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慈雨と甘雨 1

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長男がいなくなったのは、冬を迎える前の冬迎祭なる祭りが三日後に迫ったときであった。
大人たちはそれぞれ任された仕事を期限までに終えられるように、日中は外で、夜は家で忙しく時間を過ごしていた。そういう中で、のんびりといつも通り変わらない生活を送れるのは、三十ほどいる子供たちで、それぞれ大きさは異なれど、大人とはどこかが決定的に異なっていた。

 彼らは蟻だ。


冬迎祭を終えると、毎年寒波がこの土地を襲う。その日を境に、蟻たちの生活は一変し、昼は家で団らんし、夜は家で団らんする。倉庫に貯められた食料は次第に強まっていく冬の寒さによって保冷され、劣化を免れるが、それでも補給されない食料は日を追うごとに減っていく。節約という概念はきちんとすべての蟻にいきわたっていた。
 そのため、夏ごろのように暴飲暴食を繰り返す輩は冬にはいない。冬迎祭付近を境に、きっぱりと消えてしまうのだ。
去年のそれは見事であった。一年という短い時間の中で予想以上に成長した一匹の子供蟻は、その体が倍の大きさになるころから喰う量も倍になった。小さな虫から、何か外見がわからなくなったものまで、用意されたものはすべて食べた。一番年長の蟻は、こんなに食べる蟻は初めてみたと驚きを周囲にばらまいた。瞬く間に広がったその話をその子供蟻はどこか得意げに聞きながら獲物を食べていた。周りも彼を止めることはなかった。
 夏が過ぎ、紅葉が素晴らしいと一部の虫たちが話すのが聞こえる頃になると、蟻たちの間で不穏な噂が流れた。今年は大寒波になる、地面は凍りつき、草木は緑をすべて消し、冬に緊急で餌を探すことは困難だろう、というものであった。どこで聞いたものか知らないがその噂も同様に広がり、蟻たちは節約を始めた。途端、あの子供蟻の成長を疎ましく思うものが現れ始め、それを表面に出さないとはいえ、伝わる嫌悪感でその子供蟻はものを食べることを控えるようになっていった。その食の減少と共に、備蓄された食料は増え、風がどんどん冷たくなっていった。その年の冬迎祭が終わったころ、その子供蟻は二日に一回、飯を食うだけになっていた。
 去年のこの子供蟻に似た子供蟻が今年もいた。それはこの家の長男蟻であった。


 今年の冬迎祭の準備には、史上初めて子供蟻の中から長男蟻にも仕事が与えられた。大人蟻の後ろについて、仕事をやる姿を幼い子供蟻は尊敬のまなざしで見ていたが、三十いる内の大半の子供蟻たちはそうは思っていなかった。

 というのも、この長男蟻は気まぐれで、自由人で有名であった。去年の子供蟻のように暴飲暴食で有名になる前は、これである意味有名であった。たまに訪れる、散歩の時間に集団を離れて大人蟻による大捜索になることは珍しいことではなかった。彼の体がまだほかの蟻と変わらない大きさだったころには、その小さな体に好奇心が詰まっていたのだろうと一番年長の蟻は話していた。まだ子供蟻が十四匹くらいだった頃、春の初めに出かけた際に、桜の散り花の群れに身を隠していた。探すのにだいぶ苦労し、捜索は夕方まで続いた。見つかった長男蟻は一言、「桜の花びらに埋もれて空を見たかったんだ」といった。この言葉を聞いた蟻たちはみな、彼の変な行動を笑った。
「空なんて見てどうするんだ。俺たちは飛べないんだぞ」
「羽根蟻だっているじゃないか」
「あいつらは別さ。それにそこまで飛べない」
当時の長男蟻の兄蟻たちは彼のそういう夢物語を笑って獲物を追っていた。そのあとの長男蟻の言葉は蜜蜂の針のように兄蟻たちの皮膚の下にひっそりと残っていた。
「届かないところに行ってみたいということの何がおかしいのさ」

 長男蟻の気まぐれエピソードは多数あるが、その多くは詳しく語るに足らないものであった。子供蟻の子守を頼まれたときに、近くのおもちゃに夢中になったり、自らやると言い出した雨水が入った木のバケツ運びも、一つ運んだあと、その水に映る油模様に夢中になり、夕方までそれを眺めていたり、とそういうものであった。

 そういうわけで、長男蟻が冬迎祭の手伝いをすると聞いて、どうせまたいつもの気まぐれが起きると子供蟻たちは踏んでいた。その筆頭が次男蟻で、長男蟻とは三日ばかり歳が違っていた。ほとんど差のない年だが、この家ではその小さな差異が大きな意味を持ち、発言力や、飯の質など厳しく分けられる。昨年の冬迎祭で、大寒波に備えてあんまり盛大にはしないでおこうという頭の切れる蟻のいうことを年上の無能蟻の一蹴によって消した。そのせいで、去年の冬の終わり、家は大混乱に陥っていた。
 ところが、その長男蟻はきちんと仕事をしていた。それまで見られた気まぐれはおろか、どの大人蟻より勤勉に働いていた。その様子に次男蟻はかなり驚き、何か、何かがあるとその行動を観察し始めた。半ばストーカーのようなその行動を他の蟻が不思議に思ったのは次男蟻以外の自明であった。

 長男蟻に行動を暇さえあれば観察していた次男蟻を不思議に思う蟻はいたが、不審に思う蟻はいなかった。次男蟻はこの家の歴史上でも指折りの優れものであったからだ。彼の行動に気を向ける蟻などいないのだ。つまり、彼は誰からも干渉されず長男蟻の行動を追っていた。
 その日もまた長男蟻の仕事の様子を尾行していた。長男蟻はその尾行に気づいていないようで、仕事をこなしていた。このころになると、長男蟻のもとにつく大人蟻はいなかった。すでに一人前の大人として扱われていた。任された仕事は多岐にわたるが、よくやっていたのは幼児蟻のための枯れ葉集めだった。季節の変わり目で落ちたばかりの葉を集めるのだ。どの種類でもいいわけではない。ある一種の保温性の高い葉を集める。背中に自分より大きな籠を背負っていっぱいになった籠を家まで運ぶのだ。
 それをするのは、大抵大人蟻でも強く大きなものだけであった。そもそも籠いっぱいに詰められた枯れ葉はだいぶ重く、それを運ぶにはそれ相応の力が必要であったからだった。しかしそれ以上に強さが求められたのは、その枯れ葉が落ちているのが危険地域の付近であるかでもあった。
 
 子供蟻は週に一度、運動と家の外の世界を知るために散歩に出かける。太陽が昇って、沈むまでの時間という決まりはあったものの、その時間はある程度自由がきいた。集団で走り回る者や、綺麗な花に見とれるもの、木に登ろうとして途中で落ちてしまうものなど個性が発揮される時間でもあった。その散歩だが、どこまでも行っていいわけではない。赤い花が咲いた付近には絶対に行ってはいけないときつく言われていた。その赤い花の周辺には毒が散乱していて、その向こう側には自分たちの天敵がうようよいるとのことだった。ほんの少し、赤い花に触れるものならば、その毒にやられて動けなくなってしまうとのことだった。その毒が天敵をこちらに寄せ付けない防護壁として機能しているとも先生役の蟻が言っていた。

 枯れ葉はその赤い花の付近に落ちているのだ。
 その枯れ葉の主である木はあまり大きくはなく、大人蟻であれば容易に登れる程度の物であった。もちろんその木のすぐそばに赤い花はあるため、危険が伴う。まれに天敵が入りこむこともあり、強い蟻だけが枯れ葉集めを任された。
作品名:慈雨と甘雨 1 作家名:晴(ハル)