった。考え事をしながら歩く癖があるので、きっと目は追いかけていても漠然としてしか見ていなかったのだろう。しかし、いつも昼の明るい時に見る店なので、夜の煌びやかな時間帯に少しびっくりさせられた。
 最近流行りのセルフサービスの店で、喫茶店というより、カフェという雰囲気だ。
――こういう店もたまにはいいな――
 年齢層は圧倒的に二十代が多い。今まで寄ってみようと思わなかったことが不思議なくらいだった。気持ち的に余裕がなかったのか。それともよほど考え事に集中していたかのようである。
 コーヒーの値段も安く、しかもおいしそうなケーキが並んでいる。一番小さいサイズのコーヒーと、チョコレートケーキを注文し、席に着いた。
 座ると同時に店内を見渡してみる。
――ひょっとして知り合いがいるかも?
 という思いがあったのも事実だが、だからといって、そこに知り合いがいたからどうしようという気持ちもなかった。たぶん声を掛けることはしないだろう。
 いるはずもない知り合いを見つけることなく、私はゆっくりとコーヒーを飲み始めた。当然だという気持ちを安堵感に変え、口に含んだコーヒーは少し苦めだった。そういえば後口に残りそうなおいしいコーヒーに、最近はお目にかかったことはない。以前はセルフサービスの店などたいしたものを出さないだろうなどと考えていたのだが、なかなかどうして、香ばしさをしっかりと感じ続けることができる。
 気がつけば思わずほくそえんでいた。客観的に自分のにやけている顔が目に浮かんできそうなことなどなかったのに、それだけ気持ちに余裕が出てきたのかも知れない。
「くすっ」
 本当に微笑む声が聞こえたかどうか、今となっては定かではないが、身体が反応したように顔を上げると、そこには一人の女性がこちらを見ていた。すぐに目を逸らそうとしたのだが、それよりも私の視線の方が早く彼女を捉え、目が合ってしまった。
 見た瞬間は間違いなく微笑んでいた。しかしその顔が真顔に変わるまでに何と早かったことか。笑顔が幻でないことは、目を瞑れば瞼の奥にしっかりと残像が残っていることからも明かだ。
 合ってしまった目を逸らすのは難しいことだ。お互いに金縛りにあってしまったかのように微動だにせず、瞬きを忘れてしまったかのように目を見開いてくるのを感じていた。
作品名:短編集10(過去作品) 作家名:森本晃次