小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

水のようなあなた

INDEX|1ページ/27ページ|

次のページ
 

「あなたとの家庭が想像できないから、これ以上は無理だと思うの」

 そんな幕引きの言葉で3年半付き合っていた彼女に貴臣が振られたのは、先々週の話だ。待ち合わせ場所の駅前から、美術館への道すがらの出来事であった。
 街路樹の銀杏がクレヨンで塗ったかのように一面黄色に染まっていて、風が吹くと一枚二枚と葉がひらひらと舞い落ちてくる。それが地面に触れる度、思わずぎょっとするほど大きな音が鳴っていた。色付くだけではなく、枝から離れた後にまでこんなにもはっきりと自己主張するものなのかと、空恐ろしいような思いがしたのだ。その時の背筋の嫌な震えははっきりと思い出せるのに、展示会も見ずに去っていった彼女の顔はあまり覚えていない。
 君がそう思うなら、そうなんだろうね。なんて言葉を返したのだから、少なくとも笑顔ではなかったはずだ。

 他人に売る程失恋ソングや小説が流布している世の中において、振られたこと自体は大した話ではない。生憎、彼女の別れの言葉を決定づける出来事には心当たりがあったので、どちらかと言うと、とうとうこの時が来たのかと思ったくらいだ。
 ただ、落ちる葉の中を颯爽と去っていった彼女が、今目の前で結婚報告をしているという展開は、貴臣にも予想外のものだった。

 勿論、結婚相手は貴臣ではない。彼女の隣に立ち、周囲から祝の言葉を受けているのは、同じチームの二つ上の先輩だった。
 女性職員が騒いでいる部署内ホープの社員ではなく、どちらかと言えばあまり目立たない部類の人で、貴臣の隣で固まっている後輩集団なんかは「どうして、あんな目立たない人?」なんて顔を寄せ合って好き放題噂し合っている。
 確かに目立つ成績や声の大きさはない人だったが、地味な裏方仕事も嫌な顔をせず引き受け、周囲の動きや時期を見てはそれとなくサポートをしてくれる先輩でもあった。他の人の働きに隠れがちではあったが、貴臣自身も密かにこういう人になれればと目標にしていた相手でもある。そんな先輩を選ぶ辺り、さすがに彼女はよく分かってるなぁなどと感心してしまう。

 付き合って半年で結婚を決意したという報告の言葉が流れてくる。どうやら、先々週に決定事項を言い渡されただけであって、彼女の中ではとっくの昔に貴臣は過去という名のゴミ箱に突っ込まれていたようだ。そういえば、別れ際に出掛けたのも随分と久々だったのを思い出す。

 とりあえず周囲に合わせて拍手をしながら、恋人なし期間は二週間から半年に改めた方が良いのだろうか、と頭の中のカレンダーをぺらぺらとめくる。初夏の月に大きくバツ印を付けるかどうか迷っていた肘を隣から誰かが突いた。

「おい、俺の記憶違いか? ついこの間まであいつの彼氏は、あの先輩じゃなかったはずなんだが」

 周りを憚った早口で目配せしてきたのは、同期の笹原だ。更に言うなら、元・彼女の同期でもあり、会社内で唯一二人の付き合いを知っていた男でもある。
 場にいる誰よりも青い顔色をしているせいで勘違いをした周囲から、小声で小突かれている。失恋したのは自分ではなくて、と口にしたくて息を吸ったはいいものの、状況的に言えば泥沼になると悟ったのだろう。

「いやぁ、そんなんじゃなくて、折角この部署配属の同期三人組みなのに、一言も教えてくれないってちょっとショックじゃないっすか? サプライズは俺の得意分野なのに、驚かされっぱなしなのは悔しいですし」

 人好きのする笑みで、わざと大仰に拗ねてみせる。160センチと少しという成人男性としては小柄な体に、小動物を思わせる大きな瞳をフル活用して、あーだこーだととんでもプランをこねくり回しては「そんなんだから飯田さんも言わなかったんじゃないか?」なんて苦笑されている。
 しまいには、じゃあお祝いパーティ用の余興の打ち合わせしてきますんでなんて笑顔でのたまって、まだ拍手が続いている中、給湯室に貴臣を連行した腕前は見事の一言だ。

作品名:水のようなあなた 作家名:はっさく