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慈雨と甘雨 8

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 そういう不思議な感覚を空中で感じていると、どことなく、カンウの思考がそのままジウの体に染み込んでいくように感じた。暑さによって流れる汗にも体の中心から滲み出るカンウのものが混じっているような気がしてならない。背中の火傷に汗が染みるという感覚を久しぶりに感じ、ジウは棒の先端の方に顔を向け火傷の位置を確かめた。
 

 
 太陽が車のフロントガラスを溶かそうとしているようだった。
「山の天候は変わりやすい」
「突然なんだい」
「んや、聞いた話なんよ。誰だったかな、聞いたの」
「知るわけないな」
「そうだな」
踏切が一直線に伸びる道路のかなり向こうに見える。休憩のため止まったままの車内は太陽で暖められている。その空気の熱は太陽
由来のものと、シートの憶測に眠っていた嫌な匂いと湿気によるものがあった。

冬らしい風がまた吹いた。それはちょうどジウが背中の火傷を確認した時にジウの背中側、つまり棒の先端の方角から吹いてきた。全体的に吹く風ではなく、一点、火傷を目指してやってきたようにするどい風だった。木枯らしが火傷を癒すかどうかはわからないが、その冷たい風が確かに火傷の痛みを和らげたように感じた。
 風は一瞬で消え去り、そこに変わるように太陽がやってきたのだが、極度の温度変化に黒い体に水滴がついた。それほどの変化だった。
 その水滴は右の腹の付近に一つ大きなものを作った。おうの目くらいの大きさのものだ。その水滴は体をしたたり落ちることなくどういうわけか体に張り付き、ジウはそれを見ている。
 デンシャが突然見えなくなった。その消失はデンシャが動いたことによるものではなく、デンシャ付近の大地が一瞬にして消えたわけでもなく、デンシャとジウの間の広い空間に何かが現れ、視界を悪くしたということだった。デンシャが見えていた方角の風景は霞んだようになっており、輪郭は虚ろに、色は水に浮かんだ油のように混じっていた。そこにデンシャの青い線がかろうじて見え、デンシャが消失したわけではなく、見えなくなっただけだと気づくと、同時に見えなくさせた障害物が見え始めた。
 カンウが目の前に立ったなら、その大きさから向こう側が見えなくなる。今、目の前の風景を虚ろにしているものはそういう実態を持ったものではなく、半透明なものだった。
 それはどうやら霧のようで、時折、太陽の光によって煌びやかに微細な水滴をあらわにした。微細な水滴一つ一つの隙間から見える向こう側の風景は何とも奇妙なものだった。
 そもそも霧がこんな昼間に出ることすら珍しい。本の記述では霧は朝方によく出るとあった。
 霧そのものも確かに奇妙だが、それ以上に霧越しに見るデンシャがさらに奇妙だった。その見えづらくなったデンシャのシルエットだけが確かにジウに伝わり、動いているのか、停まっているのか、それすらも曖昧にさせている。デンシャの進行方向はこちら側で、動けばおそらくフミキリがまた爆音を鳴らすだろう。そういうデンシャ本来の動き以外のものでデンシャの動きをやっと検知できる。それが何とも奇妙な生物との遭遇に思えて仕方がなかった。

 霧の出現が突然だったように、デンシャが進んで、フミキリが爆音を鳴らし、棒が上がるのも突然だろうと思い、ジウは先を急いだ。棒の先端まではあと半分。少し急ぎ足で先を進む。
 棒は黒と黄色で覆われているようで、ある程度進むたびに二つの色を交互に踏んでいた。十歩くらい進むと入れ替わるが、どちらを踏んでいても落ちるような気には一切ならない。棒が太いこともあるだろが、それ以上にデンシャ付近の霧がこの付近には一切ないという鮮明な視界がとても頼りがいのあるものに思えることが原因だろう。
 進みながらジウは、うみを見に行くという本来の目的を思い出した。しかし、目の前の出来事に流され、もしくは自ら流れ、うみを見に行くことが後回しになっている。さらにうみを定義するという当初の思いは、カガクという未知との遭遇によって不可能だと痛感させられ、ジウの幼い夢のようなものは粉々に粉砕されてしまった。そういう消失を改めて思うと、今の自分の行動がおかしく思える。どこに行くか、何をするかわからないが、なぜか棒を進んでいる。そしてカンウの足跡を辿ることに注力している。力強く進む自分の足の黒さが棒に浸透していくような感じで足が棒から離れることなく進めるのだ。
 この未知の世界にジウはかなり足跡を残した。クミンはおいしく、そのカップにはジウの唾液だとか。そういうものが残っている。この先、あの家から外に出るものが現れたとして、その道しるべとなるかは知らないが、どこかでジウの足跡を見つけ、それを辿るか、もしくは無視するか、その誰かに干渉できることが少しばかり誇らしく思えた。
 
作品名:慈雨と甘雨 8 作家名:晴(ハル)