時空を超えた探し物
第一章 ナース
――気が付けば、私ももう五十歳を超えてしまったな――
五十歳を超えてから、もう二年以上も経とうというのに、あらたまって五十歳を超えたということを自分に問いかけることも久しい。
しかし、つい一度問いかけてしまうと、前に問いかけたのが、まるで昨日のことのように思えてくるから、
――年は取りたくない――
というものだ。
山本悟は、一度結婚したが、すぐに離婚。子供がいなかったこともあって、離婚にはさほど体力を使うこともなく、今では結婚していたということがまるでウソのように思えるほど、意識から遠ざかっていた。
結婚したのは三十代前半、会社の事務員の女の子と仲良くなり、それまでほとんど女性と付き合ったこともなかった悟には、交際期間はまるで夢のような時間だった。
相手の女の子は二十代後半、焦っているわけではなかったが、結婚するとなると、とんとん拍子に話が進み、結婚の話が持ち上がってから、二か月ほどで新婚生活に突入していた。
お互いにままごとのような新婚生活だった。彼女の方が新婚生活には有頂天だった。どちらかが有頂天になって舞い上がってしまうと、片方は結構冷めてしまうもので、悟の方も、相手にペースを握られっぱなしだった。
それでも、楽しかったので、不満はなかった。子供を相手にしているようで、それなりに楽しかった。むしろ、夢にまで見た新婚生活そのものだったような気がするくらいだった。
しかし、楽しい時間は長くは続かなかった。一気に燃え上がって、一気に冷める、
――熱しやすく冷めやすいタイプーー
である彼女と、
――徐々に燃え上がって、そのまま燃え続けるタイプ――
である悟の間では、共鳴できる時間があまりにも短かった。近づいてきていると思って安心していると、いつの間にか、自分の後ろを通り抜けていて、居場所を見つけることができなくなっていたのだ。
――すれ違ったなんてもんじゃないな――
それは、相手の姿が見えなくなった瞬間だったと思っていたが、後から考えれば、最初から姿が見えていたのか怪しいものだった。いつも虚空を眺めていたようで、離婚してからというもの、
――彼女がほしい――
と思ってみても、付き合いまで発展することはなかった。
離婚してからというもの、時間が経つのが早かった。毎日を何事もなくやり過ごすことだけを考えていたのだから、あっという間だったというのも無理もないことだった。
学生時代というのは、一日一日が結構長く感じられたが、過ぎてしまえばあっという間だった。しかし社会人になってから離婚するまでの間は、毎日があっという間だったように思えたにも関わらず、離婚した時に大学を卒業した時を思い出してみたが、相当昔のことだったように感じたものだ。
今は日々の時間と、一定の期間が過ぎてしまった時に感じる時間の長さは、ほとんど変わらない気がする。何かを目指しているわけでもなく、ただ無為に時間を過ごしているだけの毎日は、それだけつまらないものなのだろう。
これでも学生時代には、彼女と呼べるような人が数人はいたものだった。もちろん、学生時代だったので、結婚まで具体的なことを考えた女性はいなかったが、それなりに楽しく付き合えたものだった。だが、社会人になって二年目の夏だったが、その時、急に転勤を言い渡された悟は、盆が終わって、九月の声が聞こえてくる頃、新しい土地に赴任したが、そこにいた事務員の女性とすぐに仲良くなった。
今でも、
――今までで一番好きだったのは、和子だ――
と、その時の事務員の和子の名を挙げることができる。
和子は、悟にとって、今でも忘れることのできない唯一の女性だった。離婚した女性よりも思い出すのは和子のこと、そんなだから、離婚するのも無理のないことだったのかも知れないが、結婚生活を短かったと思うのは、和子との時間が貴重だったということの裏返しだった。
悟は、五十歳になってからは、ほとんど表を出歩くことはなくなった。五十歳までは、馴染みの飲み屋や、馴染みの喫茶店があったりして、時間があれば寄っていたのだが、五十歳になってからは、急に億劫になってきた。毎日が会社と部屋の往復で、休みの日も、ほとんど出かけることがなくなっていた。
そんな悟が帰りに立ち寄ったりするのは、コンビニか、レンタルビデオ屋であった。DVDを借りてきて、部屋で一人で映画鑑賞、これが最近の悟のパターンだった。
ビールやおつまみをたくさん買い込み、ソファーに横になって映画を観る。三十代の頃までは、想像もつかないことであった。
ただ、悟は二十代後半に、一人で映画を観るのを趣味にしていた時期があった。ビデオを見るわけではなく、映画館での鑑賞である。こじんまりとした映画館であれば、一人でも違和感がないのか、思ったよりも一人で来ている人が多いのに、ビックリしたものだった。
映画館でも、あまり近くに人がいるのが嫌だったので、少々角度が悪くとも、前の方の列で見ることが多かった。
映画を前の方で見ることになったその頃から、何となく、映画の中に出てくる気になる人を一人決めて、その人になりきったように見るようになっていた。特に恋愛モノの映画では、ヒロインに恋する男優の気持ちが手に取るように分かってきて、自意識過剰になっている自分を感じていた。
そのくせ、現実ではまわりの女性に何も感じない。次第に一人でいることに違和感がなくなってきたのも頷けるというもの。次第に見る映画のジャンルが狭まってきたのも、好きなジャンルが定まってきた証拠でもある。
悟が見る映画のジャンルは、段階的に狭まっていった。
まずは、外国映画を見ることがなくなり、日本映画一本になった。そして次には、恋愛モノや、奇妙なお話が多くなり、ミステリーやサスペンス系を見ることがなくなった。さらには、出演女優で決めることも増えてきた。自分の好きなジャンルに出ている女優を見ているうちに、自分の好みの女性とかぶってきた気がしてきたことで、映画を観る幅が狭まったことが正解であると思うようになっていた。
――やっぱり、自分が妄想できるような内容が、映画を観る醍醐味ではないだろうか?
と思うようになっていった。
最初こそ映画を見ていると、自分が主演男優になったような目で見ていたのだが、そのうちに映画館にも行かなくなった。元々、
――どうしても見たくてたまらない――
というほどのものではなかった。
確かに最初はただの暇つぶしのつもりが、映画館の雰囲気や一人でゆっくりできるという意味で次第に嵌って行ったのも事実だが、自分が主人公になったような目で見ていると、今度は、次第に面白くなくなってくるのを感じた。