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慈雨と甘雨 4

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外は予想以上に寒く、防寒用の服を一枚だけ着た次男蟻の身体を予想以上に冷やしていた。外に出てから一切脱いでいない服と体の間にはまだ家の中の生ぬるい空気が残っているのか、内側の布が寒暖差からか少し濡れている。この季節に汗をかくということはないだろうから、そういうことだろう。
 長男蟻を尾行し、初めて出かけた時と同じ道を辿っていた。季節の本が示したように時間が夜と朝を区別しているようで、先日と同じはずの道はどうみても違うものに思えて仕方ない。踏むたびに音を立てる草や枯れ葉は空気に冷やされ、乾燥させられている。その音は朝の尾行の際にも確かにあったが、夜のこの音は周りの静けさのせいか、恐怖心を掻き立てる。一定のリズムで広がる音が、何かの出現を預言するように思えるのだ。大抵の小説では、天敵が草むらから音を立てながら現れる。
 そういう小説の展開に飽きたのか、たまにその天敵が、天敵ではなく、知り合いや、意味のない虫だとか、そういうものに変わって出現することがある。次男蟻が主人公とするなら、その虫はおそらく長男蟻だろう。そこの草むらからガサガサっと彼が現れるかもしれない。

 しばらく歩くと、踏む感触がまったく違う地帯に入った。その感触は覚えがあるもので、そばにあった木が月に照らされ、その輪郭があらわにされると、そこは、彼が一休みしていた草の周りだと分かった。夜風に吹かれる草にはもちろん彼は休んでいない。
 
 その草が見えたということは、もうすぐそばに赤い花があるということだ。目の前は真っ暗で、灯りなど一つも持ってきていない次男蟻はその草の出現によって自分の場所を確かめた。赤い花の向こうには次男蟻が全く知らないものがあり、逆に知っているものは何一つない。同じ草というものがそこにあったとしても、それに付着している風の残りなどは全く知らないもので、そういうものに意識がつられておそらくその草も知らないものに分類されるのだろう。
 自分の足は確かに草、を踏んでいても、自分の居場所を何かにかけて証明することは一切できなくなる。草の出現とともに、次男蟻は初めて外に対する不安、恐怖を感じた。
 その不安を解消する方法は一切浮かんでこず、次男蟻は一人、赤い花を目指して夜の道を進んだ。月明りが雲にさえぎられ、目の前の少し先だけがほんのりと見える程度の視界の中、次男蟻はゆっくりと、しかし、着実に赤い花に近づいている。
 冬の風が月明りに照らされ、足元の枯れ葉を微かに揺らし、その小さな音に敏感に反応する次男蟻の歩行はますますゆっくりとなっていく。
 その時、足元に明らかに枯れ葉ではないものが映り、足を止め、暗闇に目が慣れるのを待った。だんだん広がっていく視界にはやはり赤い花の花びらが一枚あった。ゆっくりと顔を上げると、目の前、蟻一匹程度向こうに赤い花の壁があった。花びらが偶然次男蟻の進行方向の足元になければ、次男蟻は目の前の赤い花の壁に気づかず、その毒に侵され、意味のない外出の中、死んでいくことになる。その死骸を誰かが捕獲し、捕食することはないだろう。赤い花を見上げながら、一人、意味もなく死んでいく。その光景が一瞬頭を過り、一寸先は闇という言葉を行動から理解したのであった。
 
 赤い花の壁のどこかにある抜け穴を探す必要があるのだが、突如現れた、死への招待状をすんなりと受け入れるのはそう容易なことではなく、次男蟻は足元に少し黒く滲んだ赤い花の花びらを見続け、次第に重くなってきた体を枯れ葉の上に落ち着かせた。こうしてみると、ここまでぎっしりと赤い花が壁を成していることは美しさという面で賞賛に値すると感じた。
 毒を持った、近づいてはいけないものとして固有名詞化していた『赤い花』だが、その多くは硬そうな緑の茎やみずみずしい葉っぱからなっている。その葉っぱにも毒があると聞いたことがあるが、芋虫の死によって証明されたのは花びらだけで、ツヒの推測のように茎や葉には毒がないのかもしれない。どこかで情報が混じりあい、本質とはかけ離れた性質を持った赤い花が出来上がっていてもおかしくはない。しかし、葉に毒がないと立証する証拠は今現在、本にも、伝承にも一切ない。長男蟻の実験結果にもない。
 しかし、彼はそういう不安要素をまったく怖がることもなく、赤い花の壁に空いた小さな穴から外に向かったのだろう。座り込んだ枯れ葉の少し向こうにやけに沈んだ枯れ葉地帯がある。おそらく、そこで彼は立ち止まり、次男蟻のように赤い花を発見し、依然見つけた穴を探したのだ。彼の大きな体が作り出した足跡はやはり見つけやすい。そのうち、あの家の蟻たちも彼の大きな足跡を散歩の途中でも見つけ、外のことを知るかもしれないが、その可能性はあの家の主的な思考から限りなく小さいと次男蟻は死の壁を見上げながらそう、思った。

 死との対面を味わっているうちに、次男蟻の中で彼が既に死んでいるということが強烈に浮かび上がってきた。赤い花付近に残った空気からなんとなく、彼は穴を抜け出て外の世界に向かったのだろうと推測した。その空気がどういうものなのか、次男蟻はどうにか言語化しようと座ったまま考えていたが、どうにもうまくいかず、持っていた水を少し飲み、心を落ち着かせ、外に続く穴探しを始めた。

 穴は意外とすぐ見つかった。尾行の際にある程度の場所を記憶していたということもあるだろうが、それ以上に彼の大きな足跡のすぐ目の前にあったからだった。彼は穴を見つけ、その場にしばらく座り込んだ、という状況を頭で整理し、次男蟻は彼のその行動をおかしく思った。目の前にある穴を彼は一体なぜ見つめていたのか。次男蟻のように突然突き付けられた現実を許容するのに時間がかかっただけかもしれないが、彼に限って、そういう繊細な神経が彼の冒険の邪魔をするように作用するとはどうも考えにくいところがあった。穴の大きさや、その周りに綺麗な花を咲かす毒の塊をみて、彼はどうおもったのだろうか。彼がここにいたときは空には朝日が昇っていたのかもしれない。穴を見つけたときと同じ時刻を求めて彼は夜中に家をでたという仮定がやけにしっくりときた。

 彼はこの向こう側で何らかの事象に巻き込まれて、体を引き裂かれ、大岩で押しつぶされ、水に溺れ、そういう死を経験しているかもしれない。その可能性が高く思える。次男蟻も、この穴を抜けた瞬間に死ぬかもしれないが、抜けなければ、うみは見られない。まだ誰も定義していないうみを自分で定義し、自分の居場所をあの家に、いや、どこかに見出すこの旅はまだ始まってもいない。彼がもし生きているのなら、彼より先にうみを見つけ、本当の意味の博識の称号を手に入れ、彼より優れた部分を一つでも見つけたい。次男蟻は穴をじっと見つめ、なんとか体が茎や葉に当たらないようなルートを想像し、一つ深呼吸の後、布団に潜り込むような体勢のまま、地面を這って行った。月明りが穴と家の敷地を明白に区別し、月明りが一切届かないほど密になった赤い花の壁をすり抜けていく。


作品名:慈雨と甘雨 4 作家名:晴(ハル)