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臆病なシンデレラ~アラサー女子。私の彼氏は17歳~

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 祥子は見た目どおりに物言いも平坦で、仕事に関しては厳しい。今年春にも、新入男子社員が祥子の叱責を受けて号泣するという事件があった。その社員はほどなく自主退社した。鬱になっていたという噂もあり、流石に社長に呼ばれて直々に祥子も諭されたといわれている。
 早苗は三十一、祥子よりは九歳下だけれども、早苗でも最近の若い子は自分とはまったく考え方も認識も違うと思っている。型破りというのか、責任感がないというのか。
 言われた仕事が最後まできっちりとやり遂げられない。出来上がっているはずの文書が完成しておらず注意すれば
―五時退社だから、帰りました。
 と、口答えする。誰だって、定時には帰宅したい。しかし、できないのが哀しいかな、サラリーマンの現実なのだ。それが判らないなら、さっさと止めてしまえと言いたいところだが、それをやると、祥子の二の舞になりそうだ。
 祥子は根は冷淡な人ではない。仕事面に容赦はないけれど、見ているところはちゃんと見ていて、今のように、最近の早苗の様子が妙だと気づいて心配してくれている。
「三村先輩には色々とご迷惑をおかけしています」
 早苗が言うと、竹脇部長が真顔で言った。
「私らは君の上司だ。部下の失敗を上司が補うのは当たり前だが、私も三村君も迷惑をかけられているから、こんなことを言ってるんじゃない。君を心配しているんだよ」
 早苗は、おやと思った。?私も三村君も?という部分がやけに気になったのだ。何気ない言葉のように見えて、実はその部分だけが妙に深い響きを持っていた。
 もしかしたら、部長と祥子が特別な関係にあるというのは真実なのかもしれない。確か竹脇部長には成人した娘も妻もいるはずだ。
 早苗自身は地味な容姿と性格だから、つい最近まで色事とは無縁の世界で生きてきた。一年前から取引先の会社の男性と付き合っている。彼が初めての交際相手だ。
 だから恋にも奥手だし、男女の機微にも疎い。その早苗にでさえ、先刻の部長の物言いは深い事情が隠されているように思えてならない。まあ、他人の恋路に首を突っ込むほど野暮はないと昔の人も言う。
 早苗は、部長と祥子の関係を詮索する気はさらさらない。ただ―、実父が不倫した挙げ句、よそに子どもを作って棄てられた過去を持つ自分としては、どうしても不倫に厳しい眼を向けてしまうのは仕方ない。
 だが、心配してくれているという言葉に嘘はなかった。早苗は微笑んで頷いた。
「色々とご心配をおかけして、申し訳ありません。できるだけ気をつけます」
 部長も破顔した。
「まあ、君よりは長く生きている分、多少は人生経験もある。同性同士の方が話しやすい相談なら、三村君に話しても良いだろう。悩み事があるなら一人で悩んでいないで、誰かに相談しなさい」
 はい、と、早苗が応え、部長は安堵したように笑った。
「じゃあ、資料はちゃんと揃えておいてくれたまえ」
 部長を見送り、早苗は命じられた人数分のコピーを取った後、更に数日後に迫った取引会社訪問に備え、レジュメをパソコンでこしらえる作業に没頭した。
 すべての仕事を終えて本社屋を出たのは、もう辺りがすっかり宵闇の底に沈んだ時刻だった。季節はそろそろ晩秋を迎える。十月末の午後七時過ぎ、空気はかなり冷たい。まだ寒いというほどではないけれど、薄物のブラウス一枚きりでは過ごせないほどだ。
 十五階の高層ビルは関西の田舎町では、そこそこ目立つ。近代建築の粋を集めて建てられたビルは昼間は陽光を受けて銀色に光っている。今はすっかり夜の底に沈み込んで、闇色に溶け込んだビルを改めて振り返る。
 先代社長は、早苗の人柄を買って、デパートのアルバイトから本社営業部正社員へと抜擢してくれた。恩人の社長は既にこの世の人ではない。数年前、出かけた先のハワイで、急な脳溢血を起こして亡くなった。社長と初めて出逢った時、早苗はまだ十九歳だった。
 社長は還暦を迎えたばかりだという話で、亡くなったのは七十を迎える間際だった。社長には随分と可愛がって貰った。一社員が社長に高級寿司店に連れていって貰うなど、それこそ?愛人か??と陰口を叩かれても仕方ないほど破格の待遇であった。
 しかし、早苗と社長の間には天に恥じることなく、あくまでも父と娘のようなものだった。大抵はデパートの元バイト先の男性店長が一緒だったが、たまには三人ではなく二人だけのときもあった。
 そんなことが余計に?社長の愛人説?に拍車をかけたのは間違いない。社長はよく酔うと、若い頃の話をしていた。美人の奥さんには求婚者があまたいて、プロポーズを三度も断られた逸話とか。
 人間同士の繋がりというのは、特に男女である場合、とかく恋愛絡みだと思われやすい。けれども、世の中には色恋抜きの男女関係というのも間違いなく存在する。早苗にそのことを教えてくれたのが、この人間として尊敬すべき社長であった。
 では、恋愛感情の代わりに何があるのかと問われれば、さしずめ、?信頼?や?誠意?といったものだろう。今の時代に真顔で言えば笑われたり馬鹿にされたりしそうなものだ。それでも、そういうものを仲立ちにした関係は男女間でも必ずある。
 哀しいことに、世間の大半は、男女が二人で親密な時間を過ごせば、そこに何か秘密めいたものがあると勘繰るらしい。社長が急逝して、?愛人疑惑?もいつしか消えたが、そのことは早苗に世間がどんなものかというのを教えてくれた。
 現在、代表取締役は先代の甥、ただし、社長ではなく奥さんの甥が継いでいる。早苗がもう社長室に呼ばれることは二度とない。
 早苗はリンデンバーグ社を後にすると、A四サイズの通勤用バッグからカーディガンを取り出し、さっと羽織った。社内に制服はないので、早苗はいつもブラウスとスカートを着用している。大体、白のブラウスとネイビーのタイトスカートだが、たまにベージュのパンツスーツや、淡いピンクのワンピースのときもある。
 化粧品メーカー勤務にしては、メークは控えめすぎると自認しているものの、元から濃いメークは苦手なので、どうしようもない。
 彼女が次に足を向けたのは、歩いて十分ほどの私鉄F駅前のファミレスだった。
 自動ドアを入ると、入り口間際の席に、見慣れた顔が揃っている。
 ちょっと疲れた中年の男と、男に眼許がよく似た華やかな美貌の二十代半ばの女、それに、彼等とそっくりな三歳ほどのやんちゃな男の子だ。
「お姉ちゃん、ここ」
 呼ばれ、早苗は自然に微笑んでいた。
「随分と遅いのね。もう一時間も遅刻よ」
 頬を膨らませる妹に、早苗は笑った。
「ごめん。色々と残業があってね」
 そこで、義父が割って入った。
「早苗はお前のような気楽な身分じゃないんだ。勤め人は色々と大変なんだぞ」
 と、いまだ大学生時代から同じキャバクラでバーテンをしている義父が言う。
「お義父さんこそ、今日は仕事の方は良いの?」
 問えば、圭輔は頷いた。
「若いバイトを二人ほど入れたから、今日は休みだ」
 甥の龍磨(りょうま)は眠たくなったのか、香奈子の膝に頭を乗せて、うつらうつらしている。三人ともに既に食事は済ませたらしく、空き皿がテーブルに並んでいた。
 早苗の視線を感じたのか、圭輔が申し訳なさそうに言った。